第四百四十六夜『完全に自由な薬-over the rainbow -』

2023/09/17「雨」「彗星」「きわどい可能性」ジャンルは「指定なし」


  夜雲ヨグモ灰暮ハイクレと言う研究者肌の医者が樽編だらむ大学に居た。何やら胡散臭うさんくさい研究に没頭しているだの、過去に医療ミスを犯して揉み消しただのと、周囲から陰口を叩かれている男なのだが、その実親しみやすくて柔和な印象を覚える様子の男性だった。


「ふむ、理論通りに完成した。私が理論を間違まちがえる筈も無いが、順当に行くと次は動物実験だな」

 夜雲は助手と共に、試験管に何かの薬を調合していた。試験管の中には透明の液体が泡を立てて気体が揮発する音を立てていた。

「先生、これは何の薬なんですか? 言われた通りに薬品や備品を用意していただけじゃあ、私は何と言うか溜飲が下がりませんよ」

 完成を冷静に喜ぶ夜雲に対し、助手は不平を口にした。事実、彼は何を作るか、具体的には何を目的として作業を行っているかを伝えられずに実験を手伝わされていたのだ。この様な文句も出るのも、道理と言えば道理だ。

 これに対し、夜雲は眉をしかめ、不本意そうに口を開いた。

「研究内容がれる事を考え、秘密にしていたが、完成した今なら別にいいだろう。これは何ものからも完全に自由になる薬だ」

 夜雲の言葉を聞き、教授は半信半疑、ビックリ仰天。夜雲の頭脳は信じている物の、しかし彼の口から出た言葉を信じ切れていない様子を示した。

「完全な自由の薬? そんな物が本当にあるんですか? それが本当なら、私が飲みたいですよ!」

「それでは、お前が飲んでみるか? いや、冗談だ。それは人間が飲んでいい様には作ってないからな、さて実験動物に投薬をせねば……」

 夜雲は助手の提案を一蹴いっしゅう、冗談を朗らかに気障に口にし、実験用のラットのケージの方へ顔を向けた。

「聞こえていないのか? 私が実験動物と言ったのだから、速やかに用意をしてくれないと困る」

 夜雲が助手の方を振り返って言ったが、なんと助手は試験管を手に、一気に薬品をあおった。

「何をしている? それは人間用の薬ではないと今言ったが?」

 助手は夜雲の話を聞いていない訳ではなかった。逆に彼の腕前を信用していて、彼が自由の薬だと言ったら確実にそうだと確信するだけの信頼があったのだ。

「ですから言ったじゃないですか、私は自由になるんですよ」

 そう言った瞬間しゅんかん、助手の着ていた白衣がと音を立てて脱げた。

「え?」

 自分の身に何が起きたか分からない助手、しかし夜雲はそれを静観しながら言った。

「やれやれ、だから言っただろう。それは人間が飲む薬ではないと……しかしながら、動物実験をしなくて済みそうなのは不幸中の幸いか?」

「先生、一体何が?」

 混乱の最中の助手がそう口にすると、白衣だけでなく下着まで全ての服がと脱げた。助手は自分が全裸になった事を知り、困惑の色を強くしたが、すると今度は彼の体が空中に浮き始めた。

「これは、これは何が起こっているんだ!?」

「何ものからも自由になる薬だと、そう言っただろう? その薬を飲むと衣服からも、重力からも、大気や星からも自由になる」

 夜雲の言っている事を理解し、助手は青ざめた。彼は夜雲の腕前を信用していて、彼が自由の薬だと言ったら確実にそうだと確信するだけの信頼があったのだ。

 助手の体は宙に浮き、天井に引っかかった。それだけで済んだのならば良かったのだが、彼の体は天井にめり込む様にして天井を突き破って上の階へと昇って行った。

 時間は深夜。上の階は現在利用者はおらず、助手を目撃する人もおらず、故に助ける人も居なかった。

 助手の体は天井を突き抜け、屋上を突き抜け、雲を突き抜け、雲の上へと昇った事で雲一つない光景が見えた。雲の上だから雲は頭上に無く、雨も降らず、太陽が綺麗きれいに見えた。

 しかし、それでも助手の体は宙に浮かぶ事をやめない。何せ彼の体は重力からも星からも自由になったのだ、彼は地球の重力圏の外へと向かって飛んで行った。


この様子は、地上に居た夜雲には流れ星の逆再生の様に目に映った。夜雲は満足そうに自分の開発した薬品の効果を見届けると、溜息を一つついた。

「今回の件はどうやって揉み消すべきだろうか……盗人かスパイが忍び込んで、私の研究成果を奪ったと言う体にでもするか」

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