第三百四十四夜『千人に一人の幸運-facilis descensus Averno-』

2023/05/24「天使」「サボテン」「最悪の世界」ジャンルは「指定なし」


 俺がそのセールスマン風の男と会ったのは、客で一杯の喫茶店きっさてんでの事だった。私が一人で対戦型の携帯ゲームで遊びつつコーヒーをゆっくりと飲んでいる時に、その男は空いている席にすべり込む様に座り、言ったのだ。

「こちらの席、相席よろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

 俺はやっこさんの面の皮が厚い申し出にちょっとムッとしたが、今は対戦ゲームで抜き差しならぬ状態で、強く否定する気になれなかった。

「恐れ入ります、御親切にどうもありがとうございます」

 うるせー。とっとと飲んで、とっとと席をはなれろ。もしくは黙ってろ。

「ふむ、ふむふむふむ。なるほど、今流行りの対戦ゲームですか。あなたは対戦ゲームがお好きと見込み、一つお話したい事が有ります。いえ、お手を止めてくれなくて結構、全ては私の独り言と言う体でかまいません」

 俺としては構わないが、周囲の客は構うと思うぞ、それは。

わたくし、人間を幸せにする仕事をしている……セールスマンの様なものをしていまして、契約けいやくを取るために東奔西走とうほんせいそうしているのですが、これが中々上手く行かなくて困窮こんきゅうしているところなのですよ……」

 俺は対戦ゲームをやりつつも、セールスマン風の男の言葉にちょっとした引っ掛かりを覚えた。無論、ささやかな引っ掛かりであって、彼の表現がおかしいと言うか主観的と考えれば矛盾は無い。しかし気になる物は気になるのだ。

「人間を幸せにする仕事って、それが本当なら誰もが飛びつくのでは? その自己紹介は欺瞞ぎまんと言うか、齟齬そごがあるんじゃないのですか?」

 俺がそう指摘すると、セールスマン風の男は悲しそうに溜息ためいきいた。

「いえ、わたくしも慈善事業でやっている訳ではありませんからね。そんな天使の様な事は、私共わたくしどもは決して行ないません。私共わたくしどもは契約を取るのが主目的で、人間を幸せにするのは契約内容であって主題ではないのです」

 なるほど、よく分からないが契約料とか更新にとんでもない料金を要求するのだろうな。俺は対戦ゲームに集中しつつ、ぼんやりとそう考えた。

「つまりあなたが営業に向う相手は、一部のお金持ちとかそんなってところと言う事ですか」

「いえ、それは少々違います。私共わたくしどもが契約を持ちかけるのは、どうしても幸せになりたい人間だけです」

 セールスマン風の男は、ほのかに嬉しそうに、含み笑いが聞こえそうな声色でそう言った。それと同時に画面の中で、他のユーザーが操作するキャラクターが俺のキャラクターを撃墜げきついした。俺は負け、勝利を奪われた。顔アイコンがサボテンの女キャラだ、いやはや刺々しい事で。

「幸せになりたくない人間なんて居るのですか?」

 俺は何となく次のゲームを遊ぶ気になれず、眼前のセールスマン風の男の目を見て疑問を投げつけた。だってそうだろう、幸せになりたくない人間なんて居るものか。

「ええ、元々は私共わたくしどもの目で見て、どうしても幸せになりたいと言う人間ならば誰でもサービスを受けられると言う方針で営業を行なっておりました。しかし時代が変わり、時勢がそれを許さなくなったのです……」

「時代……ですか?」

 俺の言葉に、セールスマン風の男は寂寥感せきりょうかんを帯びた顔で天をあおいだ。

「ええ、時代です。我が社は料金の踏み倒しや、意図せぬ契約の悪用や抜け道と言うき目にう事が多くなり、方針を大きく変えざるを得なくなりました。具体的に言うと、どうしても幸せになりたい人間で、尚且なおかつ悪い事が出来ず、ふとした拍子ひょうしで自殺を実行しかねない、他人をみにじる事に快感を覚えない人間。そんな人間にだけ、契約を持ちかける相手を見て営業を行なう様に部署が縮小されました」

 俺はセールスマン風の男が言っている事が、全く全然飲み込めなかった。

「なんて?」

「どうしても幸せになりたい、悪い事が出来ず、ふとした拍子で自殺を実行しかねない、他人を踏みにじる事に快感を覚えない人間です。例えば、対戦ゲームをプレイしながら『死ね死ね死ね!』と発言する様な人間相手に契約を取ったら、わたくしは上司にどやされます」

