箱庭のリインカーネーション
籾ヶ谷榴萩
1章 Der Anfang vom Ende
1話 懐疑者の疑問
今度こそ、家族のことを大事にしたかった。
────はずなのに。
「ごめんね、──さん」
おれは、彼女の胸に、包丁を突き刺した。
━━━━━━━━…………
カシャ、カシャ。
現場の写真を刑事が写真に収めていく。テレビドラマでしかみたことがない光景を、まさか自分の住んでいる家で見ることになるとは思っていなかった。
「ねえ、まじで、これ現実なのかな……」
「ねえミタカ、なんか言ってよ……」
「ごめん」
兄弟、家族、と言っても、この家はごくごくありふれた一般的な家ではない。おとぎり苑……全国に約600箇所ほどある児童養護施設、言ってしまえば孤児院の一つだ。
おれは
おれはどこか夢でも見ているような感覚で、白いチョークに囲まれた女性の姿を見ていた。
おれ”たち”の母親、カオリさん。
胸から腹にかけて、刃物で刺された跡があって、体から溢れた赤いものは黒く変色していた。仰向けにだらり、とした体勢で倒れている。
誰かが侵入した形跡はなく、母が倒れていた場所が寝室ではなくリビングダイニングだったことから、起きて部屋を出たところを刺されたようだった。
*
下の階から悲鳴が聞こえて、おれとナツメがふらふらと階段を降りて目にしたものは、半狂乱になって泣き叫ぶマオ……
「夢だよね?」
先に口を開いたのはナツメだった。自分の頬をつねったようだが、目は覚めなかった。
「夢じゃ、ないでしょ」
「じゃあ、なんだって」
早朝の空気は冷たくて、どうしても呼吸すると気管がひりひりと痛む感じがする。痛覚が働いているということは、これは現実だという証明でもあった。持病の空咳が出そうになるのを深呼吸で抑える。
こんな状況、人生でそうそう見る機会などない。膝が笑って、頭が全然回らなくて。目を逸らしたいのに、広がる光景から目を離せないでいた。
「……お前ら、朝からなにしてん……」
6時を回った頃、かちゃり、と鍵が開く音がしてアイツが家に帰ってきた。
「アイカ、あの……」
いつも通り不機嫌そうな顔で、パサリと被っていたフードを脱ぐ。
「なんかあったか」
「見ないほうがいい」
ナツメの制止も聞かずに、彼は呆然としているおれたちの輪にずかずかと入ってきた。
「……あー……」
彼は驚くほど冷静だった。いつかこんな日が来ると知っていたのではと疑いたくなるほど、驚いた様子もなく淡々としていた。
「警察は?……見れば手遅れだってわかるけど、救急車は?呼んでるんだろうな」
「え、えと」
「呼んでねえのかよ馬鹿」
どうしてそんなことすら思いつかなかったのだろう。もしかしたら、呼んでいたら助かったかもしれないのに。……いや、きっとおれたちが気がついた頃には時すでに遅しだっただろうが。
「……ごめ」
「誰がやったか見たか?」
「見て、ない。……マオの声がして、降りたら、こうで」
「どのくらい前」
「1時間、くらい」
「じゃあどの道手遅れか……ったく、随分と不自然な刺し傷だな」
はぁ、と呆れたように大袈裟にため息をついて見せ、彼は遺体に手を合わせた。おれたちも慌てて続くように合わせる。当たり前のことだというのに、それすらできないほど動揺しているらしい。
「不自然?」
「だってこんな真っ正面から刺されて、物音がそんなにしなかったなんてあるかよ。寝てたならともかく、ここで刺されたってことはカオリさんは起きていたところを刺されたんだろ。相手が屈強な男でもなければ抵抗できるはずだし、逃げることだってできるはずだ。叫び声も聞こえなかったんだろ?」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「ったく、てかさっさとどっかに通報しとかないと疑われっぞ」
疑われる?どうしておれたちが?
