第三百六十二夜『傘に着る話-the Sting-』

2023/06/11「池」「扉」「見えない殺戮」ジャンルは「大衆小説」


 ある所に当たり屋を生業なりわいとしている、感心出来ない男が居た。

 当たり屋の男は専ら注意力ちゅういりょく散漫さんまんな人間をターゲットとしており、逆に狡猾こうかつそうな人間をターゲットにせず、そして何よりも単独で行動をする人間を獲物えものとしていた。

 最近のターゲットは、かさを振り回して歩いている人間だ。傘を振り回して歩いている人間と言うのは、自分は注意力散漫です! と名札を付けて歩いて等しく、当たり屋からしたら格好の獲物と言う訳だ。

 当たり屋の男は傘を振り回して歩いている人物の後ろをつけ回し、坂や階段やエスカレーターにおもむくのを待つ。そして段差や高低差が生じた際に振り回されている傘の先端部せんたんぶを手で受け止め、断末魔だんまつまごとき叫びを挙げて大袈裟おおげさに痛がる。

「うおおおおお! いてえよおおおお! 目が、俺の目があああああ!」

 相手がビクッとして立ち止まったらチャンスタイム、千載一遇せんざいいちぐうの好機、おバカな不注意からピラニアの如く骨までかぶり付く時である。もしも相手が全力で逃げたら残念賞、『目を傘で突かれた! 誰かソイツを捕まえてくれ!』と叫んで騒ぎが大きくなるならば、自分が当たり屋だと判明した時のリスクが上回る。

 幸か不幸か、大抵の人間は恐怖や罪の意識に弱い、自分が傘の先端部せんたんぶで何かを突いた感触があるのだから尚更なおさらだ。故に当たり屋の男のビジネスは、十中八九上手く行く。いや、上手くいく相手を狙って食い物にしていると言った方が適切か。

「ふざけるなよ! 治療費ちりょうひを払え! 名前は何だ? 住所はどこだ? 職場はどこだ? 名刺めいしを出せ!」

 こうも立て続けに怒鳴りつけられ、あわれターゲットは当たり屋の男の言うがままに従ってしまう。中には自分の社会的立場を守ろうと、彼を亡き者にしようと画策する人も居るだろう。しかし彼は、最低限の目撃者もくげきしゃが居るシーンを選んでビジネスを行なっている。そもそも大抵のターゲットは当たり屋の演技に反応してしまうし、周囲に人が皆無のシチュエーションでもないのだから、目前の男を口封じに殺してしまおうと言う考えも浮かばないのである。

 仮に相手が医療いりょう従事者じゅうじしゃであったり善人だった場合、目を見せて下さいと言いだす可能性もある。そうした場合、当たり屋の男は素直に相手に目を見せる事にしている。突かれたと思ったが寸止めで済んでいた、お互いハッピーである。これで済ませれば彼が恐喝きょかつ行為こういかどで捕らわれる事も無い。

 こうして当たり屋の男は捕まる事も無く、食うに困らずに生活をしているのである。


 ある日、池のある大きな公園での出来事だった。当たり屋の男は丁度良く傘を振り回して歩いているターゲットを発見し、いつもの様につけ回した。今日のターゲットは銀色の先端部を持つ黒い傘を振り回して歩く、メガネをかけてスーツ姿のビジネスマン風の男性だ。

 ターゲットが階段を上り始めた際に、当たり屋の男はしめたと言わんばかりに急接近し、傘の先端部を手で受け止めようとした。

「うおおおおお! いてえよおおおお! 手が……? 俺の手があああああ!?」

 当たり屋の男の手に、傘の先端部が突き刺さって貫通していた。ビジネスマン風の男が振った傘が槍の様に彼の手を貫通していたのだ。

「おや、これは失礼。大丈夫ですか?」

 当たり屋の男の挙げた叫び声に対し、ビジネスマン風の男は慇懃いんぎん態度たいどで、まるで今日の天気の話をするかの様に話しかけた。

「ふざけるなっ! 治療費、そうだ治療費ちりょうひを払えっ! お前の名前は何だ! 住所はどこだ! 職場は! そうだ、名刺! 名刺を出せ!」

 当たり屋の男は普段通りの台詞を、真に迫って言った。何せ左手に傘が突き刺さっているのである。普段の演技の痛がる振りとは比べものにならぬ。

「これは失礼、申し遅れました。わたくしこう言う者です」

 ビジネスマン風の男は悪びれもせず、馬鹿正直に当たり屋の男の要求通りに名刺を渡す。

「おっと、左手にわたくしの得物が刺さったままではやり辛いですね。よいしょっと」

 当たり屋の男が名刺を渡され、虚を突かれた次の瞬間しゅんかん、ビジネスマン風の男はそう言って傘を彼の体から引き抜いた。すると鮮血が彼の手からしたたり落ちた。

「い、いてえええええ!」

「そんなに痛かったですか? いえすみません、てっきり痛いのは慣れているかと思いました」

 当たり屋の男はその場に倒れ込み、ビジネスマン風の男はそんな彼を上から心配そうな目でのぞき込みながら言った。

「い、いっ、痛いに決まってるだろ! 慰謝料いしゃりょう! 治療費! 救急車!」

 当たり屋の男が喚き散らすのを聞いて、ビジネスマン風の男はハッとした。まるで今朝自宅のとびらかぎをかけ忘れた事にようやく気が付いたような表情だ。

「そうでした、そうでした。実はわたくし、今日ここへはビジネスで参ったのですよ。では改めて、わたくしこう言う物です」

 そう言いながらビジネスマン風の男は押し付ける様に再び名刺を手渡す。

「こ、殺し屋……トラオオカミ……?」

「ええ、わたくし虎狼痢コロリ毒座衛門ぶすざえもんと言う殺し屋を営んでいる者です。以後お見知りおきを」

 そう言うや否や、虎狼痢は当たり屋の男の襟を締め上げる形で持ち上げた。

「な、何をするっ!? 誰か! 助けて! 殺される!」

 当たり屋の男にとって幸いな事に、周囲には目撃者がポツリポツリと居た。白昼堂々こんな露骨な殺人が行なわれて、加害者が社会的に無事な訳が無い。

「ふむ、周囲に居る方々はあなたの知人ですか?」

「えっ?」

 虎狼痢の言う通り、周囲にポツポツと居る人影は全て当たり屋の男の知人だった。もとい、そこに居たのは彼が食い物にして来たターゲットだった。

「え、あ、え?」

 元ターゲット達は微動びとうだにせず、こちらをじっと見つめている。はやしもせず、嘲笑ちょうしょうもせず、ただただもくしてじっと見ている。

「実はわたくし、ここに居る方々からたのまれて参りました。悪質な当たり屋に財産をうばわれ、しかもその当たり屋は怪我を負った振りをしつつも五体満足でのうのうと暮らしていると」

 そう言うと虎狼痢は笑顔のまま、当たり屋の男の眼球に向い、有に眼球を貫通して前頭葉にまで到達しそうな剣呑な傘を突き立てた。

「いや、その、違う、助けて! もう二度とこんな事はしません! だから助けて!」

「何をおっしゃいますか、あなたはわたくし依頼人達いらいにんたちの幸福や財産を奪ったんですよ? いざ自分が同じ目にったら許してくれだなんて、そんなのおかしいとは思いませんか? 皆さん目くじらを立てて怒っておられる訳でして、あなたの様に目に余る人間には、どうしても痛い目に遭って貰わないとと目いっぱいに拝み倒された次第でして……」

 そう言うと虎狼痢は当たり屋の男の目に向い、傘を振り下ろした。

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