第三百三十八夜『安全で安易な安眠で安息-Rest In Peace-』

2023/05/18「台風」「妖精」「いてつく主人公」ジャンルは「SF」


 春眠しゅんみんあかつきを覚えず、この頃はいくら寝ても寝足りない。

 お陰で俺は朝だけでなく、昼も夜もあくびをしてばかりだ。そのせいで、会社の同僚どうりょうからもずっと眠そうにしていると、すっかり周知されてしまっている。

「そりゃお前、きっと睡眠の質が悪いんだよ。酸素カプセルって知ってるか? いや、そんな胡散うさんくさい物じゃない。強いて言うなら、都心でも森林浴みたいな環境で仮眠を取れる施設さ」

 そんな俺を心配してか、もしくは体験談たいけんだん自慢話じまんばなしとして話したいのか、同僚が俺にそうアレコレとレクチャーして来た。恐らく後者だろう、絶対にそうだ。


 同僚の言う通りの所在に行くと、その施設は確かに在った。会社からは然程さほど遠くなく、徒歩でも通える距離きょりだが、家とは逆の方向なのでズボラな俺には通い難い印象だ。

 その酸素カプセルなる施設は地下街に店をかまえており、外観はなんて事無い普通の商店に見える。興味も関心も無い人からしたら、なぞのスペースとして通り過ぎてしまいそうだ。

 フロントに部屋の料金を払い、係の人に奇妙な通路へと通された。雰囲気ふんいきは何となく寝台車に似ている、しかし壁に人が一人なんとか入れそうなせまい戸が、まるでハチの巣のごとくハニカム形状をえがく様に壁にめ込まれる形で連なっていた。雰囲気こそ寝台車に似ているが、これではまるでひつぎの連なる死体安置所だ。少なくとも、宿泊しゅくはく施設しせつの外見ではない。

 俺はフロントで渡された一〇二と書かれたかぎを使って部屋のとびらを開けてみたところ、部屋の中からさわやかでみ切った空気が流れて来た。

 なるほど、これが同僚の言っていた酸素カプセルとやらか! 体験談の通り、確かに深い森の中に居る様な錯覚さっかくを感じるし、何より空気が美味いと言う感覚すら有る。これは確かに一度経験してみたら、誰かに話さずにはいられないかも知れない。

 部屋の中はほとんど寝台しんだい一つのスペースしか無いが、そのわきには目覚まし時計と電話機、そして簡素かんそな荷物置きがあり、ここが宿泊施設であると最低限の主張をしていた。

 俺は部屋に入ると、扉を開けた時同様の爽やかな空気を感じながら、疲労ひろう緊張感きんちょうかんほどけてける様な感覚におちいりながら、速やかに寝台の中で意識を落とした。


「あの酸素カプセルってのは素晴らしいな! 一時間程仮眠を取っただけなのに、何時間も寝た様な充足感だ!」

 今の俺はあくびとは無縁だった。この歓喜を、酸素カプセルに教えてくれた同僚に話す。すると同僚は、お前もこっち側に来たかとでも言いたそうなしたり顔で、俺の話を聞きながらうなづく。

「そうだろう、そうだろう」

「いやもう、あんな気分良く眠ったのは子供の時以来。毎日でも通いたいくらいだ!」

 すると、肯定的こうていてきな表情で頷いていた同僚の顔がわずかにくもった。疑問を覚えたか、或いは不確かな記憶の糸を手繰たぐり寄せているとでも言った様な表情だ。

「それはやめた方がいいんじゃないのか? 俺は三日に一度か、或いはもっと期間を置いて体が不足を感じたら使う様にって言われたぜ?」

「毎日やると、何か悪影響でもあるのか?」

「いや、体に悪いとか害があるって聞いた訳じゃない。ただ、慣れってのは恐ろしい物だからな。知らないけど、多分酸素カプセルで休憩するのが当たり前になって依存症いぞんしょうにでもなるんじゃないのか?」

