十一章



 額にはつのが宿る。見えない角、そこには気と霊力が集まるという。自分の額は自分が許した相手にしか触れさせてはならないものだ。隠す仕草で礼をとるのは相手への敬意と服従を表すこと。


 誰かに触れられている――――。


 無礼な奴だ、と顔をしかめる。あの麝君だって滅多に触りはしないのに。

 しかし何かに当たるそこは変にぬるくなく、むしろひんやりとしている。火照ほてった体の熱を吸い取るように静かに乗った大きなてのひらは身動きしない。微かに、巡る血の脈動が伝わってくる。


 この冷たさには覚えがあるな、とうっすらと瞼を開いた。映ったのは客寓の格天板てんじょう、そして面紗ふくめんの主。紫水晶の双眸だけで意思と感情を表す。


「起きたか」

「………九泉主」


 うん、と彼は頷き、手をどけた。なぜか名残惜しく思った。


「驚いた。帰ってきたら倒れていたから」

「ほんっとに不遜よね。昇黎のさなかに寝こけるなんてどういう神経してるのかしら?」

 枕辺に頭を突き出したのは小さな童女だ。さすがになんの反論もできずに目を泳がせる。

「すまないことをした」

「良い。それより、まさに見届けられたかな。我らが奇跡のさまを」

 顎を引けばそうか、と泉主は睫毛の震えだけで笑う。どことなくくったりとして疲れているように感じた。しとねに肘をついて起き上がり、ともかくも拱手きょうしゅする。

「大変なものを見せて頂いた。感謝してもしきれない。黎泉が実際にる、ということは納得した」


 童女を撫でながら泉主は次の言葉を待つ。


「…………奇跡は信じる。よって九泉主が与えてくれるものも真実だと受け入れる」

「重畳。行った甲斐があったというもの」

「昇黎するのはとっても大変なのよ。それなのにあんたは」

「本当に申し訳なかった」

 本心から頭を垂れる。気を失うつもりは毛頭なく、もちろん二人が帰ってくるまで待っているつもりだったのだ。

「問題はない。その悟った様子だと、もう寡人が求める誓いの内容に思い至ったようだ」

「『選定』……だろう?私に、妖を下せと。必然、命を懸けなければならない死闘だ。易々とこなせるものではない。今の当主が決まるまでにも十五人旅立ち、誰ひとりとして帰ってこなかった」

 それほどの難関だ。泉主からこの世の理を聞く前に死ぬ確率のほうが高い。

「うん。その通りだ。寡人はそれをなれに求める。が、理由は別もある。この寰宇かんうを変えるヒトは、絶対に天啓をけていなければならないからだ。そうでないなら絵空事として聞くのみにとどまり理に触れることさえかなわぬ。当事者にはなれぬ」

「なるほど。だったらいっそのこと最初にやっておけというわけか。必要な資格自体を取引の条件にするとは小憎たらしい」

「優しいと言っておくれ。寡人は汝の歓心を買いたいという下心が前提にあるからそう決めたのだし、命を張らねばならないのだったらはじめから天啓をりに行ったほうが効率が良い。それに汝はきっと成功する」

「それはお前の希望だろう」

「でもあるし、ほぼ確信している。さて、ようやく出発点に立てた。泉外人における天啓において下せる妖を把握しているか?」

ハクと、ヒョウヨウサイ……他はあまり知らない。一族では椒図のことをなんと呼んでいるのか聞いたことがない」

「神域には椒図以外の九地子きゅうちしの末裔たちが棲息している」

「椒図以外?椒図はここにしかいなのか?」

「そうよ。そして椒図はぜんぶ九泉主のもの。他所者よそものが下せはしないわ」

 童女が被衾ふとんに身を投げ出してきた。

「シンシンどの、……でいいのか」

「そうよ」

「ではやはり、貴殿が椒図か。共に昇黎していたのはそういうことだな?」

 ふん、と笑い、あどけない調子で仰向あおむく。泉主が再び口を開いた。

「泉外人の天啓……それを享くには汝たちにとっては鋼兼ハガネの力が絶対に必要不可欠だ。それは由歩の能と結びついた特別な力。他の三氏族にはまた異なる力が顕現している。それを総じて天祐てんゆうと呼ぶ。の天ではない。の天から与えられた、この大泉地をひらくためのたすけだ」

