47話 僕らは碌でもなく…②


 警察の人に少し出かけさせてほしい、と頼むとGPS端末を渡されて、失くさないようにね。と言われた。正直いい気はしなかったけれど、今の状況だと自分の身になにが起こるかわからない。怖い思いをするよりはマシだろうと、承諾して市の図書館に向かった。

 縮刷版の棚から、該当しそうな時期の地方紙を探す。これを全部読み切るのは骨が折れそうだが仕方ない。日付はわかっている。大麻取締法レベルなら全国紙じゃきっとそんなに大きく扱われていない。

 パラパラとめくると、廃棄物処理場で遺体が見つかったとか、リストラになった外国人労働者が集団で暴れたとか、市職員が公務員法違反で書類送検されただとか、一家心中未遂とか、少年犯罪グループがお年寄りを刺しただとかあれよあれよと悪いニュースが出てくる。地方紙の地域ページとはこんなに治安が悪いものだろうか。そりゃ夜出歩かないようにと、小中学の先生は口を酸っぱく言うわけだ。というかよく巻き込まれずに生きてこれたものだ。


「何探してるの」

「あれ?ハルちゃん」

「体調は大丈夫なの?今日も休んだから、てっきりまだ具合悪いのかなと思って」

「あ~……そういうわけじゃなくて。うん」


 そういえば体調不良で休んでて、ヒマリが殺されて、ずっと学校に行けてない、というか学校のことすら頭からすっぽりと抜けていた。アイカ経由でプリントをもらって、メッセージを返してなかったお詫びと一緒にお礼を送ってから彼女とは連絡も取っていない。


「この間、夜アイちゃんと会ったけど。あれ、本当に大丈夫なの?」

「えっ、いつ?」

「一昨日の夜」


 あまりにも直近どころか、脱走していた時間じゃないか。まったく、何してたんだよ。


「ちょっと用事があって、夜出かけてたら会って。病院脱走したって聞いて……」

「……ちゃんと帰ってきたよ」


 それを聞いて安心したのか、肩を上下させて大げさにため息を吐く。


「ならいいんだけどさ、大丈夫なの、あれ。さらにネジ飛んじゃってない?」

「また頭打ったからね……CT撮って大丈夫って言われたから、多分大丈夫なんだろうけど。ただ、気負いすぎてるっていうか……頼ってばっかりのおれたちも悪いんだけど」


 結局おれはいつもアイカとナツメに頼りっきりだ。情けない。情けないのが嫌で、逃げるようにここに来てなにかを成し遂げたいと少し焦っている。


「検査入院って言ってたのはそういうことか……あの子、何がしたいんだろう」

「さぁ……」

「というかどうしたの?そんなもの見てさ」

「ちょっとね。ハルちゃんさ、市内に植物園あったのって知ってる?」

「行ったことあるよ、叔父さんと」

「そうなの?」

「園長夫婦が捕まって閉園したけどね」


 世間的には、運営者が捕まったことは周知されている事柄らしい。自分がこの時安曇に住んでなかったから知らなかっただけか。


「自宅で大麻育ててたんだって。植物園で大麻見られるとかじゃないよ、まあ世の中にはそういうところあるみたいだけど。合法的に見られる場所」

「うーん……自分はちょっと遠慮したいかな」


 自分としては、合法であってもあまりそういったものに近づきたいのが本音だ。呼吸器に悪い、とも聞くし近づくだけでなんか調子が悪くなりそうな。


「懐かしいなぁ。叔父に連れられてさ、そのころすっごく紫陽花が見ごろでね。綺麗だったなぁ、雨降ってきてさ二人でぐちょぐちょになりながら帰ってきたんだけど」

「そのくらい普通に見に行くような植物園だったならさ、逮捕されたとき騒ぎにはならなかったの?」

「なったけどさ、あのころこの辺すっごく治安悪かったから。あーまたかーって感じだったんじゃないかな」


 さっきパラパラとめくっただけでも、あれよあれよと恐ろしい事件が多発していたのはよくわかる。確かにあのくらいの頻度で事件が起こっていたら、霞んでしまうのもまあ、理解はできる。

 ちょっといい?と言われ、いま自分がめくっていた分厚い冊子を彼女がめくり始める。


「……本当に多いね、ヤバい事件。あまりにも犯罪率も高いし、市職員の不祥事も相次いだから今治安維持モデル都市なんかになってるんだっけ」

「そうなの?」

「目をつけられたってコトでしょ、国に。まあお陰で財源が潤ってるから、前よりはかなり治安良くなったって聞くけど、それがいいことなのか悪いことなのかはわかんないね」


 だから駅前なんかがあんなに綺麗なのか、と少し納得する。割れ窓理論、と言っただろうか。綺麗な状態を維持していると治安は良くなり、悪い状態を放置しておくとどんどん悪化する、という話があった気がする。


「……治安が良くなることはいいことじゃないの?」

「そうとも限らないんじゃないかな。まあ、大衆にとってはいいことなのかもしれないけれど。そのために居場所を奪われた人たちはどうなるんだろう」


 紙カップタイプの自販機にお金を入れながら、彼女はため息をついた。


「そんなの、絶対歪みが生まれるってわかってるのに、みんなそれが正しいって疑わないんだもんね」

「……ねえハルちゃん」

「なに?」

「どうして、そんなことがわかるの」


 いつもは笑いの沸点が低くて、おどけるのが好きで、ニコニコしているのに、彼女の肚の中がたまにとてつもなく怖くなる。こうやって、目をそらして真面目な話をするとき、いつもどこかを見ている。そして、何故かおれはそれに刺されたような気持ちになる。


