第四百夜『正直な二人-Mercury and the Woodmen-』

2023/07/25「神様」「裏切り」「業務用の脇役」ジャンルは「偏愛モノ」


 昔々のあるところ、真面目な木こりが居たそうな。

 木こりは泉の近く、森で木を切っていたところ、勢い余って愛用の鉄製の斧を泉に落してしまった。

「しまった! これは困った、これではおまんまの食い上げだ! 明日からどうやって生きていけばいい?」

 木こりはそう嘆き、顔色を青くした。

 すると、どうした事か。泉の水がボコリボコリと泡を立て、中から水星明神と言う、それはそれは偉い神様が出てきたではないか!

「泉に斧を落としたのはお前だな?」

 これには木こりはビックリ仰天、何せ泉の中から人が出てきただけでも驚嘆きょうたんに値するし、出てきたのが明神様で、しかもその上自分に斧を落としたかと問い詰めて来たのだ。

「すみません、ごめんなさい神様! 確かに私は泉に斧を落としましたが、それはわざとじゃないんです! どうかお許しください、何でもします!」

 もう木こりは戦々恐々、平身低頭の平謝り。だってそうだろう、明神様にその様に詰め寄られたら、誰だってそうするだろう。

 しかし水星明神は怒りの色など全く見せず、むしろ面白いオモチャを見つけた様な笑みすら浮かべて木こりを見る。

「よい、よい、お前を許そう。ところで、お前が落とした斧は、この金で出来た斧か?」

 水星明神はそう言って、刃が純金で出来た金の斧を取り出した。

 しかし木こりは金色の斧も見ても欲しがりもせず、おっかなびっくり心臓しんぞうを高鳴らせた。何せ自分は斧を誤って投げた身であり、その失投した先に居た明神様が抜き身のよく磨かれた貴金属製ききんぞくせいの斧を持っているのだ。報復に自分が切断される想像だってしてしまうと言う物だ。

「いいえ、とんでもない! 私が落とした斧は金の斧などではございません! ですからその様な恐ろしい物はしまってください!」

 その返答を聞いた水星明神、にやにや笑いを引っ込めて感心した様な表情を浮かべた。丁度、金の斧に魅了されて欲望をあらわにしたうそでも吐こうものなら、今手にしている金の斧を脳天に投げつけてやろうと考えていた様にも感じられた。

「そうか、そうか。お前の様な生き物は、我々の間には存在しない。面白い体験をした、正直なお前にはこの斧をやろう」

 そう言って、水星明神は震える木こりに金の斧を手渡してきりかすみのように消えてしまった。木こりは水星明神が去った後も訳が分からぬ様な心地で、未だ恐怖に震えていた。


 さて、その夜の事である。木こりは酒の席で同僚どうりょうにこの事を話した。

「なるほど、それは俺もあやかりたい物だな」

 呑気な事を言う同僚に対し、木こりはギョッと信じられないものを見る様な得も言われぬ感情を抱き、忠告した。

「ダメだ、ダメだ、ダメだ。相手は明神様だし、そもそも私はわざと斧を投げ入れた訳でもないんだ。明神様に嘘や無礼を働いてみろ、きっと今度は脳天をまきの様にカチ割られてしまう」

「そうかい、肝に銘じておくよ」

 同僚は渋々と頷き、酒を呷った。別に彼も明神様をだまくらかす積もりなど、そんな気は毛頭無い。なにせ水星明神と言えば泥棒やスリの神でもあり、更に言うと死神の一種でもある。そんな明神様をペテンにかけるなど、命がいくつ有っても分が悪すぎる。


 そのしばらく後の事である。

 件の木こりの同僚は泉の近く、森で木を切っていたところ、勢い余って愛用の鉄製の斧を泉に落してしまった。

「くそっ! これは困った、斧を新調すべきか、それとも危険を承知で泉にもぐるべきか?」

 木こりの同僚はそう呟き、酷く気を揉んだ。

 すると泉の水がボコリボコリと泡を立て、中から水星明神が姿を現した。

「泉に斧を落としたのはお前だな?」

 これには木こりの同僚はビックリ仰天、何せ泉の中から人が出てきただけでも驚嘆きょうたんに値するし、出てきたのが話に聞く水星明神で、しかもその上自分に斧を落としたかと問い詰めて来たのだ。

「はい、水星明神様。私は誤って斧をこの泉におとしてしまいました」

 木こりの同僚は水星明神の目を真っ直ぐ見て、しっかりとした口調ではきはきと正直に述べた。何せ相手は泥棒の神で、死神の一種でもあるのだ。嘘をあばくなぞ朝飯前だろうし、下手に嘘を吐いたら殺されるかも分からない。

 これには水星明神は怒りの色も疑いの色も全く見せず、むしろ感心な若者を見た老人の様な表情を浮かべて木こりの同僚を見た。

「よい、よい、お前を許そう。ところで、お前が落とした斧は、この金で出来た斧か?」

 水星明神はそう言って、刃が純金で出来た金の斧を取り出した。

 しかし木こりの同僚は金色の斧も見てこれが欲しくて堪らなくなり、しかし正直に答えなければ何をされるか分からないと理性でコレを押さえつけた。

「いいえ、私が落とした斧は金の斧はありません」

 その返答を聞いた水星明神、感心した様なつまらない物を見た様な顔をした。やっぱり、金の斧に魅了されて欲望を露にした嘘でも吐こうものなら、今手にしている金の斧を脳天に投げつけてやろうと考えていた様に感じられた。

「そうか、そうか、分かった、分かった。正直なお前にはこの斧をくれてやろう」

 その言葉を聞くや否や、木こりの同僚は泉の中に立つ水星明神の元へと近寄ろうと、泉に飛び込んだ。何せ黄金の斧をくれると言うのだ、誰だって目を輝かせると言う物だ。木こりの同僚は泉を泳ぎ、水星明神の元へと近づくと、半狂乱の様になりながらお礼の言葉を述べつつ、金の斧を奪うように受け取った。

 時に、金の比重はおよそ十九と言われている。これに対し鉄の比重はおよそ八弱、人体の比重は体質に因るが一前後。即ち、金は鉄の二倍以上重く、人体や水の十九倍も重いのである。

 金の斧を受けとった木こりの同僚だが、まずはその重さに驚愕きょうがくし、その次の瞬間しゅんかんには猛スピードで水底へとグングン沈んでいった。

 これを見ていた水星明神は一瞬驚いた様な顔をしたが、次の瞬間には満足げに微笑ほほえんでいた。

「なるほど。正直者は正直者でも、欲望に正直な人間だったか。正直者には褒美ほうびをやらねばならないが、ここは一つ、こっちの手でコイツを星にでもしてやるか」

 水星明神がそう言うと、水底に沈んでいった木こりの同僚の体は浮力を得て、グイグイと水面へと浮かんで行き、水上へと飛び出した。しかし彼の体は水上へと上がってもグングン上がり、空へ届き、雲を突っ切り、成層圏を突き抜け、宇宙空間へ突入しても推進力を失わず、水星明神が言った様に、空に輝く星になってしまった。

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