32話 纏まらない自我…①


「ねぇ、ママ」

「なに?」

「ママ、なんでぼくたちの本当のお母さんじゃないのに、ママやってるの?」

「みんなのことが大好きだからだよ」



 随分と気絶していたからか、消灯時刻を過ぎても全く眠気が来ない。頭を打っただけなのに、何故か腕に刺さっている点滴が邪魔で仕方ない。

 ぐるぐると先ほどから頭を離れないのは、幼い頃カオリさんとしたやりとりだった。彼女がなくなってから夢に出てきたのは初めてで、最後に話した時から三週間も経っていないのに何故だかすごく懐かしかった。

 怪我以降、彼女のことを母親と呼べなくなった。トラウマなのか、それとも自分の中で許せないという感情があったのか。自分でもいまいち理由がわからないが、どうしても呼ぶことができなくなった。急に呼びかけてこなくなったことに気が付いたのか、名前で呼んでいいと向こうから言ってきたから、それに従うようになった。


「ご飯温めるから、ちょっと待ってて」

「……」


 亡くなる前日。委員会の後、なんだか帰りたくなくて、近くのスーパーの飲食スペースで、閉店時間まで過ごして帰宅した。顔を見ただけで、今日はどこかで食べてきたわけじゃないんだとわかったようで、ご飯を温め直してくれた。


「なんでわかったの」

「顔にお腹すいたって書いてあるから」

「そう」


 年少組は布団の中、年長組は部屋に戻って宿題でもしていたのか、リビングにはカオリさん一人だった。ダイニングテーブルの定位置に座ると、てきぱきと目の前に料理が並び始めた。


「飲み物は?お茶でいい?」

「うん」


 最後に二人分の湯呑みを持って、彼女は向かい側に座った。


「相変わらずお茶好きだね。おいしい?」

「好きっていうか、これしか飲めるものがないし」


 甘いものが苦手だと、自然と飲めるものが限られてくる。いつだか熱を出した時、スポーツドリンクの甘さがきつくて戻してしまった。それ以来熱を出すと、塩分補給に昆布茶が出てくるようになったっけ。6人もいると、食べる量も多いうえに、それぞれ味覚も違うから台所に立つ方は大変だろうなとは思う。


「今から宿題やったら寝るの遅くなっちゃうね。明日大丈夫?」

「終わらせてる」

「偉いなぁ……」

「偉くもなんともないでしょ。やるのが当たり前」

「それが偉いんだよ。アイカは頭いいからね」

「……よくもないでしょ、別に」


 本当に頭がよかったら、わざわざこんな態度とってないだろう。病気と反抗期という皮を被ったただの甘えだ。自分が一番よくわかっている。結局自分は勉強ができる木偶の坊だ。


「私はね。あんまりよくなかったから羨ましい」

「あっそ……」


 二人きりになると何を話したらいいのかわからなくなった。カオリさんは優しいから、オレのことをよく褒めてくれたけれど、素直に返すことができなかった。そうやって、いつも困らせて。


「高校は?どうするの?どこか決めた?自主的に模試とか受けたい?」

「公立ならどこでもいいでしょ」

「そんなことないでしょ。将来どうしたいかとか、大学行きたいなら進学校のほうが良いだろうし、はやいところ就職したいんだったら就職強いところに行ったほういいじゃない」

「……。そういうの、別にないから。飯食えれば十分」

「そっか。まあまだ若いから、やりたいこと見つかったら考えればいいしね」


 彼女はオレのことを否定するようなことを全く言わなかった。ただ、なんだか寂しそうな顔をされた。それなら、どういう風になればいいじゃんと言ってもらえた方が楽だ。


「アンタこそさ、こんなところで親代わりやってて、自分の人生いいわけ?」

「好きでやってるから」


 ずっと血の繋がらない子供の面倒を見ているのだ。よくやっていられるなと思う。プライベートが全くないじゃん、とか、自分の子供はいなくていいの?とか色々聞きたかったけれど、また困らせてしまうと思ってやめた。


