56話 甘美な脅しを…④

「なあ、アイカ。お前さ、なんで脱走なんてしたの」


 尾方さんと解散して、オレと兄貴だけが喫茶店に残る。まだ頼んだツナサンドの半分も食べきれていない。


「聞いてたんだ」

「みっちゃんがな、アイカそっちにきてないかって……泣きそうな声してたぞ」

「それは……ごめん」


 確かに状況が状況だったから、迂闊だったとは思う。ヒマリが殺された直後にオレが失踪したら、いくら小さな子供ではないとはいえ誘拐かなにかを疑われても仕方はないかもしれない。


「そうだ兄貴、なんかあったらこいつらのこと、ここに匿ってやって」


 住所をメモした紙切れを渡すと、怪訝そうな顔をした。


「どこ?ここ」

「根城代わりに使うから。チーさんに契約してもらってて、兄貴と暮らすからって嘘ついてる。なにかあったら話合わせておいて」

「……」


 明らかに困惑した表情を見ると罪悪感が沸く。迷惑をかけている自覚はあるが、もう少し迷惑に付き合ってもらわないといけない。


「なあ、アイ。……もう、もうやめないか?母さんだって、こんなこと望んでるとは」

「死人の口を借りるのはずるいんじゃないか」


 そんなことはとっくにわかってる。カオリさんは別にオレにそんなこと、頼むどころか望んでもないだろう。それでも、自分はあの人を、また守れなかったのだ。


「それは、ごめん……でもさ、アイカ。僕たちがなんであろうと、あの人は僕たちにとって母親で、あの施設がただの箱庭だったとしても……それでも否定はしたくないよ」


 箱庭、ああそうだな。表現としてぴったりだ。……オレたちという、存在を明かすことのできない子供たちを匿うために”つくられた”家族。


「兄貴さ、オレとカオリさんの仲のこと心配してたんでしょ」

「……そりゃ、そうだろ」

「オレはね。カオリさんのこと嫌いじゃないよ。むしろ逆。好きだったから迷惑をかけたくなかった。違うな、好きだから逃げたかった。ずっとどんな顔をして話をしたらいいのかわからなかった。それだけ」

「それ、なら……よかったけど」


 そりゃあんな態度を取ってたら、嫌いなんだろうなと思われるのは仕方ないだろう。嫌いじゃないのだ。嫌いじゃないから、甘えたくなかったし、頭がおかしくなったオレの相手なんてしてほしくなかった。物心ついた時から、自分の感情をうまく伝えられなかったけれど、怪我をしてからは思ってもないことばかり口に出てしまう。別に彼女を傷つけたいわけじゃない。傷つけたいと思うわけがないのに、また突き放されるんじゃないかと思うと、彼女に触れられるのが怖くて、避けることしかできなかった。


「……だから、嫌いになって欲しかったのかもしれないな。お互い嫌いになってしまえば、こんな思いしなくて済む。そうやって思い込もうとしたけど、死んでからようやくやっぱり大切だったんだな、って痛感して」


 うまく自己暗示をかけることができていたら、今頃あんなババアいなくなって清々した、なんて言えていたのだろうか。……いや、きっと無理だろう。オレが怪我をするまで2年も期間はなかったと思うが、思い込みであの人のことを嫌いになれるわけがないくらい、愛されてしまった。


「兄貴、これが多分最後のチャンスだ。もうすぐおとぎり苑はなくなる。今を逃したら一生オレたちが何者で、どうして集められて、どうしてあの人がオレたちの母親だったのかを知ることができなくなる、だからオレは何だってする」


 たとえそれで死んだとしても、こんな怪我を負っておきながら今生きていることの方がよっぽど奇跡なのだ。今更別に惜しいとも思わないし、そもそも……。


「頭を打ったら、夢を見たんだ」

「夢?」

「今より少し古い安曇の街並み。今じゃ幽霊屋敷って呼ばれてる家。新興住宅街に建った一人暮らし用のマンション。……とりあえず全部行ってみたけれど、なにかわかりそうで何もわからない。最後のがもしかしたら、オレが親と暮らしていた部屋かなって思ったんだけど、記憶の中にあるあの嫌な女のいた部屋とは間取りが全く違かった」