「鍵はオレが開けるまで誰か開けたり閉めたりしたか?出入りした音は?」
「……とくに、ないとおもう」
「なんもしてないんだな、わかった。ほとんど密室ってことはそしたら真っ先に疑われるのは」
「オレ、たちってことか」
ナツメが蒼白になった顔色で続ける。
「そう。それに正面から刺されて抵抗してないってことは、虚をつかれた可能性だってある。それなら、施設の人間がやった可能性だってあるだろ。彼女だって子供がそんなことしてくるとは思わないはずだ」
「それは!でもそう結論づけるには早すぎるだろ。家族だぞ」
まさか、そんなわけがないだろうが。家族を殺すなんてそんなことあるわけじゃないじゃないか。昨日までそこそこ普通の家族のように過ごしていたというのに。
「ったく……オレがいまから警察に通報するからお前らはガキたちを起こしてこい。現場は見せんな」
彼の言うままおれたちはそれに従った。警察への通報も、まるで慣れているように淡々と状況を伝えていた。
「……はい、お願いします。安曇市の宮小町5丁目にある……はい、おとぎり苑です。今現場には高校生二人、中学生一人、小学生が三人います。すみませんが小学生たちの……すみませんお願いします。お待ちしています」
ぴ、という音がなり通話が終わる。普段の口の悪さがナリを潜め、随分と大人びた話し方をしていた。
「……ごめん、ありがと」
「今から来るって、お前らは現場を荒らすな……カズとヒマリは?」
「ナツメが今起こしてる」
「ヒマリはナツメと同じ部屋だから、まあ物音とかしたらある程度はわかるわけだろ。問題はカズか、マオがあんな状態じゃまともに話は聞けねえな。というかガキ同士でアリバイ工作してる可能性もあるわけだし……」
「……お前、母さんのこと刺したの、本当にこの中にいると思ってるの?」
話しぶりからすると、言っていることはアリバイがあるかの確認というよりも犯人捜しだ。
「知らねえよ、ただ一番やりやすいのはこの中のやつだろ」
「やりやすい、って……そもそもおれらには母さんを殺す理由がない。家族だろ?疑うなんて最低じゃないか」
そもそも捜査もなにも始まっていないのだ。おれもナツメもそんなことをする人間じゃないし、そもそもマオたち小学生はいくら力はついてきたとは言えども、成人女性を殺すなんて早々簡単にできるわけがない。外部から侵入されて殺されたとみるほうがどう見ても自然だ。そもそもどうして家族同士で、殺人なんてやらなきゃいけなくなるんだ。母さんに刃を向ける必要がどこにある。
「お前がないって思ってるからってこいつら全員がそうだとは限らねえだろ」
「……なに?」
「そういうところ、マジで気持ち悪い。家族を大事にってサムいんだけど」
気持ち悪いって、そうやってすぐ反抗する態度に腹が立つ。おれがなにか間違ったこと言った?ごくごく普通に当たり前のことを言っただけだろう。
「そんなこと言ったら、おれからみたらアイカが一番怪しいんだけど。今日だってこんな時間に帰ってきてさ、今まで何してたか言ってごらんよ。おれたちが起きるまで隠れてたんじゃないの?」
「単細胞」
「疑われるようなことをしてるのはお前だろ?何時だと思ってるの?いっつもそう、まだ中学生でしょ!?」
帰ってきたふりをして、ずっと殺した後外に隠れてただけかもしれないじゃないか。殺人犯は現場に戻ってくるとか、最初に通報するとかよく言われている。確かに呆然として何もしなかった自分たちにも疑われる理由はある。けど自分がその場にいなかったからって家族に犯人がいると決めつけてくるのは流石に酷いだろう。
「家族だ?赤の他人だろ、血もつながってないんだから」
「そうやってすぐ、帰る家も食べれる飯もあるくせに「オレは孤独です」みたいな顔して、甘えてるのはどっち?そうやって自立した気になるのは生意気なんじゃないの?母さんがいないと何もできないくせに」
「ちょっとこんな時に喧嘩しないでよ」
売り言葉に買い言葉、流石に見てられなくなったのかナツメが止めに入る。確かにここですることではないし、今口論してもどうしようもない。
いつもこうだ。顔を合わせれば喧嘩、喧嘩。基本的に口喧嘩以上に発展することは少ないが、それにしても気持ちのいいものじゃない。アイカに限っては外では実際殴り合いでもしてるのかって傷を負って帰ってくることもあるけれど、聞いたところで全く答えてくれない。昔はもっと素直だったのに。
彼がああなってしまったのはあの時からだ、ずっと前、━━━━あの時も血だまりを見た。頭から流れ出す鮮血。思い出すだけで吐き気がする。あんなこと起きなければ……アイカはこうはならなかったはずなのに。
「しばらく、君たちにも捜査に協力してもらうことになると思う。まず、我々が手配した部屋にしばらくいてもらうことになるけど……大丈夫かい?」
もしかしてまだ息があるかもしれない、なんて希望はたやすく崩れ去って、母さんの遺体は警察に引き取られ、施設は殺人現場として立ち入り禁止になった。気が付いた時に救急車を呼んでいたら助かったのだろうか、あの状態ではもう遅かったのはわかりきっていることだが、自分の脳は現実を受け止められていないらしい。
「とてもみんなショックを受けてるだろうし、できることならサポートするから、よろしくね」
そう微笑んだのは今回の事件を担当する、検察の斎藤さんという優しそうなおじさんだった。
「狭いんだけど、しばらくここで過ごしてもらってもいいかな?」
そう連れてこられたのは、施設から歩いて5分程度のところにあるごくごく普通の市営住宅だった。幸い部屋が一つ空いていたらしく手配がしやすいことからこの部屋があてがわれた。狭いといってもリビングとキッチンともう二部屋、十分な広さがあった。男女で別れればまあ寝れはするだろう。
「君が厚海さんだよね。大変だと思うけど年上だから我々との連絡をお願いしてもいいかなぁ」
「はい」
「オレもいいですか」
ナツメが斎藤さんに呼ばれ、携帯の番号を交換している横に、アイカが混ざる「ああ、通報してくれたのは君だったね」と斎藤さんは声をかけていた。
「ずいぶんと冷静なんだね、大人っぽいなぁ」
「……現状が飲み込めてないだけです」
飲み込めてないだけ、なんていうけれどそれにしてはずいぶんと慣れていた。
……さっきは口論になって思わず言ってしまったけれど、本当にこいつが殺したんじゃ。そんなことはあるはずがない。流石にそんなやつじゃない。今まで一緒に暮らしてきた人間を疑うなんて、最低だ。家族で殺し合うなんて、そんなことありえない。
━━━━でも、おれから見たら一番怪しいのはどうしようもなく彼だった。
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