「しかしそれだけではなく、『選定』を成功させるには本人の技量もかかっている」

「もちろん。これは最低限の必要条件だ。やることは熊狩りや虎狩りとほぼ変わらないから当然本人の技巧も要る。ただ、勝ち得るには九地子に己を認めさせなければならない。それが力技のみであるのか、その中で対話が可能で、あちらに依頼もしくは強制するなどの順序があるのかは寡人にも分からぬ。汝は己の鋼兼をどの程度だと?」

「程度?少なくとも皮一枚となっても完全に切り離されなければ肉の繊維まで治るが」

「結構。なにせ初めての天啓だ。天祐をより強く持っているほうが断然有利だから」

「狩りのおぼえはあるがさすがに虎を仕留めたことはない」

「殺しては成立しないゆえ、闘いの合間、どの時機で天啓へといたるのかは九地子しか知り得ない」


 息を吐いた。分からないことだらけだ。『選定』のことは聞いてはならないし話してはならないのが掟だったから、内容についてがまったくもって空白だ。しかしこのまま向かうしかない。


「旅の準備は任せなさい。神域までもシンに送らせる。しかしそれ以上は寡人にも手は出せない」

「分かった。まあ、そんなにうまいことすぐに出えるとも限らないのだからはじめから気張りはしない」


 泉主は顎に指を当てて考え込み、何かを懸念してじっとこちらを見る。


「なんだ?私もこれ以上甘やかされるつもりはないぞ」

「……ひとつ、これは忠告なのだが」

 泉主は童女を抱き寄せ、旋毛つむじを眺めながら思い詰めた眼をする。

「万一、一泉の九地子と会敵したならば闘わず逃げたほうが良い」

「なぜだ」

はじめの九子は鈍剣なまくらで勝てるような類のものではない。賜器しきもないのに下せるとは思えない」

「賜器というのは?」

「天啓を一度通れば汝らの天から武具が賜与される。それが賜器。特別な得物だ。汝は初めての試みゆえいまだそれはない。だからあれは下せない」

「それほど強いのか」

 泉主はシンシンをさらに撫でた。

「椒図の結界を破れるくらいには強力だ。まあ、あれは闇を好むから遭遇することは滅多にない。どうにか、狴犴へいかん狻猊さんげいあたりを引き当ててくれればいいが。睚眦がいさい螭吻ちふんなどの鱗混じりはより獰猛なのだ。初めてなら野獣と変わらぬ姿のもののほうが良いだろう。しかし、大兄おおえの九子は他とは比べ物にならないくらいもはや形すら保っていない化物だ」


 そんなものがいるのか。由霧のなかでは不可思議なこと――例えば天候の異常現象や地鳴りなど――が日常茶飯事に起こるが、獣でも妖でもない謎の生物に遭遇したことはなかった。


「あとは私の運次第、か」

「汝は引きが強い。きっと上手くゆく。寡人のお墨付きだ」

 だといいがな、と返し、今まさにここにいる九地子の一を見下ろすと「見ものね」と鼻で笑った。





 三度みたびの大方壇、錐台の下で泉主はこれを、と拳を差し出す。

 受けた掌に転がったのは白い小さな。

「……はまぐり?」

「持っていればシンが居場所を把握する。もし、汝が……もしものことになれば勝手に帰ってくる。続行不可だと思ったらそれに呼び掛けて助けを呼ぶといい。成功して帰還出来るようになればシンが気づくからこちらから迎えに行く」