「珍しい。指輪なんかして」


 珍しく彼女の指には指輪がされていた。普段からあまりアクセサリーの類をつけている姿を見ないので、物珍しくて視界に入った。


「昔は結構してたでしょ?」

「あ〜。あったかもね」


 抱き抱えられた時、頭を撫でられた時。視界に銀色がよぎっていたような気がする。


「なんとなくね。つけてあげないともったいないなって思っただけ。飽きたらまた外すかな」

「そう。つけてた方がいいんじゃない?わかんないけど」

「うん……そっか。そうだね」


 その後風呂に入って、髪を乾かしてたら手伝ってくれて。随分伸びたね?乾かすの大変でしょ。って……。

 寝るために部屋に行こうとしたら、呼び止められて。オレの方がもう身長が高いのに、頭撫でられて、ガキ扱いするなって言ったら、まだ子供でしょって笑われて。朝起きて、いつもみたいに。



「いってらっしゃい、気をつけてね」



「……ちゃんと、帰ればよかった……」


 自分があの日、大人しく帰ってれば、異変に気付いて助けられたかもしれないのに。

 自分があの日、もう少しだけ早く帰っていれば、防げたかもしれないのに。

 いつかこんな日が来るような気がしていた。だから、あの時は冷静でいられたのに。


「……っ…………」


 思い出すと急に実感が湧いてくる。もう彼女はいないんだ。あの優しかった声も、優しかった手のひらの暖かさも。もうないんだ。

 そもそも、ヒマリがなんでカオリさんを殺したのか。彼女は何を考えていたのか。全て何もわからないままだ。このままだと真相は闇の中へと消えてしまう。どうしてカオリさんは殺されなきゃいけなかった?


「……探さないと」


 わからないままじゃ、前に進めなかった。わからないままじゃ、ずっと後悔しそうだった。

 点滴を力づくで抜いて、抜け出した。




 初夏の夜だから、部屋着にパーカーでも散歩でもしていると思われるだろう。腕からほんの少量だけど血が垂れ流れているがそのうち乾いて止まるはずだ。ベッド脇に置いてあったスマホは流石に充電があまり残ってない。朝方になればチーさんが店にいるはずだから、その頃になったらお邪魔して電源を借りよう。会うな、と言われててももうカオリさんの犯人はわかった。今度はヒマリの件で疑いがかけられるだろうけれど、もういい加減言いつけを守るのも限界だ。殺してないのだから、何をしてもその事実は変わらない。そもそも冤罪をかけられて牢屋にぶち込まれようが、正直構わなくなっていた。

 うっすらとした記憶を頼りに歩き出す。確かこちらだったはずだ。地域の小学生が幽霊屋敷扱いしている古い一軒家。昔一家心中があったとか、幽霊が住んでいる、とかよくわからない噂が飛び交っている。自分も何度か家の前を通ったことがあるが、その時はなにも思わなかったのに。


「……知ってる気がするんだよな」


 頭を打ってまたおかしくなったのか、忘れていたことを思い出したのか。入ったことはないはずなのに、あの家の中のことを思い出したのだ。建物の中にいる記憶しかないのに、あの家だと直感的が繋がった。中に入れば、あの記憶がただの妄想なのか、本当に入ったことがある”記憶”なのかはわかるはず。

 角を曲がればもうすぐその家だ。すると建物の前に人影が見えた。見覚えがある、そしてそれは聞き覚えのある声でオレに向かって声をかけてきた。


「アイちゃん?」

「おはる……なにしてんの」

「…………肝試し。かな」

「まだ早くないか?」

「暇だったから」


 向こうも随分とラフな格好だ。普段は制服か、小学生の頃の可愛らしい服を着ていた印象が強いからか、パンツスタイルの姿を見たことがなく違和感があった。


「……ここでね。昔事件があったんだよ」


 そう言って見せてきたのは事故物件をマップ上に表示しているサイトの画面だった。詳細を見ると、今から約10年前に一家心中と書いてある。小学生の噂は心中で正解だったらしい。


「お前、本だけじゃなくて自分がホラー体験をしたいクチ?」

「……アイちゃんもここに用?」

「来たことあるかもしれなくて」

「え?……そんなことはないでしょ」


 いつも馬鹿みたいな喋り方をするくせに、妙にきつく断定される。


「ハルナにはわからねえだろ」

「……まあいいや。せっかくだし一緒に時期尚早の肝試し、行こうか」


 パリパリ、と地面に転がる枝が折れる音を聴きながら、中に足を踏み入れた。

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