18話 2番目の犠牲者…②
「……なんで床に転がってんの」
「あっおはよ、体調は?熱は下がった?」
ガラガラ、と引き戸が開く音がしてミタカが起きてくる。随分ぐっすり寝てたのかまだ少し眠たそうだった。
「7度2分……ゼーゼー言わなくなったから大丈夫だと思うけど、そろそろ吸引なくなりそう」
「あ~……病院への外出許可もらわないとだな」
「……アイカ、体調悪いの?てか床じゃなくて布団で寝ろよ」
呆れきった顔で足元に転がる弟を見る。
「お前が寝てるから気にしてこっちで横になったみたい」
「そう……」
さっきまで寝ていた部屋に戻っていって、また休むのかなと思ったけれど、薄い毛布を持ってきてアイカにかけ始めた。
「はぁ……風邪ひくとか考えられないのかな。バカ」
「さんきゅ」
「……別に」
なにかかけられた感覚はあったのか、アイカはそのまま毛布にすっぽりと隠れていく。
「エアコン下げすぎたかな、それとも明るかったか」
「……昔っからそう、頭まで毛布被らないとぐっすり寝れないの」
「よくわかるな」
そういえばあの時も頭まで被っていたかと、保健室に迎えに行った時のことを思い出す。
「そりゃ……何年間も同じ部屋で寝てればわかるよ。怪我の前までは大人用の布団で一緒に寝てたし。目が覚めると顔が枕の上じゃなくて布団の中にあるの、多分そうじゃないと落ち着かないんだろうな」
「なぁんだ、まだかわいいところあるじゃねえの」
「……」
「ミタカ?」
「……この間さ、かわいい弟がぐれて寂しいんだろって、ナツメ言ってたじゃん」
「あ~……」
言った。ちょっと失言だったかもとちょうど反省していたところだ。
「認めたくないけどね、どうせ本音はそんなところなんだよ。……おれ昔からずっとアイカに迷惑かけてたじゃん。だからアイカが事故に遭ったときおれが助けてやらなきゃなって思って、介助とかさ結構やってたんだよ。形式上はおれの方が年上なのに、何もしてやれなくて辛かったから」
「そういえばそうだったな」
ミタカは良くも悪くも病院慣れしていたから、学校が終わると一番最初にアイカと母さんのいる病院に、なんの抵抗もなく見舞いに行っていた。オレはあの以上に広い建物とか、具合の悪そうな人がたくさんいる待合室とか、点滴を引っ張って歩く人たちになにか気圧されてしまって苦手だったのだけれど。
「……なんか、それが癪に障ったのかな。……おれは看病されるのに慣れてたからそんなこと全く思ったことなかったんだけどさ『みっちゃん、ぼくのことバカにしてるでしょ。自分より弱くなったって』って、キレられた。今ならそんなこと言われても気にしないけどさ、当時の俺にとってアイカって一番歳が近いし、部屋も一緒だし……。遊ぶ時も、登下校も基本一緒だったから、ちょっと特別だったんだよな。一番近くでわかってくれる存在だと思ってたから、そんな風に言われたのがショックだった」
「……多分、それが悔しかったんだよ。何もできなくなったのが。だから一番当たっても許してくれそうだったミタカに当たっちゃったんだと思う」
「……そうだね、今ならおれもそれで納得すると思う。……もちろんフォローはされたんだ。母さんが『アイいまちょっと機嫌が悪いだけなの、ごめんね』って帰り道に謝ってくれて、おれがせき込むのと同じで、アイカは怒りっぽくなっちゃっただけだって。実際そうなんだけど、気持ちの病気って割り切るにはちょっと難しいよね。本人だって好きでこうなったわけじゃないって理解はしてるけど、こっちの気持ちがさ。いまだに医療技術が発達して、完治したら前みたいに戻れるかなって思っちゃうし。治る病気の方が少ないのにね、おれだってそうだ。……普通に顔合わせて会話できたらいいのに」
それはオレだってそうだ。怪我なんて絆創膏を貼って清潔にしてれば治るようなものしか知らない。怪我したせいで、性格が変わるなんてことあるんだって、最初は驚いたし慣れなかった。
「……ミタカはさ、アイカ以外と喧嘩することってある?例えば、母さんとか」
「覚えてる限りでは全然」
「オレはある。兄貴と一緒にどんぐり拾ってきて家じゅう虫だらけにしたり、テストで酷い点とったり」
「悪ガキ?」
「うーん……否定はしない。で、マジでないの?」
「だって、おれそういうことしないし。怒られたら大抵おれが悪いじゃん」
「反抗期は……なかったな……」
覚えてる限りミタカにそれがあった記憶はない。見た目の割に気は強いけれど、基本的には大人しくて穏やかだ。
「親の言うことを絶対とまでは思わないけど、別に母さんはおれが納得いかないことを言ったりもしなかったし。それにほら、迷惑だろ。おれなんて」
「……何が?」
「実の子供でもないのにさ、こんな体弱い子供の面倒なんて見てられないでしょ。普通」
「……そんなことはないだろ」
自分だってそれこそ休む部屋数が少ないとか、どいつもこいつもバタンキューしていると頭を抱えるが、別に迷惑とまでは思ったことはない。それがオレたちにとっては当たり前なのだ。
