40話 過去は碌でもなく…②
自分の母親は働いていなかった。
海外で働いていたころにオレを孕んでその相手に裁判を起こしたらしい。
こっちに帰ってきてからはその慰謝料とか、養育費で生活をしていた。こっちは元々バリキャリらしく、あっちもそこそこでかい企業の管理職。いま考えるとどんな修羅場だったか想像もしたくない。手切れ金というのか、お金で簡単に解決させてしまうあたり、向こうがそこそこ裕福なのは間違いなさそうだった。もちろん、顔どころか正確なフルネームも知らない。最後に会ったのは、まだ自分が腹の中にいたころだ。
あの家はブランドものの鞄があったのに冷蔵庫の中身は空っぽだった。
あの家はものすごい量の華美な服があったのに、部屋の中はぐちゃぐちゃだった。
「じゃああとでお店いくから~」
「……」
「はぁ、ほんっとろくでもない。ねえ?ユキヤ」
「……しらない」
人は金があると頭がおかしくなるらしい。ある時は出会い系から、あるときはホストを水揚げして、男をとっかえひっかえしながら遊んでいた。夜は大抵ホストにいくし昼間は家で寝てるか男を連れ込んで昼からやってるかの二択だった。大抵昼から酒を飲んでいて、常に部屋の中はアルコールのツンとした香りがしていた。
「ユキヤは綺麗だからねぇ、早く店にはいって稼いでママのこと養ってよ~」
「しらない」
「……誰のお陰で生活してると思ってんの!?なにその口の聞き方!?」
「……」
あの母親にとって自分は金づるで玩具だった。オレがいれば金が入ってくるし、オレがいれば母親という大義名分を手にすることができる。
気分のいいときはホストにしたいだのアイドルにしたいだの頭の悪いことを語って、機嫌の悪いときは当たり散らかすための玩具。よくかわいいかわいいと言われたが、正直周りの子と全く違う自分の容姿が大嫌いだった。
『ユキヤはママの子供だもんねぇ?』
だからなんなんだよ。気持ち悪い。
小学生くらいの時までは親へ情の一つや二つはあったが、どんどんと薄れていって、中学に上がる頃には愛想がかっきり尽きていた。顔を会わせれば罵りあい。家にいるのが苦痛だった。
そんな生活をしているから、学校でもあそこの家とは関わらない方がいいと噂されて、なおさら容姿が容姿だから避けられていた。どこにも居場所なんかなくて、ふらふらと人がいないところを見つけて隠れるように生活していた。
────こんな家、さっさと出ていこう。
嫌になった。全部捨てたかった。
そのあとは定時制の高校に通いながら、朝は新聞配達、昼は飲食店、休みの日は単発バイト……そうやって死に物狂いで働いて、卒業したら親を捨てる準備をしていた。家に帰るのは風呂と睡眠の時だけ、あんなところに居たくなかった。
「もう、ユキヤはそんな汚い仕事しなくていいのにぃ……」
汚いのはどっちだよ。猫なで声で話しかけてくるお前の方がよっぽど汚ならしい。
高校を卒業したあと、なにも言わずに家を出て大学に通った。底辺校の成績トップだから余裕で奨学金はもらえたし、学内でも特待生をもらうため必死に食らいついていた。すべてはあの最悪な生活を捨てるため。遊び歩く同級生たちを横目に、バイトと勉強だけの生活。だから、大学でもほとんどぼっちだった自分が、まさかいまこういった仕事をしているなんて想像もしていなかった。……人に頼りにされることがこんなにも生き甲斐のあることなんて思ってもいなかった。
「……ユキちゃんのこと普通の育ちのいい坊っちゃんだと思ってたわ」
「よくそう思われる、まあ猫被れてる証拠かな?」
見るからにハーフだから金がありそうだとか、身なりはそこそこに整えてるからそう思われるというか。それは自分にとっては褒め言葉だ。ここまで来るのに苦労したのだから。
「……あんたも大変なんだな」
「まあ今は仕事はきついけどあの家にいるよりはマシかなって」
家を飛び出してからは一度も帰っていない。賃貸の契約や、進学のための書類にサインしてもらったから、祖父にだけは自分の居場所を知らせていたけれど、あの人も自分が大学を卒業してすぐ亡くなってしまった。せっかく祖父の住んでいた安曇の役所に受かったのだけど、ロクな恩返しの一つもしてやれなかったことが、ずっと心残りになっている。
