第五百三十九夜『成長しない文章-for you-』

2023/12/26「川」「狼」「最後の流れ」ジャンルは「学園モノ」


 じゅくの教室で、黒板に白墨はくぼくで板書する音がひびく。

「であるからして、文章を書く事は料理をする事やトレーディングカードゲームでデッキを組み上げる事に似ている」

 板書を行なっている人物は、教壇きょうだんでハッキリと大音声だいおんじょう講釈こうしゃくをしつつ、重要な部分を白墨でデカデカと黒板に書き殴っていた。

「自分で文章を書いて他人に見せるのではなく、最初から他人に見せる目的で文章を書く。こうする事で、確実に文章の質や読み易さは伸びる! 先程の例えで言うと、自分の好きな料理だけ作り続けるよりも、他人から美味しいとめられる事の方が腕前につながるし、カードゲームはそもそも一人ではトレーニングも対戦も出来ない。どの分野でも相手の事を考える奴が伸びるし、だから国語では登場人物や作者の考えを読む問題が出る訳だ」

 板書を行なっている人物は講釈を行ないつつ、断片的且つ重要な部分を板書している。しかし教室には板書を行なう以外の音、例えば塾生がノートを取る音等は聞こえない。全くなげかわしい事である。

「それから、先生からの宿題だ。授業の最後にもう一枚レジュメを配るから、さっき配ったレジュメを読んで、レジュメの中の原稿用紙に小論文を書いて来る事。採点は互いにとなりの席とで授業中に行って、その後回収するから、最初から相手に読ませる文章を心掛こころがける様に!」

 板書を行なっている人物が駆け足気味に語り終えると、丁度ベルが鳴って授業の終了を知らせた。

 しかし、塾生が教室から出て行くことは無かった。そもそも教室には誰も居なかった。板書を行なっている人物は虚空に向って説法を行ない、持論を誰に読ませるでもなく書いていた事になる。

「はあ……しかし、今さら他の生き方も知らないしなあ……」

 板書を行なっていた人物は、窓から外の街を見た。満月がうすく登る赤い空の下、街には灯りがともっていたが、そこには人々の喧騒けんそうも営みもなく、電気やガスや水こそ通っているものの、街に人気ひとけは皆無だった。


 街には人が何故だか全く居なくなってしまい、同様に人々に飼われていたペットも完全に消えていた。だから月を見て遠吠えをあげる飼い犬も居ないし、集会を行なう猫も街には居ない。

 街の向こうに見える河川で水が小さくねたので、消えたのは人間とペットだけで野生動物までもが絶滅ぜつめつした訳では無い事が見て取れた。

 板書を行なっていた人物は、最初は街中が自分一人を置いてバカンスに出かけてしまったのかと一人合点し、この状況を馬鹿正直に生きていた。

 しかし、商店に行っても誰も居ないし、カギもかかっていないと言う現実は人間の感覚を狂わせる。数日経っても誰も街に居ないと言う環境は、彼を狂わせるには十分だった。

 始めの頃、板書を行なっていた人物は好き放題に生きた。彼は先程の話から取れるように、好きに本を漁り、好きに飲み食いや料理を行ない、カードゲームの封を開けた。無論、全て無銭でである。

 しかし、異常と孤独は人を狂わせる。あれだけ好きだった本も料理もカードゲームも、板書を行なっていた人物が言う様に一人ではつまらない物だった。

 結果、板書を行なっていた人物は元通りの生活を演じ始めた。誰かのために書いたり教えたりし、誰かを満足させるために調理し、誰かを想定してカードを組み上げる。それら全てを独りで行ない続けた。


「こんな生活が始まって、どれくらいだ? 何日前にこの異常が発生したかも覚えてない……」

 板書を行なっていた人物は狂気に飲まれない様に、未だに異常が発生する前の生活を続けている。皮肉にも誰かを想定した活動の数々は孤独の中でも錆びついてはいないが、誰かがその腕前うでまえを見る事は全く無い。

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