第五百七十四夜『高層ビルの高価な硬貨-Penny Drop-』

2024/02/07「闇」「息」「禁じられた目的」ジャンルは「大衆小説」


 ビル群の中、くたびれた顔色の男が溜息を吐いていた。

 彼は仕事に不満ふまんがあった。仕事そのものには全く苦に思ってはいないが、取引相手や仕事の内容に関して不満を覚えていた。


 俺はすっかりくたびれて職場しょくばから家への帰路に着いていた。

「全く、これも全部使えない部下共のせいだ……」

 俺がくたびれていたのは仕事のせいだが、原因は部下のせいと言ってよかった。

「全く、最近の若者は全くもって使えない……」

 最近の若者は怒鳴りつけるとすぐに黙り込むし、効率良く仕事を消化するからちょっと追加の仕事を頼んだらいやな顔をする。かと言って残業を命じたら嫌そうにするし、この間など、俺がこうして頭を下げて休日に出勤を頼んだら無言で電話を切りやがった。

「俺が若い頃は、あんなガッツや気概きがいの無い人間では無かったぞ!」

 誰に聞かせるわけでも無く、いや、自分で自分をなぐさめる様にポツリと呟いた。

 その時だった。俺は頭にとでも言うべきか、軽く叩かれた様な痛みを感じた。

「痛た……何だ?」

 見てみると、俺の足元には一枚の硬貨が落ちていた。

「全く……迷惑な奴だな。子供か鳥か知らないが、ケガでもしたら賠償ばいしょうモノだぞ!」

 そう言えば高層ビルから硬貨を落とすと、落下地点に居る人間はライフルで脳天をたれた様になって死んでしまうと言う都市伝説を聞いた事が有る。だが所詮は都市伝説、硬貨一枚の質量しつりょうでは高層ビルから落としても皮膚ひふを破るか破らないか程度の損傷しか人体には与えられないのが計算結果だ。

 もしもこれが一枚の硬貨ではなく、金塊きんかいや金の延べ棒の様なもっと高価な物だったら大変だ。硬貨より高価な物なら、もっと質量がある訳で先述の都市伝説の様な大ケガをしてしまうだろう。

 まあそんな事はどうでもいい。そんな事より、今はだらしの無い部下の事を考えている途中だ。とにもかくにも、休日出勤の拒否は許しがたい!

 一人の人員を教育研修でキチンとはたらける様にするのに、一体どれだけの費用ひようが掛かっているのか分からないのか!? 折角バカに出来ない金額を掛けて、社員を育て上げたんだ、給料分に加えてそれだけの仕事をするのが道理だろう!

 わが社での新人教育研修は、決して安くも無視出来る値段ではない。何を以て一人分の費用と定義ていぎするかにも因るが、それこそかかった費用は大きな袋に金貨を詰めた程はあるだろう! いわば会社にとって、社員や従業員は金塊や金の延べ棒の様な物だと断言出来る!

 その時、俺の頭頂部に何かが降って来てぶつかり、そしておおいかぶさった。

 俺は最初の衝撃しょうげきで立っていられずにその場に倒れた。視界がモノクロームになって歪む、眩暈めまいがするし目の中は涙でれているし、頭は痛いし何故だか息は苦しい。そして立ち上がろうとしたが、俺は何者かにのしかかられて立ちあがる事が出来ない!

(誰か! 助けてくれ! 誰か!)

 そう声に出そうとしたが、舌が動かない。そして息が苦しく、視界はモノクロに歪むだけでなく揺れて来るし、だんだんと身体は寒くなって行った。


 高層ビルの屋上に、スーツを着てメガネをかけた典型的ビジネスマンと言った姿の男が、目を細めた営業スマイルと言った様相で地上を見下ろしていた。

「これでよし」

 ビジネスマン風の男はそう、面倒な書類を片付けた様な調子で言った。彼の足元には遺体いたい収納しゅうのうふくろが空で置いてあり、今しがた彼が死体をビルから落とした事が見て取れた。

間違まちがいなくターゲットの絶命を確認、っと……」

 ビジネスマン風の男は死体をビルから落とし、それが原因で人が死んだにも関わらず、事務的じむてきな様子で屋上の片づけをし始めた。

「しかし、過労死した身内の遺体を使ってパワハラ上司にメッセージ性の有る仇討あだうち依頼いらいだなんて、世も末ですね……依頼されたのだから死体領得罪にはあたらないし、仇討のために使いましたと言えば祭祀さいしのために消費しょうひしたと強弁して死体したい損壊そんかいざいから逃れる事も出来るでしょうが、いやはや……」

 ビル群の中心、一つのビルの屋上でビジネスマン風の男はくたびれた顔色で溜息を吐いた。

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