第三百三十四夜『読み本作家になろう! -in the now and past-』

2023/05/13「未来」「オアシス」「きれいな廃人」ジャンルは「王道ファンタジー」


「ご隠居いんきょ! ご隠居居ますかい? 読み本ですぜ、ご隠居! これからの時代は読み本ですぜ、ご隠居!」

 時は江戸、場所も江戸。街では八吾郎はちごろうと言う青年が、近所の長屋に住んでいる通りで一番の知恵者のおきなが暮らす部屋へと勢いよくお邪魔している。

 翁は突然素っ頓狂とんきょうな事を言いながら家に上がり込んで来たご近所さんの軽挙妄動けいきょもうどうに目を白黒させながら、何とか平静を保とうとしている。

「八つぁんや、いきなりどうしたんだい?」

「ご隠居は元々書き物が得意だったんでしょう? オレも読み本を自分で書いてみたくなりまして、こうして知恵を拝借はいしゃくしに来た次第ですよ!」

 なるほど青年の言い分は翁に理解出来た。しかし翁は書き物をしていたものの、読み本とやらには全くの門外漢だ、清文漢文ちんぷんかんぷんと言っても過言でない。

「読み本って言うのはアレか、噺本はなしぼんとか滑稽本こっけいぼんたぐいだろう? 悪いがわしは力になれないよ」

 翁はそう言うが、青年はまるで話を聞いてくれない。

「いやいやいや、そう言わずに知恵を貸して下さいよ。それに今の読み本ってのは群雄割拠ぐんゆうかっきょ、ご隠居みたいに読み本に無頓着むとんちゃくな人間でも、それこそ簡単に誰でも書けちまうんですよ!」

 青年の無神経な発言をしたせいで翁は少々気分を害したが、しかし青年はそんな事はつゆ程も気づかないし気にしない。

「へえ、そうかい。じゃあお前さんが一人で書けばいいじゃあないか? もっとも、お前さんに書ける程簡単かんたんじゃあないと思うがね」

 翁はお返しとばかりに少々毒を言葉に入れたが、しかし青年はさっぱり気が付かないし、気にしない。最早一種の才能と言った風情ふぜいか。

「ええ、ええ。オレも最近の読み本を読んでみて、これならオレにも書けらぁ! と、そう思った次第で……やれ馬にられておっんだだの、やれ辻切つじきりに殺された主人公が、天竺てんじくの神様仏様の力で江戸とは全然違う異国の地、それこそ砂丘と泉の国みたいな見た事無い土地にでも生まれ変わり、神通力の数々を発揮して悪漢共をコテンパンにする! そんな感じの読み本が今の江戸では売れているんですぜ」

「今はそんなのが売れているのか?」

 翁は皮肉も何も無しに、素になって疑問を口にした。それに対する青年は自信満々の破顔一笑はがんいっしょう、やる気満々、気炎万丈と言った様相だ。

「売れるんですよ! 今はそう言う読み本が隆盛りゅうせいで、これに人気絵師の挿絵さしえでも入った日にゃあ、一日で蔵が立つって話ですぜ」

「はあ、そんな夢みたいな話がねえ……それでお前さん、儂に知恵を借りるとは言ったものの、何を聞きに来たんだい?」

 翁がそう尋ねると、青年は急に恥ずかしそうにモジモジし始めて、小さい声でこう言った。

「いや何、実はオレは学が無くて寺子屋で勉強べんきょうはしたものの、書き物はさっぱりなのでご隠居から書き物に関するを教えてもらおうかと……」

 これにはさすがの翁も呆れ果てた。いや、向上心の有る若者の存在はよろこばしいしものだし、夢は大きい方が言い。しかし口だけ大きく、初歩から学ぶと言うのは落差が大きく、聞く側としては脱力するなと言うのは無理難題だ。

「こいつぁ呆れた。実は内心、お前さんが書き物をしているところを見た事が無いと思っていたよ」

「ええ、ずかしながら。いやしかし、どこかに口で命令すれば書き物を代わりにしてくれる式神なりみたいな物、どこかにありませんかね?」

「馬鹿な事を言っちゃあいけないよ。そんな事を言ってるひまが有るなら、ひたすら手を動かさないかい」

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