「嫌いなの。正義とか、悪とか、大嫌い」

「……」

「そんな簡単に白黒つけられると思ってるの?違うよ、白いのは被害者ごっこを大声でする方。黒いのはなかったことにされる方」


 目の前に、カップに入ったレモンスカッシュを差し出される。彼女はいつもココアを選ぶ。


「ジンセーケイケンが浅いからそんなんなんだよ。大嫌い」

「……なにか、あったの」

「何かあった?違うよ。毎日」

「……ココア、冷めちゃうよ」

「……うん」


 逃げだ。いつも、いつも彼女の何かを開けてしまって、それに耐えきれなくなって逃げる。人の本心を聞くのが怖い、とくに彼女のは聞きたくない。だから、幼馴染のはずなのに、おれは彼女の家族のことも、彼女の本心も、何も知らない。うわべだけの会話で、笑ってごまかしている。


「きらいになった?こうやって大人たちのことをバカにして生きてるのが私だよ」


 嫌いになるとかならないとかじゃなくて、自分の中に彼女にかける言葉が見当たらなかった。それが情けなくて、苦しかった。


「なに、探してるの」

「うちの事件、載ってるのか気になって。今まで気にしてこなかったんだけど、人が調べてるのを見るとつい。10年前の地方新聞の記事なんか、ネットに転がってないからさ」


 うちの事件、という言葉に背筋が冷えた。ずっと怖くて触れてこなかった、彼女が隠しているだろうこと。なにかの拍子に”それ”が顔を出しては、おれはそれから目をそらしている。


「……それは、聞いていいことなの?」

「うちのお母さんがさ、ずっと植物状態なのは知ってるよね」

「うん……」


 さも当たり前の内容を話すかのように、彼女は淡々と続ける。


「叔父さんが刺したの、母さんのこと」

「は……?」


 彼女は、該当の日付のページを見せてくる。そこにあったのはさっき自分がパラっと見た一家心中の記事だった。要介護状態だった70代のご両親が亡くなっていて、容疑者の姉が刺されて重症だと記事には書かれている。犯人は30代頭の男で、口論になって刺したとの供述があったという。


「……なにがあったかは詳しく知らない。おじいちゃんおばあちゃんはもちろん死んじゃったし、お母さんはあれからずっと目覚めない。叔父さんも体が弱かったから牢屋の中で死んだって」

「なに、それ……」


 だって、この間彼女は優しい叔父が好きで初恋だったとか、その人に似ているからおれといると落ち着くとか、そんな話をしていたじゃないか。さっきだって、植物園に二人で行ったって。


「あんな優しかったあの人がそんなことするなんて私はいまだに信じられない。いつもニコニコしてて、ボケ老人二人の面倒看るなんて絶対大変なのに喜んで二人にご飯食べさせてたし、なにかあっても仕方ないなぁって笑ってた。そもそもあの人に人を殺せるほどの力があるとも思えない。……多分、うちのお母さんが余計なことでもやったんだよ。いっつも叔父さんの愚痴ばかり言ってた。定職にもつかないでとか、情けないとか、そんなに嫌いならほっときゃいいのに」

「……なんで……」

「どうしたの?」

「なんで、そんなこと抱えて……笑っていられるの」


 情報量でパンクしそうだった。もし自分が、そんな立場だったら絶対とうの昔に全てを投げ出している。なんで彼女はそんなものを抱えても笑っていられるのか、自分には理解しがたかった。自分の苦しみなんて、ちっぽけじゃないか。


「……折角生きてるんだもん。面白いことが起きたなら笑ってないと損だよ」

「……っ……」


 そんなの逃避じゃないか、本当は辛いくせに笑ってるんじゃないか。それならまだ、辛い顔をして、辛い人間ですと生きてくれた方が、事情を知ってしまったら楽だ。痛々しい。


「これは妄想。多分あの人は死にたくなんてなかっただろうし、もちろん殺したくもなかったと思う。だから、本当のあの人のこと、ハルはちゃんと覚えていたいんだよ。だから、生きられなかったあの人の分まで私はちゃんと生きようと思う。辛いけどね」

「恨んでないの」

「恨んでるし、憎いとも思ってるよ。お母さんがあんなことになってからお父さんもお兄ちゃんもずっとあんなんだし、私の人生台無しだ。正直早くお母さんが死ねばいいなとも思ってる。奇跡でも起きて目が覚めたところで、多分お母さんとは上手くやっていけないから。それに起きたところで叔父さんの悪口しか言わないだろうし、そんなの聞きたくないしね。だってハルに優しくしてくれたのは叔父さんだけだったから」


 死人に口はないのだ。死んでしまったら言われっぱなしで、やられっぱなしだ。ずっと生きてる人間たちのはけ口として、殴り返してこないから散々言われるのだろう。言われたところでもういないから無傷なのかもしれないが、なんだかそれは悲しい気がした。


「ハルね、ちゃんと生きて、天国に行ったら叔父さんに「頑張ったね」って言ってもらいたいんだぁ。天国があるのかどうかわからないけど、あの人がハルのこと見ててくれるならそれで十分」


 そう言って笑う彼女は痛々しくて、でもしっかりと前を見据えていた。


「もう十分、頑張ってるよ」


 自分は、前を向けているのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る