「何故そのような方針になったかは聞きませんが、本当に酷いですね。そんな営業縮小を受けるなら、いっそ部署が丸ごと無くなった方がマシなのでは?」

 俺は思ったままの事を言うと、セールスマン風の男は今度は得意げな顔になって、ニヤリと小さく破顔してみせた。

「何、そこは腕の見せ所と言う奴ですよ。これは企業秘密なのですが、あなたを対戦ゲーム好きと見込んで話の種がてら話させてください。実はわたくしは悪魔で、千人に一人の幸運を売っているのですよ」

「へえー、それはすごい」

 俺は自称悪魔の言葉を比喩ひゆか何かだと思い、テキトーに流す事にして、次のゲームを遊び始めた。どうせ千人に一人の幸運とか言うのも、比喩のたぐいだろう。もしもそれが比喩とか幸運のつぼじゃないと言うのなら、俺がそれを購入してガシャポンでも宝くじでも大当たりをしてやろうと言う物なのだ。

「おや、信じていませんね? まあ構いませんが。千人に一人の幸運が嫌なら、千人に一人の金持ちや、千人に一人の長寿の健康体でも可能なんですが」

「ふーん、それは全部買えば幾らになるんだ?」

「おお、興味がお有りですか!」

 俺はテキトーに流したが、どうやら自称悪魔は本気らしく、口調が仕事モードのソレになっている。

「いえ、どのコースも本質的には同じと言いますか、都合でどれか一コースしか選べませんが、どれを選んでも契約料は死後に魂を頂くと言うサインを頂ければ、それで結構です。更新料やランニングコストはその九百九十九人の方々から頂いてますので、それに関してはロハです」

 自称悪魔は、それはもうノリノリで立て板に水し始めた。そら悪魔を自称するのだから、支払いが魂とかそう言う話はたかぶりながらするのだろう、そうだろう。

「九百九十九人から更新料を頂くって言いましたか? それはどう言う事ですか?」

「ええ、例えば千人に一人の幸運をご購入された場合、あなた以外の無作為に選ばれた九百九十九人が全て不幸になり、何をしても全く人生が上手くいかなくなります。その分の幸運は契約を取った方に渡し、それが契約内容となります。こうすれば名実ともに千人に一人の幸運と言う訳でして」

 俺は対戦ゲームに興じながら、自称悪魔の言う事を自分の身に当てはめて想像した。他人が何をやっても上手くいかず、それでいて自分は普段の千倍何をやっても上手くいくと言う図だ。

「千人に一人の金持ちや、千人に一人の長寿の健康体でも同じです。その場合は無作為に選ばれた九百九十九人がこれから先の一生無収入となり、その分の財産が代わりにあなたが受け取ります。健康ならば、無作為に選ばれた九百九十九人に死んでもらい、代わりにあなたがその分の寿命を受けとります。常人の千倍の収入や、千倍の寿命を持つ形になりますね」

 俺は再び自称悪魔の言う事を、自分に当てはめて想像した。周囲の人間が貧乏になって死んでいき、自分はひたすら大金持ちで不老不死の様になった姿だ。

「それはだな、そこまでして幸せにはなりたくない」

 俺がそう言った時だった。自称悪魔は心がはじけ飛んだかの様に調子を変え、私を指差して大声で言った。

「それですよ! ! それが問題なんですよ! 昔は良かった、九百九十九人がお前のせいで不幸になったんだぞ! と、そう迫ったら契約相手は罪の意識で自殺してしまい、九百九十九人が世を呪いながら自殺し、結果として千人の自殺者が地獄行きになる……これこそが我が社の専売特許だったのですよ! それだと言うのに現代人と来たら、他人を蹴落けおとす事に躊躇ためらいは無い、顔も知らない相手に暴言や中傷を平気で浴びせる、誰だか知らない相手が損をする様子を見て爆笑する……そんな人間に契約を持ちかけても、こちとら骨折り損で、費用がかさむばかりで何もしない方が地獄に良いまであるんですよ! 全く、こちとら人間相手に仕事をしているんであって、悪魔相手に契約を取りたいんじゃないんですよ!!」

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