「泉主は激甘ね」

 シンシンは肩を竦めた。今日は少女の姿だ。


 装備に不足ないのを確認した。泉主は袖の中で腕を組み首を傾げた。

「武器はそれで良いのか?」

 担いでいるのは矛。

「長柄はもともと得意だ。それに左手が使いにくくなったから、敵と距離を保てて勢いをつけられるもののほうがいい」

 時差はひらくがな、と言うと、そうか、と頷き、次いで切ない顔をした。

「あの、……抱擁しても?」

 すでに手が伸びてくる。口端で笑って軽く叩いた。

「縁起の悪そうな別れ方はしない。無事に帰れたら受けてやる」

「容赦がない」

 拒否されたものを痛そうに振って、しかし微笑した。

「待っているよ」

「どのみち己で決めた期限は一年だ」


 もしそれが過ぎて、彼の秘める、世界への介入方法を聞き出せなかったら――――。

 なんとか力づくでやるしかない。せめて最低でも、鉱脈を見つける方法が何かないか聞き出さなければならない。

 厳しい顔つきになったのをシンシンはしばらく不機嫌そうに見つめ、つん、と横を向いた。そのまま目を閉じるように言われ、おとなしく闇を見つめ――次の瞬間には、卵色の異空にひとり佇んでいた。







 王宮のあちらこちらにはとりどりの花や珍しい生物をあつめた禁苑がある。泉国では総じて上霖苑しょうりんえんと呼び習わした。ここ九泉においては後宮だけにとどまらず、宮城をはずれた郊外にも数多く点在した。

 ほど近い、広い主泉しゅせんに浮かぶ小島のひとつは全体を苑と定め、九泉宮から島までを繋ぐ長い橋は許可の無い者は渡ることはできず、それぞれの橋のたもとでは検閲がある。馬車で渡れる幅の道を進み、島に降り立つとまず白い牌楼はいろうが荘厳に構え、その後ろからすでに溢れんばかりの叢生そうせいが麗しい緑をつやめかせて繁っていた。

 石畳を歩み、さらに行けば開けた野原に出る。こぢんまりとしているが瀟洒な涼亭あずまやの下、人影を見つけてゆっくりと近づいた。



「泉主」

 座り込んでいた少年がやって来た白い影に気がつきひざまずく。同じように倣った男女も手を止めて頭を下げた。


「よい」

 陽光を発散して眩い王はしかし照らされるのをきらったのか、日影に逃げ込んでくる。据え置かれた大きなとう長靠椅ながいすに腰掛けた。

「今は何をしているのかな」

「皆で籠をつくっています」

 規則的に編まれているできかけに一瞥を投げ、それから面紗の主は手招きする。隣に座った少年に眼で微笑んだ。

「孳孳。また行こうと思うのだ」

「…………可敦がいない間に?」

 表情を曇らせたのに頓着なく頷く。「まだまだ分からないことだらけ。汝には骨を折らせるが調べたいことは山ほどある」

「ぼくは……」

「やはり崔遷はここで飼う」

 孳孳は複雑そうに目を泳がせる。

主公だんなさまがそうするのなら、ぼくらには何も言えませんけれど」

「久方ぶりに分からないことが出来た。よい暇つぶしになろう。それに約束したからね。摂理を教えると」

「……大法螺をお吹きに?」

「『寡人に語るのが許されるうちの』、天門に関わることだ。嘘はついていない」

 そもそも、と少年の顎をすくう。「汝が一体なんなのか、寡人とて把握出来ていないのだから。しかし北狄ほくてきにはその伝承があるという。ならば確実に神世で起きた何事かの名残であろうな」

「泉主はなぜぼくのことを信じてくださるのですか」

 触れられた手を両手で握って蠱惑の瞳で上目遣いに見る。王は笑い含んだ。

「その姿で人であると思うほうが難しかろう。言っておくが、それは寡人には効かぬ。心惹かれないからな」


 次いで男女に視線を落とした。「汝たちにもさして興味はない。崔遷に尽くすならば共にここにいるといい。もちろん、同胞らしい噂を聞けば教えてやるほどの義理は持ち合わせているが、砂人ほど我らと見目に違いがないゆえ見つけるのは難しい」

