第7話 去りし日の薔薇将軍-4

「申請していないのですが、どうしてしまったのでしょうね。削除を依頼してきましょう」


 提示できない身分証は困る、だがおしおの腕を掴む者がすぐ隣に居た。


「いいじゃんおっさん。もうその手の店に再就職しちゃ――ぐぼぁ!」


 シオンの脇腹にフラウの拳が見事にめり込んだ。


「事実かどうかはあたしが確認するわ。削除はその後でも――」


「申請書通りに訂正して貰ってきますので、少々お待ちください」


 お髭の間から輝く白い歯が綺麗だ。爽やかにお断りされてしまい、仕方ないと見送る。


 ――証明書の裏書、全国のわりに偏っているわね。ハイランド王国、ゼノビア法国にサンライズ共和国ばかりね。


 ローズランドには全部で五つの国家が存在している。他にファティマ連邦国、フレイム王国だ。それらの国に一カ所でも支部があれば、事実として全国になる。どうにも解せない。


 ローズランド大陸の中心には霊峰名高い山脈群が在る、そこの西から南、そして東をなぞった三国なので不自然を疑うほどでも無いが。


 ――支部を置くにしても普通は首都よね。どうして地方都市なのかしら。


 いずれギルドについても何かしら調べを進めてみよう。今はティグレについてを優先するとフラウは証明書を懐にしまう。インクで塗り潰して削除を完了。非常にファジーな処理が行われたようで、すぐに戻って来た。


「お待たせいたしました。それでは出発しましょう」


「え、もう陽が暮れるぜ、今からかよ」


 リスク管理は大切なことだ。それを差し置いてもすぐに出ようと言うのだから、今更意見を翻すとも思えない。


「別にあんたは来なくても良いのよ」


 フラウが冷たく言い放つ。介入を決めた時からおしおの意志を尊重する、そう決めていた。


「いやいやいや、いくっす、いくっすよ!」


 馬が必要だと話していたので三頭購入する。早速身分証が役に立った、変な詮索も何も一切なしで売買をしてくれた。支払いはハイランド王国の金貨ではなく、他国のものであったが貫目で扱ってくれた。流石港町だと感心してしまう。


「騎馬するなら槍も購入しておきましょう」


 装備を並べている店で長物を探す。おしおは徒歩でも使用可能なポールウェポンを手にして「少し離れていてください」感触を確かめてみる。


 穂先に当たる部分、重量に偏りがあるので膂力が求められる。鋭く息を吐いて虚空を突く。素早く引き戻しながら体を巻いて弧を描くように横薙ぐ。端を持って大きく振り回し、最後に力任せに地面に叩き付けた。


「すげぇ!」


 それを見ていたギャラリーが驚きの声を上げた。かなりの使い手だと店主も小刻みに頷いている。


 ――剣術が5なら槍術も5ってわけね。あたしじゃ全く敵わないわ。


 どうやら満足したようで購入を決めた。壊れたヵ所もなく確りとした品質を証明していた。


「シオン、あたしの頂戴」


「おうよ!」


 立てかけられている品をじっくりと見て回る。槍としては短め、変な返しがついたものを手にして確かめる。


 軽く振ってみて、もう一つ金属の塊を手にした。


「姐さん、これで」


「馬上でナイフって訳にいかないものね」


 ショートジャベリン。投げ槍の一種で本来は使い捨てだ、細くなっている部分に金属を溶接する形で改造を施した。最後に黒い塗装にする。フラウに手渡すと、彼女は軽く振ってみて感覚を呼び起こそうとする。


 ――ぴったりフィットね。シオンの目利きは完璧よ。


 接近戦は苦手ではない、それどころか彼女は軽戦士として身を立てた時期すらあった位だ。


「俺も何か買っておくっす」


 そこらに転がっていた剣を拾って決めてしまう。雑多な品なはずなのだが、今のシオンには一番使いやすい武器なのだろう。魔装具や特殊なアイテムすら鑑定してしまう。彼の場合は知識や魔法ではなく感覚でだ。


「それでは向かいましょう」


 背筋を伸ばして装飾付き甲冑を着用した。緑の外套を翻して騎馬する姿は絵になる。ポールウェポンを馬の左脇に立てて先頭を行く。


「威風堂々の見本ね。流石あたしが愛するおしおさんだわ」


 白セーラーに水色の外套、黒いジャベリンを提げてフラウが左後ろに続く。彼女の妻手を守る意味合いでシオンは右側に陣取る。


「おっさん場所は知ってんだよな?」


 土地勘があるので心配も無いが一応の声かけだ。解りませんと言われてもどうということもないが。


「はい、馬足で一時間ほどです」


 移動は完全に任せてしまう。目を瞑っていても勝手に馬は付いていく、そういう習性を持っている生き物なのだ。山脈と太陽の位置を確認し位置と方角を定める、特別な作業ではない、生活の知恵の延長だ。


