第五百二十夜『猫を被った様な話-berserk-』

2023/12/05「闇」「鷹」「荒ぶる関係」ジャンルは「サスペンス」


 小皿に牧草やペットフードをせて、机に置く。すると同じ机に置かれたケージがゴソゴソと音を立てた。

 ケージの物音の正体はネズミ。ネズミは食事の存在に気が付くと、ケージの中にある綿の中からモゾモゾと出て来て、ケージの格子に身体を押し付け、ニュルリと擬音ぎおんを立てそうな動きでケージの外に出た。

 ケージの外に出たネズミは餌皿えさざらとして使われている小皿に乗ると、黒真珠の様な目を輝かせて幸せそうに牧草をみ始めた。牧草を平らげたネズミはペットフードを頬袋ほおぶくろに詰め、再びケージの中の寝床目掛けて油の様な動きで再びケージの格子をすり抜けて帰って行った。

 別に、これは特別なネズミではない。強いて言うならケージが特別と言うべきか、このケージはネズミがその気になれば出られる程度の格子の広さをしているだけだ。

 何故この様な事が可能かと言うと、ネズミの毛皮は油脂をまとったなめらかな物だからに他ならない。

 別にネズミが特別そう言う毛皮と言うのは大言であり、実際油脂をまとった毛皮全ては作業を行ない、油脂をとっぱらって腐敗ふはいするのを防ぐ必要がある。

「さてと、今日も俺の役に立ってくれよ?」

 そう語るネズミの飼主、彼は名前を石川=フード・次郎吉と言った。無論本名ではない。これは仕事の上でのハンドルネームであり、そうそうあり得ぬ人名をハンドルネームとして名乗る事でプライベートが漏洩ろうえいするのを防ぐ等の目的もあるが、一番は彼の仕事の内容にあった。

 次郎吉は泥棒だった。

 彼のハンドルネームの由来でもある鼠小僧ねずみこぞうと言えば、義賊ぎぞくの代表と考える人も居るだろう。実際の鼠小僧は殺しこそしないが盗みはやる、博打は打つし女に貢ぐ、しかし盗みの標的とするのは大名ばかりと、お上が被害にあってざまあ見ろ! と言うのは易いが、自分の欲望の為に盗みをはたらく悪漢であった。

 次郎吉もそれにならう悪漢で、盗みは不当な権力者に代わって富の再分配をするでもなし、自分で飲む、打つ、買うするための日銭かせぎだった。

「さて、仕事の時間だ」

 そう言って次郎吉が被ったのは、艶々つやつやとしたネズミ色の毛皮のフードとマント。これはただの毛皮のフードやマントではなく、彼手製てせいの特別品。

 これは彼が飼っているチンチラと言うネズミの皮から作ったフードとマントで、通常の革製品かわせいひんはタンニンでなめして油脂を溶かす。そうでなければ油脂を食いに虫がく。

 しかし、次郎吉が着たのは作業をしていないチンチラの生皮からなるフードとマント。そして勿論、チンチラの生皮フードなんて物をかぶった事には理由がある。

 まず始めに、チンチラはネズミの中でも特に滑らかな触り心地の毛皮を有している。つまりはどう言う事かと言うと、格子を滑り抜ける能力を比べるならば、チンチラこそがネズミの中のチャンピオンと言える。

 つまりどう言う事か? 即ち、チンチラの生皮から作ったフードとマント。これらを身にまとって格子に身をめり込ませると、ツルリと身体が滑って格子の向こうがわへと抜けてしまうのである!

「この特別なネズミのフードさえ有れば、俺は大抵の格子をすり抜けられる。だからこそのフード・次郎吉って訳だ」

 次郎吉はそう口の中で呟き、特製のフードとマントを身に着けて町のやみの中へとり出した。


 次郎吉の今夜のターゲットは、ここ一帯で幅を利かせる工業グループの会長、テロル氏だ。

 テロル氏は庶民から富裕層ふゆうそうに至るまで、誰もが使う製品を扱っている会社をいくつも持っているが、これは表の顔。裏ではタカ派に銃や兵器を売りつける死の商人、戦争があればあるだけ、戦争が長引けば長引くだけ報道を嬉しそうに聞いている人間のくず……そう言ううわさだ。

「噂が本当かどうかは定かじゃないが、どの道グループの会長さんなら金をたんまり持っているにちがいない。金庫にため込まれているだけで使われていない可哀想なお金ちゃんを、俺の手で解放してやらないとな」

 そんな事を口の中で呟きながら、次郎吉はテロル氏の館の前へと来た。

 テロル氏は体面や見栄えを気にする人間で、彼の館にはへいが存在せず、代わりに在る格子を通して庭や館が見えた。

 次郎吉は自慢じまんのフードとマントとを被ったまま格子に身体をめり込ませ、ネズミがする要領で格子をすり抜けてテロル氏の敷地しきちへと侵入した。

「そこのお前! 何をしている?」

 そう怒鳴り声がひびき、強烈なライトが次郎吉を照らした。テロル氏がようする警備員けいびいんだ!

(やけに警備の手配が良いな、俺がここに来る予感があったのか?)

 次郎吉は取り乱す事は無く、しかし速やかにすぐ眼前の警備員から逃れるべく再び格子を体にめり込ませ、今度はテロル氏の敷地の外へと脱出した。

「こんなにデカくてガッチリした門なんだ、俺を追っかけて来るにも一手間二手間かかるってもんだ。悔しかったらお前らも格子をすり抜けてみな!」

 次郎吉のその言葉は自信満々で、彼は万に一つも捕まる可能性は無いと思っていた。何せ彼は格子をスルリと滑って逃げたし、仮に捕まってもチンチラの生皮のマントは掴む手をスルリと逃れて逃げる事が出来る。チンチラの生皮はそれだけスベスベなのだ、格子も人の手からも逃れる事が出来る。

 しかしここで一つ想定外が発生した。次郎吉が格子をすり抜けた先に、黒い帽子と外套がいとうを見に着けた別の警備員が待ちかまえていたのだ。

「捕まえたぞ、石川=フード・次郎吉! これでお前も年貢の納め時だな!」

 そう言って、警備員は次郎吉の首根っこをと掴む。

 そうは行くかと、次郎吉はマントを掴む警備員の手から逃れようとするも、何故だかこれがうまく行かない。そして挌闘かくとうするうちに、なんと目の前で先程の警備員がスルリと格子をすり抜けて来たではないか!

「おいおい、どうなっているんだ?」

 次郎吉は混乱し、卒倒し、顔面蒼白がんめんそうはくしぼりだしたような声で、泣きそうになりながら声を挙げた。

「お前と同じだ、次郎吉。これを何だと思う?猫の皮膚ひふを参考に作った帽子と外套、それから猫の手をマネて作った手袋てぶくろだ」

 最初に遭遇そうぐうした方の警備員は、自信満々に次郎吉と面と向って勝ち誇って言った。すると呼応するように、次郎吉の首根っこを掴んでいる方の警備員が続きを語り始めた。

「猫も格子をすり抜けるし、何より猫はネズミを捕まえるからな! これでまさしく、袋のネズミと言う奴だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る