 人間の頭は古い電化製品じゃないのだから、叩いたところでよくなるどころか悪くなる一方に決まっている。だから、ただの幻覚でもみたのだろう。けれど、普段寝ているときに見る夢とは何かが違くて、そこには自分が触れたことがある感触が生々しく残っていた。まるで、追体験をしているかのように。


「なあ兄貴、オレたち、誰なんだろうな」

「……」

「知りたい。とかじゃない、知らなきゃいけないって強迫観念のようなものがずっと、ずっとあるんだ」


 思い出さないといけない。自分がかつて誰だったか、誰から産まれて、どうしてここにいて、こんなことになっているのか。だって、だって……。


「大量の薬を飲んでオレ、死んだはずなのに……なぜか、生きてるんだよ」



 胃の中でジャラジャラと錠剤が擦れる感覚。もう飲み込めないのに、死に切れないからとまた3粒ほど口に含んで、アルコールで流したときの味。酒なんか、未成年なんだから当たり前だけど飲んだことなんてない。飲んだことがないのに、あれはハイボールの缶だったと感覚が覚えている。意識が飛びきれなくて、また薬に手を伸ばす。処方されていたけれど、飲まなくても最近は寝られるからと、もらうだけもらって使い切っていなかった睡眠薬がなくなる。死ななきゃ、死なないと迷惑がかかるから。誰に?あの人に、■■■ちゃんだけは絶対にオレが守らないといけない。仕方がないので、あまり使いたくはなかった頓服薬をアルミ箔を破って取り出す。別にみんな心配しなくてもいいのに、病院に行った方がいいっていうから。仕事もやめろって、やめたらどうするの。仕事やってないオレになんか何の価値もないでしょ。そんなことしたら捨てられちゃうよ。粒が小さいから5つくらい取り出して、また同時に流し込む。動悸が酷くなる。そろそろお迎えがきてくれるだろうか。胃の中のものを吐きそうになるが、吐いてしまったら多分死ねない。ただのODで終わらせたらだめなんだよ。吐いちゃだめだと一呼吸おいて、胃からせり上がる空気だけを吐き出す。流石に頭がおかしくなってきたのか、右手が震えてうまく酒が持ち上げられない。瞬間、背骨が急に消えてなくなったかのように体勢が維持できなくなって……



「アイカ!!しっかりしろ!!……聞こえてるか!?アイカ!?」

「……に、ちゃ……ん」


 兄貴の声でハッと意識が戻る。あれ?今何を考えてた?


「大丈夫か……?発作か?薬止めてだいぶ経つのに……」

「……オレ、なんか言ってた?」

「……なんも言ってない」


 なにか、嫌な記憶が頭の中を支配したような気がするのだけど、何も思い出せない。ただ、恐怖がじんわりと寒さを持って体に取り付いている。ぐわん、と視界が歪む。あ、やばいこれ。しばらく立てなくなるやつだ。


「きもちわる……」

「落ち着け……少し安め、な?」

「ん……」


 兄貴がオレがもたれかかりやすいように引き寄せて背をさすってくれる。あ、人の掌って、あったかいんだっけ。


「無理するなって、兄ちゃん何度も言ったよな?」

「……してない」

「してる。はぁ……顔色悪いって」

「色んな人に言われた。死ぬなとか、散々言われて面倒くさい。なんでオレが死ななきゃなんねえんだよ。死んでたまるか、バカ」


 いちいち大袈裟なんだ。普通に今会話してて、めまいだって落ち着けば普通に立ち上がれるし、動ける。心配される要素なんてなにもないのに。オレにとってはもうこれが普通なのに。


「お前、本当に幽霊みたいだぞ。取り憑かれてたりして……気持ちのほうが休まってないんだよ、母さんとヒマリのことを考えるな。できないなら別のこと考えてろ」


 幽霊なんて、もしかしてオレたちみんな死んでるのかもよ?この世界が実は天国で、第二の人生を歩んでたりして……なんて言いかけてやめた。多分心配かけるだけだ。ゆがむ視界に耐えきれなくて、目を閉じた。


「あにき」

「なんだ?」

「映画館あるさ、あの敷地にケーキ屋、あるじゃん」

「あるな。行ったことないけど」

「そこの、ゴマ味のマカロン。食べたい」

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