朋友と氷柱

 プロスパラス学舎に入塾してから、「巡り」がひとまわり過ぎた。


 ローザリアの人たちは「巡り」に沿って暮らしている。それは前から聞いていたけれど、塾に入ってからはそれがとってもよくわかるようになった。

 一つの巡りは六日、五つの巡りで一ヶ月。十二月が終わると、どの月でもない「うるう」の日が何日かあって、その後で新しい年になる。……という暦の数え方は、もとの村にいた頃もローザリアに来てからも一緒だ。でも村にいた頃、「巡り」はあんまり気にしたことがなかった。天気がよくなれば働いて、雪や雨が降れば家に籠る、そんな暮らしだったから。

 でもローザリアの人たちは違う。

 巡りの六日に、それぞれ神様の名前を付けている。「イグニス」「アクア」「アルボル」「フェルム」「テラ」そして「ルークス」。そのうち「火」「水」「木」「鉄」「土」の五日を働いて、「光」の日にはお休みすると決めている。

 塾の時間割も全部「巡り」にあわせて決まっていて、わたしがお勉強するのは五日のうち三日、「火」「木」「土」の昼から夕方にかけてだ。残りの「水」と「鉄」の日は、訓練場で剣術のお稽古だ。

 今日は「木」の日、巡りの真ん中。沢山の人たちがローザリアの大通りを忙しそうに行き交っている。野菜でいっぱいの籠を天秤棒でかついでいるお兄さん、羽飾りの帽子をかぶった賢そうなおじさん……その中に見覚えのある背中を見つけて、私はどきっとした。

 白くて長いスカートと、白い長袖の上着。王立治療院の人たちがいつも着ている服だ。王立治療院に若い子は何人か働いているけれど、こんなに綺麗な金髪の子はひとりしかいない。

 小走りに駆け寄ると、わたしが声をかける前に、碧い眼の綺麗な顔が振り向いてくれた。


「あれ、誰かと思ったらアリサじゃない。しばらく見なかったけどどうしたの?」

「あ、えっと、それは……それよりイリーナ、どこかへお買い物?」


 イリーナは、わたしと一緒に人買いに捕まっていた子のひとりだ。助け出された後はローザリアに移り住んで、王立治療院で働いている。院長のマグノリアさんからも、真面目な子だとよく褒めてもらっていて、わたしもちょっとだけ鼻が高い。奴隷の子でもがんばれるんだって、イリーナを見ていると思えてくる。


「ううん、今日はお勉強。できるようになったらお給金をあげてもらえるんだ」

「イリーナも字の勉強してるんだ?」


 言うとイリーナは、綺麗な青い目をぱちくりとさせた。


「イリーナ、わたしなにか変なこと言った……?」

「いや、変じゃないけど……でも違うよ。私が勉強してるのは、お金の計算と帳簿のつけ方だよ」


 今度は私がびっくりする番だった。


「イリーナ……そんな難しいこと、できるの……?」

「できないから勉強してるんだよ。足し算はだいたいできるようになったけど、繰り下がりのある引き算がまだちょっとわからなくて」

「いや……それでも十分すごいよ……」

「そういうアリサは、字の勉強をしてるの?」


 ちょっとぼーっとしながら、わたしは何度も頷いた。


「まだ全部は覚えられてないけど……イリーナはもう読み書きができるの?」

「できるよ。お薬のラベルとか読めなかったら、治療院でお仕事できないし」

「それもそうだね……」

「そういえば、アリサは何のお仕事してるの? 字が読めなくても大丈夫なお仕事?」


 少し考えて、わたしは答えた。


「言われたことをするだけなら大丈夫だけど、もっといろんなことをしたかったら読み書きできないとダメ……って感じかな……」

「あーわかる。治療院のお仕事も、掃除やミント摘みだけなら読み書きいらないしね。でもそれだとお給金安いままだし……お給金上げてもらえるといいね、アリサ」


 そこでお互いに一礼して、わたしたちは別れた。

 家々の壁を伝う咲きかけの薔薇をちらちら見ながら、大通りを東へ歩いていく。中央政庁を越えてしばらく行ったあたりで、ふと後ろを振り向くと……すぐそこにイリーナがいた。


「あれイリーナ、なにか用?」

「だってアリサが、ずっと私の前を歩いてるから。……アリサ、どこへ向かってるの?」

「イリーナ、プロスパラス学舎って知ってる?」


 イリーナは大きく頷いた。


「私もだよ。まさか、同じ所でお勉強してるとは思わなかった……」


 顔を見合わせて、わたしたちは大声で笑った。




 ◆ ◇ ◆




 塾に着くと、イリーナはすぐ教室に行ってしまった。けれどわたしの方はまだ時間があったし、コリン先生も他の授業に出てるみたいで、しばらく待っていてくださいと言われてしまった。

 読みの練習も兼ねて、わたしは廊下の扉ひとつひとつの横に掛かった黒板を見てみることにした。先生たちは教室に入る時、ここにいろいろなことを書いてから授業を始める。たぶん、その時なにをやっているかの案内なんだと思う。

 最初に、いちばん手前の教室のを見る。


「ち……がく。……なとれ……」


 うーん、よくわからない。半分くらいの字が読めない、やっぱりまだまだだ。

 次の教室のを見てみる。


「ばん……じゅつ。こおり……」


 あ。

 やっと、意味のある言葉を読みとれた、かも。

 氷……ひょっとして、ここでは氷に関係のある何かをお勉強してるんだろうか?