 同僚は俺の質問に対し、心配そうにこたえた。

「バカバカしい、森林浴みたいな環境で仮眠を取るだけなんだろう? 中毒も依存症もあるものか」


 俺はあれ以来、酸素カプセルに病みつきになった。

 何でもフロントの人は二度目以降は予約を取らないと宿泊出来ないと言ったが、俺はそれはもう頻繁ひんぱんに酸素カプセルの予約を取っていた。何せあれ以上の娯楽ごらくは無い、とは言うが、そんな物では全く幸福感を覚えなくなった。

 それに飲酒も博打ばくちたしなむ程度ならいいが、はまり込むと健康にもよくない嗜好しこうだろう。

 それに対し、酸素カプセルを使った俺は活力にあふれており、まるで寿命が十年伸びた様にすら感じた。いや、この睡眠の質と量のお陰で確実に以前の俺よりも寿命は延びているの違いない! 今の俺は他の人類が死ぬ年齢ねんれいになっても生きていると、そう断言出来る。

 そして今も正に、これから酸素カプセルでの仮眠の時間だ! もう数回目のいとしの酸素カプセルとの逢瀬おうせ、俺は胸をふくらませながら酸素カプセルのカギを開けた。


 気分が悪い。別に体の具合が悪い訳では無い、何か嫌な夢でも見ていたのかみょうな悪寒を感じる。酸素カプセルで眠る時は、毎回良い目覚めだったと言うのに、違和感がおびただしい。

 夢の内容はぼんやりとしか覚えてないが、オズの魔法使いよろしく台風にさらわれた様な気がする……

 俺は酸素カプセルのカギを内側から開けて外に出ると、見慣れた宿泊施設の通路には誰も居らず、何とも言いがたい違和感を覚えた。

「今日は他の客は居ないのか? いつもならポツポツ他の利用者と会うものなんだが……」

 その違和感の正体は、確かに人気ひとけの無さに起因する事だった。しかしそれだけではない、鍵を返却すべく足を運んだフロントにも人が居なかったのだ。

「一体何が起こっているんだ? 鍵はここに返せばいいのか?」

 俺は訳が分からないまま、鍵をフロントに置いたまま外に出た。しかしやはりおかしい、普段は活気がある地下街が人っ子一人居ないのだ! この地下街は居酒屋や雑貨屋、占いの館やカレー屋なんかが立ち並んでおり、深夜でも利用者がポツポツ居て、だからこそ宿泊施設もああして息づいている筈なのに!

「何かがおかしい……一体何が起こったと言うんだ?」

 俺は地下街をけ抜け、地上へつながる階段を駆け登り、そして空をあおいだ。

「太陽が赤くて大きい……?」

 この光景は、俺の知っている地球の空ではなかった。しかし建物などの様子はそのままで、まるで俺は周囲の環境ごと、たった一人でよその惑星へワープしてしまったかの様だった。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおい! 誰かあああああああああああああああああ! 居ないのかああああああああああああああ! 聞こえたら返事をしてくれええええええええええええええ!」

 俺は力の限り叫んだ。絶叫はビル群にひびき、街の向こうへと反響はんきょうしていった。

 俺以外の人類は全員どこかへ消えてしまったのではないか? と、そう考えが脳をよぎったその瞬間だった。

「そんな叫ばなくても聞こえますよ、寝坊助ねぼすけさん」

 耳元で声がした。俺は声の主の姿を見ようと横を向くと、そこには手のひら大の体長の、羽を有した人型の何かが、空中で虫の様に羽ばたいてホバリングしていた。

「え、あ、あなたはな……誰?」

 あなたは何と言いそうになったが、口をつぐんで言い直した。少なくとも言語能力を持った存在を、物の様に言うのは良くない気がする。

「今何って言いそうになった? 私は人間、名前はウィーナ。しかし驚いて心臓が飛び出るかと思った、まさかあの遺跡のカプセルに保存されていた古代生物が生きてて、しかも自力で出て来ただなんて……」

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