第三百七十六夜『上司の影が-President Bowser-』

2023/06/27「花」「歌い手」「最高のトイレ」ジャンルは指定なし


 在宅ざいたく勤務きんむの時代である。家に居ても仕事場に居るのと同様に仕事が出来る職種もあるとなれば、勤労意欲はあっても小さい子供が居たり流行り病の症状が消えきっていない人でも仕事が出来るのである。

 しかし全ての物事には良い面があれば悪い面がある。いや、美点があれば欠点も有ると言うべきか。

 例えば、会社に出勤して帰ってと繰り返す途中で疲労ひろうが消えずに蓄積ちくせきすると言う人が居る。その人の言う事はもっともなのだし、人間とは効率の良い球速を取るべきであり、一旦家に帰って二時間ほど眠ってまた出勤なんて本質的には良くない事と言えよう。

 例えば、根本的に自宅で作業をする方が能率も良いと主張する人が居る。勿論この言葉も嘘では無いだろうが、しかし報告や連絡や相談をするにも会社に居た方が良いと反論も出来よう。

 これらは別段問題点ではない、むしろ在宅勤務の持つ利点だと言えよう。問題点はここからだ。職場と言うのは集団であり、集団と言うのは即ち厄介者や変人が混ざると言う事でもある。


 ここに居るのは、刷井ずりい与太那よたなと言う男。職場ではまるで昼行燈ひるあんどんの様に振舞い、終業時間になると途端とたんに元気いっぱいになる。まあよくある性質を有する人間なのだが、この昼行燈の様と言うのがまた極端きょくたんな事! 本人としては能力こそあるが、やたらサボりたがる。好きな事は他人が働いて、自分はサボる事。放っておくとサボり、誰かに指摘されるとヘソを曲げる。会社のトイレに入り、長時間個室で携帯端末けいたいたんまつをいじくり倒す。花より団子な嗜好しこうだが、その一方で美術品鑑賞かんしょうも好きで、よく美術館や美術展で営業をサボる。タバコは毎日数回吸う事を口実に休憩きゅうけいするし、アルコールとけ事にも目が無い。オマケに音痴なくせに鼻歌が大好き! とまあ、ひたすら厄介なお荷物。

 こんな生毛が在宅勤務の導入を知ると、いの一番に我先に名乗り出た。元よりなまけ者な性質なのだ、自宅勤務をサボタージュの口実としか思っていない事が周囲からもけて見えた。かと言って一人だけ逆えこ贔屓ひいきにしても、会社の体面としてよろしくない。

「ではこのバンドを。君は金属アレルギーの類は無かったな?」

 そう言って手渡されたのは、プラスチックせい首輪くびわ。サイズを自由に変更できる遊びがついていて、留め具の所には何かの小さな機器ききが付いていた。

「これは何だ?」

「これは自宅勤務用リングだ。これを着けていないと勤務せずに欠席していたと見做みなされるから、勤務時間中はずっと着けておくんだぞ。着けているのが辛かったらサイズをゆるめてもいいし、休憩きゅうけい時間を設けて外してくれてもかまわない」

 その説明を聞くと、与太那は話を真面目に聞いていたのか聞いていないのか、大仰おおぎょうかつうやうやしく首輪を受け取り、疾風はやての様にルンルン気分の鼻歌混じりで帰宅した。


 与太那はまさに有頂天気分だった。何せ首輪をつけてさえいれば、それで働いていると見做されると話されたのだ。これでうれしくならない筈がない。

 早速与太那は首輪をつけて、在宅勤務用のコンピューターの電源をける。

 その時、与太那は首筋に何かを感じて振り返った。非常に表現しにくい感覚だが、強いて言うなら足元で硬貨こうかの様な物を見つけてかがんだは良いが、それが硬貨ではなくゴミで、しかもそれを周囲の人達にバッチリしっかり目撃もくげきされていた感覚に近い。

「わしの勘違かんちがいか?」

 与太那は得も言われぬ感覚を首筋に覚えながら、コンピューターで作業を始める。彼は怠け者だが無能ではなく、むしろ能力そのものは有るのだ。作業自体はする時はする。

(……やっぱり後ろに誰か居る)

 平時ならば、同僚どうりょう陰口かげぐちや注意を受けている頃合いか。与太那はそんな物はなんでも無いのだが、この姿の見えない不気味な感覚にはほとほと閉口していた。

 バッと、風が鳴る程のもうスピードで後ろを振り返ったが誰も居ない。しかし振り返ってなお、自分の首筋には誰かに監視されているかのような感覚が有った。

「さては、この首輪か?」

 与太那の考えは推測すいそくて、確信に到達していた。何せこの首輪を着けてから誰かに見られている、いや、監視されているかの様な感覚におちいっているのだ。与太那は周囲からバカにされているし、実際バカと呼ばれるだけの実績こそあるが、決して察しや頭が悪い訳では無い。

「この首輪を外す訳にもいかないが、誰かに見られている感覚がずっとしているのは気分が悪いな……ここは一杯酒でも飲むか!」

 案ずるより産むがやすし、思い立ったが吉日、明日と言う日は決して来ない。与太那は缶入りの酒を一杯飲む事にする。何せ、嫌な事を忘れるために飲む酒程美味しい物なぞ、他には無いのである。そんなこんなで景気よくザルのごとく酒を空けた与太那は、そのまま酩酊めいていして首輪を着けたまま、コンピューターの電源を点けたまま眠りに落ちた。


「刷井君、昼から飲酒をして居眠りとは言い御身分だな? これから君の事は殿下でんかか王子様とでもお呼びしましょうか?」

 与太那はギョッとして椅子からね起きた。耳元で大きらいな弭間はずま部長の声が聞こえた気がして、気づくと全身が汗びっしょりで寒気がした。

 しかし跳ね起きた場所は自宅。当然弭間部長の姿はそこには無く、かと言ってコンピューターがオンライン会議に参加していた訳でも、オンライン会議を中継ちゅうけいしていた訳でもない。

 この首輪に監視カメラでも付いているのか? と一瞬いっしゅん疑ったが、その様なプライバシー侵害をする事は無いと会社の連中は言っていたし、そもそもこの小さな機器にカメラや映像を飛ばすだけの機能きのうが備わっていると思えない。加えて言うと、部署の連中は首輪をポンと音を立てて乱暴に机に置いていた。この首輪が高機能の精密せいみつ機器ききとは到底思えない。

 しかし今の悪夢で一つ、分かった事が有る。与太那が感じていた視線は弭間部長の物だ。

 厳密には視線は弭間部長の物では無いと考えられる。その根拠として、弭間部長は基本的に社員一人一人を監視カメラで凝視ぎょうしする様な人物でも立場でもない。ならばこの首輪はどう言う仕組みか知らないが、装着した人が苦手だと思っている人に監視されている気分になる首輪なのだろう。

 こんな首輪! そう思って与太那は首輪を外して引き千切ってやりたかったが、この首輪は会社の備品だし、そもそもこの首輪を着けている事が給料の出る条件なのだ。とてもそんな事をする積もりは無い。

「ぐぬぬ……」


 翌日、与太那は大人しく出社していた。

「刷井じゃないか! 今日はどうしたんだ? お前の事だから、『わしは自宅勤務の方が性に合っている』とか言って、もう二度と出社しないかと思っていたよ」

 意外そうな表情を浮かべた同僚に対し、与太那は返した。

「いや何な、わしは自宅でみなの視線が無いと仕事にならない事が分かった。自宅勤務はわしの性に合わなかったって事だな」

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