 と、思ったとき、急に教室の扉が開いた。あわてて横に避けると、私と同じくらいの歳の子が二人連れ立って出てきた。あーぁ、と大声であくびをしながら、腕を伸ばしてぐるぐる回している。


「はー、つかれた~……」

「補講回避おめでとさん。って、わたしもだけどさ」

「センセー厳しすぎなんだよな……そのくせ説明わけわかんねえし。『純化』のところとか、あの説明で分かれって方が間違ってるって」


 よくわからない話をしながら、二人は玄関の方へ歩いていく。

 何をやってたのか気になって、わたしは教室の中を覗いてみた。すると中にはまだ、生徒と先生が一人ずつ残っていた。大きくて頑丈な机の上には白い大皿があって、周りには瓶や本や巻物や、使い道のわからない道具がたくさん並んでいる。わたしより少し年上に見える生徒さんが、震える手を空っぽの大皿の上にかざしていた。


「十回目……はじめていいですか」

「どうぞ」


 生徒さんの震える声に、先生の冷たい声が答えた。

 生徒さんはゆっくりと、意味のわからない言葉を唱え始めた。唱えながら瓶の中身を大皿にあけて、よくわからない道具でかき混ぜる。大皿の真ん中に、小さな青い火が灯った。


 あ。

 これって、万象の力の「氷」だ。


 わたしはすぐに気がついた。いつも使ってる力だから、間違いようもない。

 青い火はだんだん大きくなって、それと共に氷の力も強くなっていく。強いといっても、いつもわたしが訓練場で的に飛ばしてるよりはずっと弱くて、わたしのを点けたての松明たいまつの火とすれば、目の前のは消えかけた柴草一本ぐらいのものだけれど……でもそれは、確かにわたしがよく知っている力だった。

 なんだかうれしくなって、わくわくしながら見守っていると……柴草一本分の力は、誰かに吹き消されたみたいに溶けてなくなってしまった。


「だめでしたね。……すみやかに、受付へ補講願を出しておきなさい」


 先生が冷たく言った。


「あと一回。あと一回、お願いします」


 生徒さんが頭を下げる。


「何度やっても同じですよ。もう十回も、同じ間違いを繰り返しているのに」

「どこがおかしいか、教えてくださったら直します。このうえ補講分の学費がいると、父に知れたら――」

「直すために補講が必要なのですよ。次の授業もあります、早く退出なさい」

「先生、しかし……!」


 どきっとした。

 ひょっとしてこの生徒さんは、いまここで氷を出せないと、学費が払えなくなっちゃうんだろうか。胸のあたりが、締め付けられる。

 わたしがプロスパラス学舎に来た時のことを思い出す。お勉強したくて、少しでも賢くなりたくて、大事なお金を使ってここに来たのに……途中で続けられなくなったら、どれだけ悲しいだろう。悔しいだろう。

 と思ったとき、ふと、ひとつの作戦が頭の中に浮かんできた。もしこれがうまくいけば、あの生徒さんは補講を受けなくてもいいかもしれない。勉強を続けられるかもしれない。


「あ、あのっ!」


 思いきって声を上げると、先生と生徒さんが一斉にわたしを振り向いた。


「あと一回だけ……やらせてあげてください。十回だめでも……十一回目はできるかもしれないです」

「誰ですか、あなたは」

「ここの生徒です……万象術に興味があって、ちょっと覗いてみたんですけど」

「この講義に関係する生徒ではありませんね? 関係あったとしても、これはあなたの関与するところではありませんが」


 ふん、とひとつ鼻を鳴らして、先生は立ち去ろうとする。わたしはその前に立ちはだかって、大きく両手を広げた。


「お願いします、あと一回だけ! きっと、前とは違うはずですから!!」


 先生が、険しい目つきでわたしをにらむ。後ろでは生徒さんが、目を丸くしてわたしの方を見ている。

 あのひとのお勉強のためにも、わたしは、ここで退いちゃいけない。

 そう思って全力でにらみ返すと、先生の目つきが急に緩んだ。


「しかたありませんね。再度の実験は時間の無駄と思いますが、押し問答はもっと無駄です。……十一回目、見せていただきましょうか」


 わたしは飛び上がった。


「ありがとうございます!」


 生徒さんは少しだけとまどっているようだった。わたしと先生を交互に見つめた後、深く頭を下げて、瓶や道具をもとの位置に戻し始めた。

 見ながらわたしは、そっと腕まくりをした。あのくらいの力でよければ、服を全部脱がなくても十分だ。


「それじゃ、十一回目……いきます」


 生徒さんがあいかわらずの震え声で、よくわからない言葉を唱える。さっきと同じように瓶の中身を大皿に注ぐと、道具でかき回すうちに、かすかな氷の力が生まれてきた。


 今だ。


 わたしは軽く目を閉じて、むき出しの両腕に集中した。世界に満ちる「万象の力」が、肌を通してわたしの中に入ってくる。今は服を着ているから、いつものように全身に満ちはしないけれど……でも、あの柴草一本くらいの力なら、このくらいでも十分だ。

 集中の先を、自分の腕から机の大皿へ移す。大皿の上には、いまにも消えそうな青い炎が頼りなく揺れている。

 そこをめがけて、わたしは力を解放した。


 さあ。

 力よ、弾けて。この先生に、万象の氷を見せつけてあげて!


 ぴしぴしぴし――と、空気が凍る音が響く。

 目の前の空気が白く濁る。

 むき出しの腕を冷気が刺す。


 ……しまった。

 やりすぎちゃったかもしれない――


 ――思ったわたしの目の前で、白く凍った空気がだんだん薄くなっていく。

 大皿の上に、大人の拳二つ分ほどの太さの白い柱が、天井近くまで堂々とそびえ立っていた。

 先生も生徒さんも、あっけにとられた顔で氷の柱を見つめている。わたしは言い訳を一生懸命考えたけど、どうしても思いつかなかった。

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