第三百四十二夜『最先端技術の利用方法-anachronism-』

2023/05/22「音楽」「コタツ」「静かな可能性」ジャンルは「指定なし」


第800話

それから

えーとそうだな、まずはアダムが、いや違う、そうじゃない

違うって、えーと開業、どうするかな、うん、ハナが空をあおいで言った。

いや、ダメだな。これはよくない、削除さくじょ、いやそうじゃないって削除

字下げしてくれ、いや字下げと書くんじゃなくて字下げだって 開業、そうじゃない

スペース、だから違うって、さっきは出来てただろ、なんで急に出来なくなった、再現性はどうなっているんだ、


          *     *     *


 コンピューターの前で、男が何やらわめく様な調子でアレコレ言っていた。

 彼は小説家で、しかし小説家と言っても原稿用紙げんこうようしにペンで書くのではない。彼は新しいデバイスを用いて、コンピューターに音声入力で小説を書いている。しかし不服な事に、これが全く上手く行かない。

 彼の家の冷暖房れいだんぼうは音声入力になって久しい。マシーンに向って明確に温度を下げてくれ、室温を上げてくれ、除湿じょしつを三十分かけろ。そう指示を出せば応答してくれる。

 更に、彼の携帯端末けいたいたんまつには音声入力機能が備わっており、明日の天気を尋ねたり、今日のニュースを聞いたりすれば音声で応えてくれるのだ。

 そんな環境に小説家が置かれているのだ、音声入力で小説も書けるのではないか? そう考えを伸ばすのは自然な事であった。

「えーと、改行、スペース、違う、スペースじゃない、空白! バックスペース、バックスペース、バックスペース、バックスペース、バックスペース!」

 その結果がこの調子であった。小説家の男は苛立いらだちを覚え、携帯端末にお気に入りの音楽をかける様指示した。地球人と宇宙人の敬慕けいぼの念をモチーフにした、デュエットと言うていの曲だ。

 この曲がかかる事で、小説家の男の精神は高揚こうよう安寧あんねいを覚え、明日への希望と創作の意欲にあふれた。

 しかしこれが良くなかった。なんと今度はコンピューターに接続されたマイクが音楽を拾い上げ、音楽の歌詞をそのまま書き記し始めたのだ。これを見たら、楽曲の利権者らも怒りを通り越してあきれて笑うしかない事だろう。

「ス、ストップ! 音楽を止めてくれ!」

 携帯端末は持ち主の言う事を聞いて、音楽の再生を止めた。

 コンピューターは持ち主の言う事を聞いて、その通りに書き記した。

「ああああああああ! もうおおおおおおおお!」

 そうだ、リモコンだ! そう小説家の男の脳裏に、まるで天啓てんけいの様に考えが生じた。

 音声で入力するから齟齬そごが生じるし、音声でスイッチを切ろうとするから話がこじれるのだ。ならば、スイッチを切る事に関してはリモコンで行なえば、無駄に心をわずらわせる事は無いだろう。

 そう考えたのだが、今度はリモコンが見つからない。それもその筈だ、彼は常日頃音声入力で何もかもを操作しているのだ、リモコンのたぐいはるか昔にどこかの引き出しか戸棚とだなの奥のそのまた奥に仕舞い込み、その所在は忘却ぼうきゃくの彼方だ。

「携帯端末、このデバイスのリモコンはどこだ?」

 すると携帯端末の画面にあかりが点き、機械音声で応えた。

「申し訳ありません、質問の意味が分かりません」

 すると、今度はコンピューターが彼と携帯端末のやり取りに反応した。


          *     *     *


携帯端末、このデバイスのリモコンはどこだ、申し訳ありません、質問の意味が分かりません


          *     *     *


 小説家の男は窓を開け、コンピューターに接続しておいたマイクを取り外すと、庭の地面に向ってマイクを渾身こんしんの力で投げつけた。

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