「……うん……」
「ちなみに逆らわない方がいいわよ?これでも昔、空手やってたんだから」
「えっ……」
「体格が少しだけしっかりしてたから、誘われてストレス発散にいいかな~って。そしたら県大会いっちゃった」
こればっかりは顔も知らない父親に感謝だ。今の仕事だって不正受給相手だったり、体の動かないおじいさん相手だったりが相手だと体格と筋肉がいる。職場で頼られているのも、自分がそこそこ大柄な男性だからだ。
「オレユキちゃんに一生逆らえねえだ……」
「チーさん体大きいわりには筋肉ないもんねぇ」
「うっ……」
チーさんは身長はあるけど、筋肉というよりビール腹がタプタプになりかけている。そのうち一緒に運動でもしたほうがいいだろうか。
「……オレ、ユキちゃんみたいになれるかな……」
「別に私になろうとしなくていいんだよ。谷垣くんは好きに……」
「家族が嫌い」
やはり、そうだった。端から見たら不良少年の一人かもしれないが、不良なんて一括りにしても、環境のせいでそうならざるをえなかった子と、遊んでいるうちにこちら側にきてしまった子がいる。前者だろうな、と自分自身がそうだったから確信があった。
「……」
「親父は朝からパチンコ打ってるし、家に帰ってきたらビール飲んで寝てるし。かーちゃんは何かしゃべるとキーキー煩くて」
「うん」
「家にいるの嫌だから外に出るけど、かーちゃん機嫌悪いと「学校なんていくから頭が悪くなる」とか「国の洗脳だ」とか暴れだすし。かーちゃんバカだから、多分学校行ったほう正解だよな」
人の親に対してこんな感情を抱いてはいけないのだろうが、正直呆れが出てしまう。皮肉にも環境が酷かったから、今のままではよくないと気がつけたのは不幸中の幸いなのかもしれない。
「もうちょっとでいいから普通に生きたい。やっぱり勉強してないのはおかしいことなんだろ?さっきの反応的にさ。学校行って給食食って、テストで赤点とって、そういう生活がしたい」
「赤点とる前提なんだ」
「わかんないんだもん、オレ。ユキちゃん教えてよ」
教えてあげたい気持ちは山々だった。もし、自分が中学生の時、勉強を教えてくれる大人の人がいたら、どんなによかっただろうかと思うと、放っておくのは忍びなかった。
「……教えてあげるよって言いたいのはやまやまなんだけど自分児童相談所とは別の部署だからなぁ」
「やっぱり、通報するの?」
「どうしたい?」
「わからない」
「一応、私から児相に連絡を入れる。そのあとはご両親に連絡がいくと思うけど、話を聞く限りそうそうわかってくれそうな人たちじゃないね」
「……そうなんだよ」
子供にすらわかってくれる相手じゃないと思われているということは、絶対に意見を曲げないタイプの人だろう。良心を説いたところできっと相手にはならない。強硬的に法的手段に出てしまうのが一番手っ取り早いが、彼の環境を壊してしまうことになる。
「今すぐ、何かを変えたい?」
緊急性のある状況だったら、今すぐにでも動いたほうがいい。けれど、彼は彼なりに考えて生きていける子だ。それなら、彼がどうしたいかを無視するわけにもいかない。……たとえ最悪で大嫌いでも、そうそう情を捨てられるものじゃない。
「わかんない」
「少しずつ、少しずつだけどよくなるように尽力する。君の家庭のことも調べて、自分の担当範囲だったら関わることもできるかもしれない。絶対とは言えないけど」
「……うん」
「嫌になったらいつでもここ来ていいから。ねえチーさん」
「おうよ、いつでも来いよな坊主」
少なくとも、彼がここにきてくれる間は自分の視界の中に入れておける。
「ありがと」
そう笑った年相応の表情を守ってあげたいと思った。
救いたい命がたくさんあった。すべては救いきれなくて幾つもこぼしてしまった。
今でも後悔している、彼をしっかりと掬いあげることができていれば
あんなことにはならなかったはずなのに。
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