30話 戻れない自我…③

 当時、私は店で働いていた。金が欲しかったから、どんなプレイ内容でも積んでさえ貰えば対応した。


「ねえ、ちょっとヤバイ客いるんだけどさ、変わってくんない?」

「ヤバイ、ってどういう?」

「本番がしたいわけじゃないんだと。他人とコーフンするところが違うから、首を締めて欲しいって。店の中でそういうのやったことあんの、ツジだけでしょ?」

「あ〜……。わかった」


 SMに近いこともよくやっていた。ただ、大抵そういうものには最終的に性行為が絡む。どうやらその客は、ただ単に、首を締めて欲しいと望んでいるようだった。いったいどんなやつだ、と思って部屋に向かったらベッドに座っていたのは、高校を卒業したてくらいの、若くて小さなガキンチョで拍子抜けした。


「本当にいいの?締めるだけで」


 頼まれれば、別に他の行為だって受け付けるつもりだった。けれどガキンチョは「それだけでいいです」と答えた。

 淡々として、落ち着いた声だった。一見ネクラそうに見えたが、その声は凛としていて、帽子の下の顔は少女にも見えなくもない。ただ、異様なまでに細くて白いその肉体は、もうすでに生きた人間から逸脱しているように見えた。


「死ぬと思ったら左手を動かすこと。あと、私の判断でこれ以上やったら死ぬと思ったら止めるから」

「ありがとうございます」


 少年を布団に押し倒す。帽子の中に隠していたのか、男にしては長い髪が散らばった。首も細くて白くて、脈に触れるまで本当に生きているのか不安になった。しかし、薄皮の下の体温は意外にも高かった。

 首の動脈を押さえつけているだけなのに、声を出すとはこいつは相当そういう趣味らしい。視界の上の方にうっすらと見える表情は本当に扇情的で、気持ちよさそうで、さっきの死人のような人間と同一人物と思えなかった。どこか冷静に、こんなものでも需要があるのだなと知った。




「すごいですね……呼吸はちゃんとできるのに、意識が飛びそうだった。気持ちよかった」


 息を整えながら、紅潮したした頬と先ほどよりも生き生きとした瞳で、先ほどまで私の指が触れていた首筋を撫でる。こんなことで喜ばれるのもどうかと思うが、真っ白の幽霊人間よりはマシだった。


「ヘタクソは気道を締めるんだよ。ヤってる最中にするなら、押さえるのは血管の方だ。その分危険もあるけどな」

「なるほどなぁ……勉強になります」


 本当に感心しているという表情だった。セックスをしてくる男たちに感心なんてされないから、なんだかむず痒く感じた。

 それが、先生との出会いだった。正式な診断は降りていないものの、俗にいう異常性癖というやつだ。


「死にたくて、死にたくて、どうしようもなくなるんです。別に、本当に自殺しちゃうような人たちみたいに、何か辛いことがあって思い詰めてるとかじゃなくて、衝動的。というか。死にかけないと気持ちよくなれないんです」


 自分もそのような人間に会ったことはない。もしくは会ったことはあるのかもしれないが、打ち明けられたことはない。想像しようとしても、なかなか理解が追いつかなくて性欲が死ぬことに向いていると解釈するしかなかった。


「だからうちに来たのか。首を絞められて気持ちよくなっても許されそうな場所」

「すみません。本来の用途とは違うのはわかってるんですが……SM願望ともちょっと違うんですよ、縛られたり叩かれたりは好きじゃないんです。痛いのが良いんじゃなくて、死ぬような目に遭いたい」

「……でも、死んだら親御さん、悲しむんじゃないか」

「そう、なんですよね。……それが、それが嫌で、死にたいのに死にたくないんです。おれ」


 親の話になった瞬間、さっきまでの異様に興奮していた青年の顔から、ごくごく普通の子供の顔になった。


「世間的に行われてるような自傷行為とかじゃ全くおさまらないんです。……それに、親にこんなこと言えないじゃないですか。でも実家暮らしだから、精神科にかかったらバレちゃうし、これ以上通院増やしたくないし。それに散々迷惑かけてきてるんです。これ以上は……」


 なんだかその姿を見て、妙に心配になって、それ以来先生の話を聞くようになった。それでなにか気が紛れるのなら。と思った。向こうも、私の生活になぜか興味を持ったらしく、お互いの利害が一致した。

 大人になるにつれ、そういう衝動はだいぶ落ち着いてきたようで、今では一般的に言われるエロいものもまあエロいと感じるくらいには順応しているらしい。それを聞いて、話を聞いてきてやった甲斐があると思った。




「若い頃ってどうしても、性欲が抑えられない時期ってあるじゃないですか。おれの場合はそれが死にたいって感情になってしまうので。どうしようもなくなって、感情をひたすら別の人格に当て込んで切り離したんです。それがなんか、高校の文芸の大会で賞を貰っちゃって。本にもなって。……いままでなんもできなかったおれが、初めて認められた感じがしてすごく嬉しかった。できた背景がこんなんだと喜んでいいものかとは思いましたけど。そしてなにより親が喜んでくれたんです。才能がある、って。……残念ながら、なかったみたいですけど。期待に答えられなかったな、なんもできないままだ」


 そういってまた自嘲気味に笑う。そうされると、私は何も言えなくなるのだ。きっと彼も、何も言われたくないからその態度を取っている。


「今もまだ、死への憧れはあるのか?」

「……完全に無い、とは言い切れないです。でもそれよりも、せめて両親が死ぬまでは看取ってやりたい気持ちの方が今は大きいかな。親の期待にも答えられなくて、私立大学なんて無駄な金を使わせて。だからまあ、可能な限りは。というかできるのであれば看取るまでは手放す気はないですけどね」


 その態度を人は自己犠牲的だと表現するのかもしれないが、昔の目も当てられない様子を見ているからか、これでも彼なりに十分前を向いて生きているのだ。私にはさっぱり理解できないが。


「親御さんのためにも、やっぱり一発、ドカンとヒットしないとダメだね」

「……そうですね」


 決して、悪い人じゃないのだ。私も、先生も、生きにくいだけ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る