 雲の質や湿気から雨を予測するのと近いものがある。上下に揺られて小一時間、雑木林を目の前にした平地。無論そのあたりには何一つ姿は無い。


「ここです」


 夕暮れの郊外。街から離れたここで複数回被害があった問題地域。


「おかしいわね」


 フラウが呟く。おしおも頷いていた。


「何がおかしいんすか、何もないけど……」


 キョロキョロとして異変を探すがどこにもおかしいモノが無い。おしおは優しくシオンを見つめる、だがフラウは容赦しなかった。


「馬鹿ね。何も無いからおかしいって言ってるのよ。警備が正気なら治安維持パトロールもするし、危険な場所なら警告メッセージの一つも置くわ」


 指摘をしてこれからどうするかを考えようとした。


「おーなるほどっすね。警邏する必要ないんだここ」


「え?」

 ――警邏不要……そう考えている可能性はあるわね。原因を知っているから? いずれにしてもろくな理由じゃないわよね!


 同じ思考に至ったのだろう、おしおもやけに真剣に考えを巡らせている。


「おしおさんはどうかしら?」


「あり得なくはない、といったところでしょう」


 主語を省いて重要な部分で感覚をすりあわせる。シオンにはさっぱりだが、それを恥じることも無ければ不安にも感じない。


「あ、でもこれで何かわかりそうね」


 おしおとシオンが馬を進めて武器を構える。あまりにもタイミング良くティグレの群れが姿を現した。


「シオン君、私はあの林の奥に隠れている者を捕えてきます。フラウさんを頼みます」


「おう任せろ!」


 唸りをあげて目の前に居るのは、背丈一メートルはあろうかという百キロ超えのメスが四頭だ。後ろにはオスがいて、体格は二割増というところだ。


 あのごつい顎で噛みつかれたら、四肢くらいあっさりと折れてしまうだろう。乗馬が怯える、しかし乗り手の心が落ち着いているのが伝わると、次第に平静を取り戻す。


「行きますよ!」


 おしおが単騎ティグレのど真ん中を突っ切る。馬の足を狙って噛みつこうとする奴を、穂先で牽制して石突で飛びかかるティグレを突き離す。


 あまりにも鮮やかな手並みに見ている側が笑みを浮かべてしまった。


「まったく、あたしなんかに付き合ってないで帰ればいいのに」

 ――おしおさんを待っている人がいる、それなのに。


 二頭が二人に寄って来る。動きは俊敏なのだが体が大きすぎて割をくっている。シオンに飛びかかった、馬への攻撃を避けながら対応するがそれほど上手には行かない。


 おしおがオスの方へ向かっていったのでもう二頭がフラウへ狙いを定めて距離を詰めて来る。


「ケダモノのくせにあたしに刃向かうなんて、可哀想な奴」

 ――本能では拒絶しているのに無理やりやらされているわね。


 瞳と体が別の反応をしているのに気づく。前足を広げてティグレが飛びかかった。フラウは体勢を低くしてショートジャベリンを脇の下目がけて差し込む。突起を引っ掛け軌道をずらす。受け流しの要領だ。


「後ろ!」


 死角。気づかないヵ所からシオン側に居たはずの一頭が襲い掛かる。


「風よ!」


 瞬間、フラウの後方に突風が巻き上がる。ティグレが一頭上空へ跳ね上げられる。上を向かねば見えない位の高さにまで跳ね上げられ、次に重力に逆らえずに落下した。


 ティグレが何とか足から着地するが、体重が半端ないので足を痛めてしまう。


「ナイス警告よ、さっさと片付けておしまい」


 不意打ちさえ無ければ自身の身は守れる、そのくらいの経験は積んできた。シオンは見慣れてしまっているが、詠唱も無しで魔法を放ったのは極めて異常だ。魔法とはすべからく構成を編んで後に効果を発揮する。


「おっしゃ、二丁あがり!」


 急に動きが鈍くなったティグレの前足を剣で切り付けたシオンが調子づく。牙を剥いていたティグレがその場に座り大人しくなる。四頭全てがだ。


 ――ふーん、おしおさんは?


 ティグレを視界に収めつつ姿を探す。すると背にポールウェポンを押し付けられた男が歩かされてやって来る。


「原因を捕えて参りました」


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