 承知しております、と彼らはさらに頭を下げた。

「孳孳。この二人も連れて行く。護衛なら鍛錬になろう」

「でも、二人は不能渡わたれずですよ」

醸菫水じょうきんすいの飲み方は知っております。問題ございません」

「由霧のなかは危険だよ、分かってるでしょ?モンド」

 男――モンドはさらに頷く。

「もちろんです。しかし泉主が御自ら郎君わかの謎を解き明かして下さるという。もしかすれば、我ら波人のことも何か分かるやもしれません」

 そうだけど、と交互に見比べる。

「郎君。私もお連れください」

 さらに凛と言った女に息を飲んだ。

「カンナ………」

「あなたを易々と死なせるわけにはいきません」

 見つめられて耳を赤く染めた孳孳はもう一度泉主に視線を戻す。

「ぼく……ぼくは、なんなのでしょうか」

 さてな、と頬杖をついた。

「崔遷の調べではあそこは血楓林けっぷうりんで間違いはなさそうとか。では伝承をもとに紐解くのならば兵主神いくさがみ蚩尤シユウたおれた地……大泉地においてはありえないことだ。ここは外からは閉ざされた殻の世として、霧界にあんな林が出来るはずはない」

「なら……?」

「なら、考えられるのはひずみか。はたまた神域から零れ落ちた神々の禁苑」

 ここのように、とあたりを見渡す。眠気を誘う風が緩く吹き、孳孳は不安げに膝小僧を突き合わせた。


 呼びかけられて手首を握られる。ふと気がつけば黒い爪で掻かれ、圧迫された薄い皮膚は破れて赤い水が滲んでいた。

「痛…………」

「本当に、汝はなんなのだろう。この血は何で出来ているのだろうな。乳しか舐めないのに」

 さらに爪を押し込まれて肩を揺らし、涙目で消極的な抵抗を示したが泉主は平然としたまま力を抜きはしなかった。

「ん……痛いです………」

「孳孳。寡人は中天としてはおそらく汝を殺すべきなのだと感ずる」

 え、と呆然と見上げると顎を掴まれ、品定めする紫金の双眸が覗き込んでくる。

「汝はほつれの一端。この大泉地ではまったく異質の存在なのだと、漠然とそう思う。泉外人とも、砂人とも波人とも違う。人と呼んで良いのかさえも分からない、このにおい」

 手は、容易くじ切れそうなほど細い首に降りる。

「汝が己で言うように、すでに千を越えて生きているのならば只人ただびとでは有り得ぬ。しかし時を重ねているのに身はその若い姿のまま、知能も老成せず無垢なまま成長を感じられぬ。正直、扱いに困るのは確かだ。崔遷がもしやとここで寡人に引き合わせたのはまったくもって正しかったと言うわけだ。あれはせいぜい百までしか生きられないから」

 震える孳孳は銀の雫をこぼしはじめた。

「嫌だ……主公だんなさまとお別れしたくない…………」

「汝はずっとそうしてきたはずだ。愛してくれた者も憎んできた者も時の渦のなかへと埋もれさせひとり生きてきたはずだ。それなのにいまだ剥き出しの純真な心根で傷つくのか」


 たまらず手を逃れ、長靠椅を滑り降りて女に抱きつく。カンナは悲しげに受けとめ見上げた。

「己が生み出された意図も分からぬ。何者であるのかさえ悟っておらぬ。まさに異端、異形、この世を隳壊こわ禍神まがつかみの化身なのやもしれない」

 嗚咽おえつでしゃくり上げるのを冴えた眼で見つめた泉主は溜息をついて腰を上げた。

「美しすぎるものは神仙というより鬼に近い。経験としてはな。しかし、汝らは孳孳にあまりほだされておらぬようだな」


 波人の二人は顔を見合わせた。


「そう……で、ございますね。長年共にいて、郎君がまったく大きくおなりにならず、特別な方であることが分かっているからか……皆のように熱に浮かされたようにはなりません。……泉主も、そうではないのですか」

