66話 それは悪夢のようで…②

「あの、その……」

「言ってもらうの待ってるんだけど?」

「まって覚悟させて、ねえまって」

「ふふっ……あっははっ……」

「そんなに面白い?」

「おもしろいよ、ほんとユキちゃん自分のことになるとてんでダメになるんだから」

「ちょっと……本当オレ恥ずかしい男じゃん」

「そういうところが好きだからアプローチしたんだけどな?」

「あの……あのさぁ……」

「ほら、ちゃんと言って?」


「……オレと、けっこんして、ください……」

「よく言えました」

「子供扱いはやめてよ……」


 ついさっき二人で選んだ結婚指輪を取り出す。手が震えてうまくつけてあげることができなくてまたカオリちゃんが笑い出した。


「マジではずかし……」

「顔真っ赤だよ」

「う……」


 本当に恥ずかしい。自分自身のことをあがり屋だと思ったことはなかったのだが、それはきっと勘違いだった。


「いや〜でも思ったよりスピード婚だったね、付き合ってからなんだかんだで半年くらいだよ?」

「スピード婚、って別にまだ籍は入れてないでしょ。まずは同棲して、落ち着いたら届出して」


 最近は週末どちらかの家に泊まることが暗黙の了解のようになっている。あまりにもオレがコンビニで飯を済ませるから、心配になったらしく毎週のように彼女の手料理をご馳走になれるのは幸せだった。冷蔵庫すらまともに使えないユキに料理は期待しないから、別の家事はちゃんとやってねとこの間釘も刺されたのだが。


「証人、チーさんに頼むんだっけ?」

「……うん。オレたちのことここまで知ってるのチーさんと浅間くんくらいだから」


 カオリちゃんもご両親は事故で亡くなっていて、親代わりに育ててくれた叔父叔母は遠くに住んでいるらしく、連絡をよくとっている従姉妹に証人を頼むらしい。自分は頼める人がいないと頭を悩ませていたけれど、チーさんは付き合っていることを知っているし適任だとお願いすることにしていた。後から分かったことだが、カオリちゃんが初めて今来件にきた時、チーさんがオレたちをくっつけようとしてくれていたらしい。料理人としてだけでなくキューピッドとしての才能もあるようだった。


「浅間さん、って同級生なんだっけ」

「まあ、そうらしい。オレは全然覚えてないんだけど。でも同い年だからかなんだかんだで最近は友達みたいになってきてるし。コンプラ的にはさんづけで呼ばなきゃなんだろうけど最近向こうもユキくんって呼んでくるから、なんかね」

「まあ、仲良くなることは悪くないでしょ?」

「最近は相談以外のこともよく話すようになったよ。2ヶ月くらい前までお姉さんの関係でしばらく姪っ子さんを預かってたらしくてそれが楽しかったみたい。会うたびに姪がかわいい、子供ってかわいいってそんなのばっかり。一度だけ見たけどすごいいい子だったよ。ありゃかわいがっちゃうだろうな」

「ならよかった。……聞いてる限りその人、大変そうだからちょっと心配だったんだよね」


 大変、なんて言葉じゃ表現しきれないと思う。この間発作を起こしているところを見てしまったせいで、あれがいつも起こるような状態で、二人も面倒を見るなんて無茶だと改めて思ったのだ。それに加え、自宅でできる仕事とはいえ執筆もしているのだ。本人はニートなんて笑っているが、到底常人ならメンタルを壊してもおかしくないと思う。少なくとも自分は親にそこまで献身的になれないし、あんな風に笑ってなんていられない。……いまだに彼の本心がわからない。


「……お母さんがこの間怪我しちゃってね、大腿骨の骨折。そろそろ寝たきりになるかもって。それでも自分で見るって聞かなくて……ケアマネさんもこの間かわっちゃって、新しい人もね、本人が持病があるのにあの状態で二人見るのは無理だって言ってた。デイサービスの日を増やすとか、ヘルパーさんを入れるとか、その辺で交渉してるんだけどそれでもいまのままでいいって渋るって。……それに浅間くんの体の状態もよくないって、このあいだお医者さんからもらった診断書に。家族思いなことはいいんだけど、自分のことも大切にして欲しいよ」


 献身的という度を正直超えていると思うのだ。あそこまで行くときっと自分のことよりもよっぽどご両親の方が大事なのだろう。……自分も良好な親子関係を築けていたら、彼の気持ちを理解することができたのだろうか。


「……それは……」

「守秘義務的にはアウトだけど、ちょっと愚痴だと思って聞いてもらっていいかな」

「いいよ、聞かなかったことにして聞いてあげる」


 そんなこと全くないくせに、オレが気にしないように彼女はそう言ってくれる。その優しさを無下にしたくはないのでありがたく甘えることにする、彼女も一緒に抱えてしまうくせにそんな風にオレのために言わせてしまっているのだが。


「……慢性的な酸欠状態が原因で血圧が何しても下がらないみたいで、なにかの拍子で病気増えたら一気にガタがくるだろうって」

「……持病、そんなに重いの」


 話を聞く限り、あのレベルは障害年金の受給条件に十分当てはまっている。むしろ今まで受け取ってこなかったことが不思議なくらいだが、彼のことだ。あの様子を見ると最低限薬をもらうためにしか通院していないんだろうし、今回オレの方から出して、と言わなければ一生診断書も書いてもらうつもりもなさそうだった。受給できるよ、と言ったところで彼が応じるとは残念ながら思えないのだが。


