第四百七十九夜『シャボン玉消えた-burst bubble-』

2023/10/21「雷」「笛」「燃える存在」ジャンルは「指定なし」


 今日いやな事があった。

 シャボン玉を吹いて飛ばした。

 シャボン玉が飛んで、はじけて消えると気分が晴れた。


 私にこの習慣が出来たのは、かべつるった、どことなく幻想的な雰囲気がする昔の映画かアニメで見る様な、おまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋でシャボン玉を買ってからだ。


 何故だか知らないが、私は小間物屋で見た途端にシャボン液が気になって仕方がなく、シャボン玉遊びなんて興味きょうみが全く無いにも関わらずだ。

「そのシャボン液が気になるかしら? それは嫌な事を忘れる事が出来るシャボン玉よ」

 私がシャボン液を見ていると、店主らしい飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風ですみを垂らした様な黒い長髪が印象的な女性が話しかけて来た。

「嫌な事を忘れるシャボン玉?」

 何と言うか、非常に胡散臭うさんくさいセールストークだ。もしもそのセールストークが本当だとしても、何か危ないドラッグか何かのように聞こえる。

「それは安全なんですか? そもそもそれって本当なんですか?」

 私は店主らしい女性に対し、反射的に質問をしてしまった。

「ええ、このシャボン液は本物よ。これを吹くと、嫌な事を忘れてしまうの。安全かどうかと言う話だけど、この世界に絶対安全なものなんて存在しないわ。世の中にはオレンジジュースの飲み過ぎで内臓ないぞうをやられて死に至ってしまった人も居るし、健康ドリンクの飲み過ぎで死んでしまった人のニュースもこの間聞いたわ。ひょっとしたら、シャボン液の吹き過ぎで死ぬなんて人も世の中には居るかも知れないわね……」

 そう語る店主の女性は私をバカにしている風ではなく、どうにかしてシャボン液で人を人を死に至らしめる事例が無いか思い出そうとしている風に感じられた。決して何かの危険性を隠していると言う風ではない。

 正直に言うと、私はこのシャボン液を吹いてみたい気分になっていた。人は突然童心に帰って幼児の様に振舞ふるまいたがる事があるが、私にとってのシャボン玉がそれだったのかも知れない。上手く言い表す事が出来ないが、とにかく私はシャボン玉を吹かなければならない気がした。

「分かりました、そのシャボン液を下さい」


 こうして私はシャボン液を購入こうにゅうし、家に持ち帰った。値段は嫌な事を忘れる事が出来る等と言う付加価値があったにも関わらず、普通のシャボン液と変わらなかった。

 嫌な事があった。

 シャボン玉を吹いて飛ばした。

 シャボン玉が飛んで、はじけて消えると気分が晴れた。


 何か嫌な事があった気がするが、シャボン玉を吹いて飛ばして、そのはじける様を見ると胸が空いて何が嫌な事だったのか忘れてしまった。


 嫌な事があった。

 シャボン玉を吹いて飛ばした。

 シャボン玉が飛んで、はじけて消えると気分が晴れた。


 何が嫌な事だったのかはさっぱり覚えていないが、シャボン玉がはじけて消えると気分がスッキリした。


 嫌な事があった。

 シャボン玉を吹いて飛ばした。

 シャボン玉が飛んで、はじけて消えると気分が晴れた。


 なんで私はシャボン玉を吹いているのかよく分からないが、シャボン玉がはじけて消えると胸の内に幸福感が満ちて来た。


 嫌な事があった女性が居た。

 女性はシャボン玉を吹いて飛ばした。

 シャボン玉が飛んで、はじけて消えると、女性の姿も同じようにはじけて消えた。

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