「……アイカ、自分の親のこと覚えてるんだっけ?あの時言ってたよな」
「うん」
またそれを引っ張るのか。言ってしまった後これがバレたらアイカにドヤされるとちょっとひやひやしているのだけれど。
「……殴られた記憶がある」
「……誰に?」
「おじいさんだった。おじいちゃんか、ひいおじいちゃんか、わからない。そもそも血縁かもわからない。ただただ殴られた。『逆らうのかバカ者が!役立たずが!』って、怒鳴りながら」
「……ここに来る、前?」
この家にそんな人はいない。それに、いくら治安がよくない町とはいえ、その辺に住んでいる住人がそんなことしたら流石に警察沙汰だ。
「多分、そうだと思う。でもそれくらいしか覚えてない。ただ変な夢だったから覚えてるだけかもしれない。だから別に、この記憶がどうこうって思ったことはない。今は……この間までは平和だったからそれで良かった」
「……そっか」
「こんな、こんな生きてるだけで迷惑をかけるような人間をさ、見捨てずに育ててくれたってだけでも、俺は母さんに頭が上がらないし……ナツメにも感謝してる。ごめん、いつも」
「いや、オレもさ、料理できないし、ずぼらだし……それに、誰もミタカのこと迷惑なんて思ってないよ」
「……ありがとう」
「……あのさぁ、寝てる本人の前で噂話するの、やめろっての」
「いつから起きてたの?」
「……覚えてねぇ」
確かに、言われてしまえば、本人の前でその人のことを話すのは失態だった。しかもオレを挟んでよりによってこの二人。最悪だ。どうフォローしようかと頭をフル回転させる。
「……悪い。”それ”言ったの全然覚えてない」
「何のこと?」
「バカにしてるでしょ、ってやつ」
「随分前から起きてたんだな……」
聞かれちゃまずそうなところまでばっちりと聞かれていた。随分と狸寝入りが上手い。バツが悪いのか、さっきからミタカは黙ったままだ。
「はぁ……オレが言ったこと、いちいち真に受けなくていいから。聞くだけ無駄。オレも何言ったか覚えてらんねえし」
「……」
「オレも気にしねえから、お前も気にすんな…………。それだけ」
かかっていた毛布をずるずると引きずりながら、別の部屋に入っていく。
「ちゃんと、布団で寝なよ」
「……わかった」
かたん、戸が閉まる。緊張でもしていたのか、ミタカは深く息を吐いた。
「……おれの言うこと素直に聞いたの、随分と久々だな」
「いいんじゃないか?やり直すってほどでもないだろ。昔あれだけ一緒だったんだから」
「……どうだろうね」
その言葉には、安堵が含まれていたように思えた。
まだ微熱があるんだからいいよ、というオレの静止は聞かずに、ミタカが全員分の夕飯を作ってくれた。最近はほとんど警察の人たちが持ってきてくれる食事ばかりだったので、出来立ての手料理はおいしかった。
何より、オレとしてはみんなでご飯を食べている時に、アイカもいるってことがうれしかったりしたのだが。……事件が解決して、そしたらもしかしたらバラバラになってしまうのかもしれないけど、そうなってもオレにとってはこれが家族だ。
そう思っていた束の間の出来事だった。
「ナツメ!起きろ!」
「……なに……」
あたりは真っ暗、スマホには3時と表示されている。
「……あれ?」
ヒマリがいない、どうして。リビングからの明かりでうっすらと見える緊迫したアイカの表情、嫌な予感がする。なに、もうやめてよ。
「……っ……意味わかんねえ」
「ねえ、アイカ。なにがなんだっていうの」
「……ベランダ、人が倒れてる。……小さい子供」
小さい子供?倒れてる?小さいじゃわかんないよ、赤ちゃんだって小さいし、中学生だって小さい子は小さいじゃん。
「……多分ヒマリだ。かなり酷い。オレも流石にあれは直視すんのきつい。あんなんじゃもう死んでる。警察への連絡はするから……おい、見るなって!!」
思わずリビングから飛び出した。勢いよくカーテンを開く、見るなと後ろから声が聞こえるがそんな、嘘でしょう?冗談だって言ってよ。
……部屋の明かりでうっすらと照らされたものが見えた。横たわってる人?こんな赤くてぐちゃぐちゃなの、人なわけないじゃない。ねえ、ねえ。
「なんとか言ってよ」
「……もう、見るな」
「無理、動けない」
肩を力づくで捕まれ、体制が崩れる。上手く脚に力が入らなくて尻もちをついた。ごん、と床に響く音がする。
「頼むから!………………オレだって、こんなのはもう嫌だって」
「……」
「こんなのもう嫌なんだよ、なんで、またこんなのばっかり、オレがなにやったって、どうしたってダメじゃん」
「……アイ?」
「こんなんで……こんなのばっかりで、どうしろっていうんだよ!!」
「……」
わからないよ。オレだって、わからない。
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