第七百二十夜『演者はどこに消えた?-So once again,day is saved,THANKS-』

2024/08/20「屋敷」「映画館」「人工の中学校」ジャンルは「偏愛モノ」


『お母さん、助けて……』

 女性が受話器を取ると、助けを求める子供の声がした。

 聞き間違まちがえる筈も無い、聞きなれた子供の声。受話器から聞こえるのは、紛れも無い彼女の子供の声そのものだった。

「坊や!? 今どこに居るの!? 助けってってどういう事!?」

「おっと、そこまでだ。可哀想に、お子さんは我々の指示通りにどんな事だって喋る状態じょうたいだ」

 受話器から子供の声が消え、入れ替わりに聞いた事の無い変成器を通したかの様な非人間的な機械音声、されど声そのものには感情がこもった人の声が聞こえて来た。

「何が目的? うちの子は無事なの?」

「単刀直入に言いましょう、我々はお巡りさん抜きでビジネスの話がしたい。私の言っている事は分かりますね?」


  * * *


 テクノロジーは発展し、人間とプログラムの境界は曖昧あいまいになっていた。

 そこで、ある種の需要じゅようが発生した。プログラムを用いた、死者の再現である。


「こういう時、亡くなったおばあちゃんが生きててくれたら何て言うだろう……」

 そんななげきの声に対応するのがテクノロジーである、もしもという声、出来たら良いのにという声に寄りうのが科学技術なのである。

 人工知能に亡くなった人の声を吹き込む事で、声の抑揚などに違和感いわかんを無く再現してみせた。

「すごい! 生きていた頃のお婆ちゃんそっくり!」

 この技術はすぐに人々に認知された。何せ人間とは楽で便利な事にはすぐれる生物なのだ、これに慣れない訳など無い。


 しかし、その一方で反対する意見もあった。

「これは死者の冒涜ぼうとく以外のなにものでもない!」

「死者への経緯けいいは無いのか!?」

「お前に倫理観りんりかんという概念がいねんは無いのか?」

「死者を素材にするだなんて、とても健康的ですね。信じられません」

 この様な批判の声が出るのは予想が出来た事態じたいであり、企業は大手を振るって参入はせず、あくまで『自己責任で利用してください』という旨で音声や人工知能をソフト化して販売するだけに留まった。包丁で人を殺したら、悪いのは包丁ではなく人間なのである。


 プログラムで死者を再現する技術が大衆に認知されると、需要じゅようも増えた。

 ある人は往年の演者の動きや声を再現し、個人作品をる事をする人すら出て来た。

 社会は故人を素材と見做みなして作品を作る事を、すっかり受け入れていた。


 そんな時勢じせい、不幸な事故が起こった。

 ある名の有る女優じょゆう急逝きゅうせいしたのだ。

 人々は大いに悲しみ、その一方で、個人で作品を撮っている人々はにわかにいてふるった。

(これはあの名優を素材に、個人作品を撮る好機こうきなのでは?)

 個人で創作を撮っている人達は亡くなった女優の声を用いて作品を撮り、消費者達しょうひしゃたちは彼女がよみがえったと大いに喜んだ。


 しかし人間とは満足まんぞくをしない生き物なのである、満足をしないからこその霊長類れいちょうるいであり、進歩をする生物種なのである。

(こんなにタダで使える素材が手に入るなら、もっと俳優が死んでくれないかな?)

 そう考える人が一定数出て来て、されど理性であったり倫理観であったり、もっと言うと損得勘定そんとくかんじょうから実行に移す者は居なかった。

 いや、一人居た。

 幸か不幸か最悪か、俳優を殺害したその人物は、人工知能の有無に関わらず多くの作品を創って大衆を喜ばせた人物だった。

「あの人が殺人をする訳が無い!」

「きっと何か理由が有ったんだ! その被害者の方が悪者だったんじゃないのか?」

「署名運動をするぞ! あの人を失うのは、人類の損失だ!」

 この一件は殺された俳優の素行が悪い事も有り、恩赦おんしゃを、情緒酌量じょうちょしゃくりょうの余地を、無罪放免をと、社会的な騒動そうどうに発展した。

 大衆とは目が見えず、自分の見たい物にだけ視力を見出す生物なのである。


 後日、俳優の出した電子メールが証拠しょうことなり、痴情ちじょうのもつれから配偶者の不倫相手を殺した事が証明され、その内容が脅迫的きょうはくてきだっと司法に認められた結果、執行猶予しっこうゆうよが彼にはついた。

 これには大いに民衆は沸き、神輿みこしを担ぐが如く大騒ぎになってしまった。

「悪い俳優は殺してもいいんだ」

「いや、俳優以外も悪い人間なら殺しても無罪放免になる」

「悪い人間は死ぬし、死んだ人間を素材に出来る。こんなに良い事がある?」

「最大幸福の原理だ、悪い人間は殺して素材にしてしまえば皆が幸せになる。これは社会善であり、能力を持つ人間の義務ぎむだ!」

 その様な思想が横行し、結果として、まるで自然状態であるかの様に殺されないためには善人でいる事が人々にとってのスタンダードになった。

 しかし、善人のスタンダードが形成されるという事は、それを出し抜くための悪人が出現する事に等しい。人間とは、決して満足をしないのが種としての特徴とくちょうなのである。


  * * *


「おっと、そこまでだ。可哀想に、お子さんはだ」

 受話器から聞こえる取り乱した声を聞きながら、推定誘拐犯はたのしそうに口角を上げた。

 人間とはズルをする生き物なのだ。包丁が有れば人を殺すし、善が型にハマれば悪に流れる、楽な方へ楽な方へと流れるのは本能と呼ぶ他無い。

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