8章 Obwohl ich wusste, dass ich nicht zurück konnte

65話 それは悪夢のようで…①

「……どういうことですか?」

「毒殺です。衰弱死じゃなくて、毒物を飲まされて死んでいる。アコニチンってご存知ですか。トリカブトに含まれている毒なんですが」

「トリカブトの花自体は知ってますが」


 つい先日、カオリちゃんとのデートで鑑賞したばかりだ。鮮やかな紫色のフサのような花をつける植物。毒があるので触らないようにと囲いと注意書きがされていた。


「あの植物から採取できるんですよ。八次さんの遺体からアコニチンが検出されたんです。吐瀉物と便失禁が見られたのでもしやと思って解剖したんですが、ビンゴでしたね」

「……」

「大丈夫、別に馬場さんを疑ってるわけじゃない。摂取させられたのは朝の8時から9時ごろでしょうし、そのころあなたは職場にいたでしょう?ただ少し捜査にお付き合いいただくことになるかと」

「それはもちろんです……八次さん、来週お孫さんに会えるって、楽しみにしてたのに……」


 八次さんは自分が長く担当しているケースの一人だ。お子さんたちが関西に就職してすぐに、奥さんが病気で亡くなってしまって、それが原因で鬱になり休職。年金が下りるようになるまでと保護を受けていたのだが、最近はがんまで患っていた。オレに「嫁のところにはやく逝きたい」と零すこともあった。ただ、お盆になるとお子さんがお孫さんを連れて帰省するので、それを楽しみにそれまでは頑張って生きると言っていた。昼前に、途中寄って行ける場所だからと顔を見に行ったら、体が冷たくなっていた。警察を呼んで、もしかしたら自殺かもしれないという話をしたら、どうやら殺人の可能性が浮上した。死にたいという気持ちに苦しみながらも、お孫さんと会えると楽しみにしていた彼の命を奪われたのが、あまりにも無念で、許せなかった。


「それ、俺も似たようなことがあって」

「似たようなこと?」

「先月、一人孤独死現場に居合わせたって報告あげたじゃないですか。池山さんって方」

「そういえば……うん」


 後輩の金沢くんも、先月現場に居合わせてしまっていた。報告書の方も目を通した記憶があるし、彼がそれで災難な目にあったことも覚えている。やっぱり、慣れてくるとはいえあまり気持ちの良いものではない。


「池山さんの遺体も、近くに吐いたものがあって……ご高齢だったこともあって警察も老衰だって判定してたんですけど、もしかして殺人だったんじゃ」

「いや、それは流石にないだろ。偶然だよきっと」


 偶然だと思いたかった。そんなこと企てるような人間がいるとは思いたくなかった。そこまで、人は人に残酷な生き物だと思いたくなかった。

 けれど、そんな淡い夢はあっという間に崩された。



 以降毎週のように、ケースの誰かが遺体で発見された。どれもアコニチンなどの毒物による毒殺で、警察の方も連続殺人として捜査と見回りに協力してくれるようになった。最初の頃は殺人だと報道があったけれど、模倣犯がでる可能性が高いからと途中から報道しないように一斉に規制が入った。どうしても生活保護を受給していたり、税金の免除を受けているというと血税の無駄遣いだとか、負け犬を救う必要などない、自己責任だと嫌悪感を持っている人は少なくない。……それどころか、たくさんいる。それはきっと街中に普通にたくさんいて、普通に仕事をして、家庭を持っている人たちの中にもいる。周りの人にいい人だと評されるような人たちの中にもいる。何かの憂さ晴らしに真似をする人たちもでてくることは想像に難くなかった。殴り返してこないことがわかっているから。


「なんなら一番あいつらを殺したいのは自分たちですよ。尽くしてやっても文句ばっかり、死んじまえばいい」

「そういうことは思っても言ったらダメですよ」

「馬場先輩、ほんとそういうところお堅いっすよね〜……まあ職業柄、そっちが正解ですけど。やっぱり10年もこんな課で働いてると頭おかしくなるんですかね」


 ……下らない煽りだ、こんなの相手する必要がない。それでも虫の居所はもちろん悪くなる。ぐるぐると意地の悪いことで刺してしまいたいという気持ちを、自分はもういい大人なのだと、唾と共に飲み込んだ。


「……久保さん、いまの音声録音して突き出されたいですか?」

「それは勘弁してくださいって、ボクはこっちで経験積んで穏やかな部署に移動するんで。それまではお互い我慢してやっていきましょうって」

「殺人なんてものに巻き込まれてあなたのメンタルにも支障が出てることは同情しますが、当たるなら私だけにしておいてください。ましてや市民に当たるなんてしたら」

「それこそ懲戒免職ですよね〜はいはいすいませんて」


 移動してきたばかりで、明らかに向いてなさそうとはいえ、仮にもこの部署で働いてる奴からもこんな発言が出てくるのだ。一般市民からも出てくるに違いない。警察が迅速に対応してくれていることに感謝しながらも、ずっと不安は拭えなかった。

 毎日毎日、顔を合わせる人たちが生きていることに安心して、どうか怪しい人がいたら警察に通報するようにと毎回声をかけた。道をすれ違う、いかにも普通の人たちがいつ彼らを殺す悪魔に変貌するんじゃないかと怖くなった。人、人、人、この人が犯人だったらどうしよう、この人が模倣したらどうしよう。この人が「生きている価値などない」と、思って行動に移してしまったらどうしよう。

 生きている価値なんてないのは……彼らなどでもなく、もちろん被害者たちでもなく、━━だというのに。

 それでも、事件は解決することなく、一人、また一人と被害者が増えていった。


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