 そうだな、と血濡れた指を孳孳の帯端で拭った。

「寡人の慕う美しさとはまた違う」

「せ、泉主は……ぼくがお嫌いなのですか」

 怯えた顔をして問うてきたのに片眉を上げた。

「嫌い?寡人は滅多に何かを嫌いになったりはせぬよ。人であれ、妖であれ、ここで息づくものはすべて中天が見守る箱庭、生簀いけすの愛しいものたちだ」


 ただ、と初めて酷薄に目をすがめた。


「どこからか知らない合間に入り込み、可愛い子供たちを誘惑し掻き乱すのはいただけない」

「ぼくは、……ちがう」

「ならばそれを明かさねばならないよ孳孳。己が何者なのかを知らねばただ無為に時を過ごし汝はますます孤独に、無益に、より人でないものに近づいていく。今までのように。この者たちとてずっと傍にいることはかなわない。残るのは汝が嫌っているこの寡人と寡人の半双かたわれであるシンだけだ。それは御免だろう?」

「ぼくはあなたを嫌ってなんか」

「嘘はいい。無理もないことだ。だが協力はしてもらう。何より、寡人が汝の謎を解き明かしたいからな」

 そうして泉主は去っていった。







 どうしたものか、と軒先で伸びをした。

「九泉主は深遠な御方だ。言うように主公さまは至極正しい選択をしたわけだ」

「そうだね。謎めいていて、たまに怖いよ」

 隣でそう言いながら豆の殻を剥いている女に笑う。「ついてきて正解だったな。少なくともここでは真っ当に暮らせる」

「やっとだ……。まあ、こうして長く過ごし、こちらのことに我らが馴れただけなのやもしれんが」


 ぼんやりして暮れかけの空を見上げ、昼間のやりとりを思い返す。


「……泉主はまた郎君を霧界に」

「あの方も急に知らないことが飛び出してきて驚いておられるのさ。俺たちが落ち着きすぎなのやもしれん」

「そりゃあ、私たちは摩訶不思議な波に攫われてこうして辿り着いたから、少々の大事では動じない。だろう?」

 うん、と男もたそがれる。

「醸菫水を頼んでおかないと」

「しかし、いつまでつか。耐性は確実についていっているようだよ。このままでは郎君が霧界に出るのに伴が出来なくなる日も近いぞ」

「……俺は正直、きみに行って欲しくはないがね」

 なぜ、と慌てて隣を見れば、切なそうな瞳に出会う。何を思う間もなく腰を引き寄せられた。

「ちょっと」

「俺はきみに危険なことをさせたくない。俺たちは武官でもなければ捕吏ほりでもなかったんだ。剣の扱いだって日が浅い。なあ、俺たちからも主公さまに九泉ここにとどまって下さるようお願いしよう。そうしたら、もう命を危うくするような真似をしなくてもいいんだ。ここは平和で、豊かな国だ。今まで見てきたどの国よりいいところだ。海はないけど、俺たちの故郷くにみたいだろ」


 記憶の中の原風景。あそこはここのように凪いでいて、穏やかで安らぎがあった。束の間思いを馳せ、そうして強く抱かれ、我に返る。


「それは……私もそう思うけれど」

「俺はいつも思う。次に化物退治をしに出たら、今度こそやられてしまうんじゃないかって、無性に怖くてたまらなくなる。きみが死んだらどうしようって」

「だからって、……今?」

「きみは違うのか」

「私だってお前が……大切だ。好きだよ。私の気持ちをすべて分かってくれるのはお前だけなのだし」

「…………今日は主公さまも郎君も宮にいて帰って来ない」


 囁きに流されて抵抗する力が緩む。宵闇に切迫した息遣いがしめやかに、静寂しじまに愛を交わす男女の密やかな洩れ声が微かに溶け入る。


 それをほど近くの壁の陰で、人ならざる美貌の少年がくらい眼をして聴いていた。




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