「小さい頃は入退院繰り返してたらしいし、そのころと比較すると今元気だから大丈夫だと思い込みたいんだろうなとは、接してて思う。それに、多分劣等感を抱いてる」

「なにか、言ってた?」

「他人に依存しないと生きていけないクズ、だって。いつもそう言ってる」

「……そんなの、人間みんなそうだよ」

「オレも、正直そうだと思う。今はカオリちゃんに依存しているし、仕事にも。誰だってさ、誰にも頼らずに生きていくってのは難しいよ。オレたちが手を出してなんとかなるなんてレベルじゃない。何もないよりはいいんだろうけどさ、なんの力にもなれないよね。……ただの友人だった方が、もしかしたら力になれたかもしれない」


 自分が行政の人間だということが、どうしても歯痒かった。多分彼は、オレがこの立場な限り、一生こちらを頼ってはくれないだろう。もし、ただの友人だったらなにかできることがあったかもしれない。1日くらい自分に任せて気晴らしに行ってきなよとか、体調悪いならゆっくり休んでなよ、とか言ってやれたらよかったのに。結局自分は仕事で彼と接しているだけだから、本当に彼に必要な手助けはできないのだ。少しもらえるお金が増えたところで、彼の息苦しさはなにも改善しないし、一生彼は誰にも助けを求めようとしない。もちろんお金だって大事だけれどそれ以前の問題じゃないか……それは他の多くの人にも言えるのだけれど。


「……そっか」

「でも手助けしてくれる人を探せなんて、それは行政が積極的に介入していいことじゃないし」


 ヘルパーを探してきたところで、家事手伝いを探してきたところで、所詮彼のことだから仕事以上のことは頼らないし、頼れないのだろう。結局のところ制度ができること、産業ができることには限りがある。そもそも本人がそれでいいと受け入れてしまっているのだから何もできることがない。


「その件だけじゃないけど浅間さん、なにもかも諦めて生きてる感じがする。まあそうならざるを得ない環境だったんだろうけどね」

「……諦められるっていうのは、きっといいことなんだろうけど。あそこまでいくと痛々しいって言うか、全部を削ぎ落として生きている気がして……何が残るんだろう。あの人に」


「なんだか、自分から首を絞めているようにも見えなくないっていうかさ。……改善する気がないようにも見えてしまうって言うか」

「……それに関してはオレはなにも言えないよ。その人が置かれている事態はその人にしかわからない、いくら共感したところでオレみたいに健康で、残業続きでも別になんとも思わない人間じゃ何の説得力もない。……ただオレたちの仕事は状況の改善と自立を促すことだから、浅間さんみたいに自分で手詰まりだって決め付けている人にできることはあまりない」


 仲良くなった、というのはいいことなのだろう。だからこそ何もしてやれない自分が歯痒く感じるし、なにもかも拒否する彼に苛立ちも感じていた。知れば知るほど苦しくなる。普通に接している分にはものすごく彼は”いい人”なのだ、こんな苦しい生活送って欲しくない。けれど、彼はそれをよしとしている。他人が彼をどう思うかはわからないが、少なくともオレとしては彼は自称するほどの酷い人間ではない。


「……悩んでる?」

「まあ、ちょっと」


 このまま彼が全てを拒否するなら、そろそろ上司からケースでもなんでもない市民と面談する時間なんて無駄だ、と切り捨てられてもおかしくなかった。そうなったら、本格的にオレは何もしてやれない。


「ユキが仕事人間気質ってのはわかるし、そういうところも好きだとは思ってるけどね……あまりプライベートに仕事持ち込まない方いいよ、パンクするよ?ほら、連続殺人事件のこともさ、結局上の人たちユキに丸投げじゃない。いくつ抱えてるのさ」

「……しょうがないよ、そういうのはオレの仕事。別にそれに不満は抱いてないし、少しでも早く犯人を捕まえなきゃ」


 悔しかった。普通の生活をしている人たちには理解できないだろうけれど、ケースの人たちも普通の人間ばかりだ。中には迷惑というレッテルを貼られている人たちもいるけれど、彼らがいることを迷惑だと思うのであれば、極論人間が生きることは全て迷惑だろう。一体なんのために、こんなこと。


「ユキ、お願いだからきついと思ったら休むなり、言うなりしてよ?」

「きついけど、別にそこまでじゃないよ」

「うそ、ずっと最近調子悪そうだよ。昨日もボーッとして棚に頭ぶつけてたじゃない」

「それはただ、本当にボケッとしてたんだよ」


 そんなにでかいわけではないのだが、そこそこ背丈はあるからよくぶつかることはある。そんな気にすることじゃない。


「ほんとに?」

「そんなに信用ない?」

「……別にそういうわけじゃないけど、ユキは自分のこと全く大事にできないじゃん。その浅間さんのこと何も言えないよ」

「そんなつもりないんだけど」

「そういうところ。はぁ……ユキが自分のこと大事にできない分、私がユキのこと大切にするから」


 そう言ってオレのものよりも二回りくらい小さな両手で、頬を挟まれる。目をそらさせないという圧を感じ、怒った表情のカオリちゃんを見つめ返す。


「私相手に弱音吐くことも、しんどいっていうことも恥ずかしいことだって思わないこと、いいね?」

「わかりました……」


 どうにも彼女に言われると逆らえない。どうしても自分の身には余るのだ、甘えるという行為は。この間はみっともない姿を見せてしまったのだけれど。それをこれからもしていいと言われても、流石に恥ずかしい。


「自分のこと、どうでもいいと思っちゃうのかもしれないけれど、私はユキが辛いのは嫌だよ」

「うん、ありがとう」


 それでも、彼女を悲しませたくない気持ちは事実だ。

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