第三百三十二夜『今お前は怖いと思ったな? -I C U-』

2023/05/11「白色」「銅像」「先例のない殺戮さつりく」ジャンルは「邪道ファンタジー」


 さとりと言う妖怪を知っているだろうか?

 覚に関する話はいくつかあり、バリエーションもまちまち。覚は元々中国から来た妖怪だと言うパターン、覚は無害な妖怪で自分を害する人間の前に現れないと言うパターン、そして一つのパターンに覚は人間を恐怖で動けなくして捕食する妖怪だと言う物がある。

 そのパターンでは、覚に遭遇そうぐうした木こりが命からがら覚から逃れたと言う話で、なるほどこれが被害者が覚に食べられてしまった話ならば、どうやってその話を後世に伝えたんだこの野暮天太郎が! と、そう問い詰めたくなるところだが、筋が通っている様に聞こえる。

 そのエピソードでは覚は狡猾こうかつかつ悪辣あくらつとして描写されており、獲物を前にして「今お前は怖いなと思ったな?」「今お前はグズグズしていると取って喰われると思ったな?」「今度は逃げるだけ逃げようと思ったな?」「今お前はあきらめたな?」と、相手を恐怖でしばって動けなくする捕食者である。

 さて、ここで一つの疑問が生じる。言葉で恐怖を覚えさせて捕食する動物と言う存在は、自然界に許容されるのだろうか?

 言葉で恐怖させると言う生態ならば、被食者は人間に限定される。例えばウサギか何かに「今お前は怖いなと思ったな?」と語りかけても、脱兎だっとの言葉の通り逃げてしまうだろう。

 蛇の様に一度食事をしたら相当な時間を断食できる動物だと仮定しても、一人で居る人間に獲物が限定する様な動物が山に生息していると言うのは理解しがたいと言えよう。

 この話題に関してだが、覚は山彦やまびこの化身であったり、山の神の化身と言う説もある。なるほど純粋な生物でなく、人間を捕食する生体の動物でないと考えればに落ちると言えよう。

 しかしもっと簡単でメジャーな解釈かいしゃくがある。妖怪は人間の恐怖心から生じる存在で、人間を怖がらせて楽しんでいると言う解釈である。これならば、覚に喰われた事が死因だと言う被害者が存在しない事も説明が付くし、何よりこの説は有力説なのである。

 あなたも一人で暗がりに居るところを「今お前は怖いなと思ったな?」と後方から話しかけられたら怖いと感じるだろう。妖怪とはその様なものなのだ。


「今お前は怖いなと思ったな?」

 深夜の暗いまちの中、一人で居る人間の前に立って俺はそう言った。人間は俺を見ると顔面蒼白がんめんそうはくになって、グズグズしているとこの怪物に喰われてしまう! と、その身をおののかせた。

「今お前はグズグズしていると取って喰われると思ったな?」

 俺がそう口にすると、人間は増々怖がった。もう顔面は蒼白な上にクシャクシャに丸めた紙の様で、もう俺は面白おかしくてたまらない。

「今度は逃げるだけ逃げようと思ったな?」

 俺が追い打ちをかける様そう言うと、目の前の人間は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。

「今お前はあきらめたな?」

 その言葉がトドメになり、目の前の人間は両目を強く閉じて微動びどうだにしなくなった。全身が細かに震えている事を除けば、人間大の像と言っても通用しそうな有様だ。

 俺は震えて目を閉じ動けなくなった人間を見て大変満足し、この場を去った。あの人間は一生俺と言う恐怖におびえ、もっと良くしたら俺と言う恐怖をあちこちで喧伝けんでんして回るだろう。それこそ俺の幸せ、俺の存在意義だ。

 俺は一人で居る人間が他にも居ないか探し回ったところ、幸運にもすぐそばに別の人間を見つけた。これは実に良い、もう一人怖がらせて遊んでやろうではないか!

「今お前は怖いなと思ったな?」

 二人目の獲物の目の間に立って、俺はそう言った。すると人間は俺に殴りかかろうと考え、実行して来た。

 全く無駄な事だ。俺には人間の考えが読める、一挙一動を本人より先に知覚できる、無意識の偶然ぐうぜん以外に俺を傷つける方法など何も無い!

 事実、俺は人間の攻撃を容易にけ、人間の拳はあわれ宙を舞った。人間はりずに刀を返す様にりを俺に向って繰り出した。それも生意気にも俺を追い払う目的でなく、拳や蹴りを俺の肉体にめり込ませて地にさせようとしているオマケ付きだ!

 無論俺には人間の蹴りなど万に一つも命中しない。しかしこの人間はそれでも懲りずに頭の中で俺の鼻を殴り折る、腹部にかかとを喰らわせる、ほおに平手打ちを喰らわせて体制を崩させる、頭部を鷲掴わしづかみにしてを握り潰さんとする、あごを蹴り上げて粉砕する、後ろ脚を踏み砕いて動けなくなさせ眉間みけんに正拳突きを当てようとする……その様な考えの数々を俺に見せた。

 いや待て、俺は一体何をされようとしているんだ? 人間は俺の獲物であって、考えを一つや二つ言い当てたら心をえさせるものじゃないのか? 何故俺はこの人間の頭の中で何度も何度も殴られたり蹴られたりしていて、その様を見るめになっている? だがしかしこの人間は危険だ、今ここでコイツの考えを読むのを止めたら、それこそコイツが考えている様に死ぬ程殴られてしまう!

『飛び蹴りで妖怪の頭部を蹴り飛ばして、妖怪が地に伏して動けなくしてやる』

『フェイントの後、両腕を振りかぶって頭部を叩きつけたら妖怪は倒れて動けなくなる』

『妖怪が飛びのいたところに、奴の顎にラリアットを食らわせてうずくまったところに、これでもかと言う程蹴りを入れてやる』

『顔面にストレートを喰らわせて上顎の歯を全部へし折ってやる』

『腕を掴んで胴体に蹴りを入れ、脱臼するまで痛めつけてやる』

『ちょっとでもすきを見せたら、馬乗りになって抵抗しなくなるまで顔面を殴り続けてやろう』

『殴って蹴ってって殴って蹴って打って殴って蹴って打って……』

「ふざけるな! なんて事を考えているんだ!? お前の様な人間は初めてだ、逃げさせてもらう!」

 俺はどうしようも無い恐怖を覚え、背を向けて一目散に逃げ出した。全く、世の中には想像もできない様な恐ろしい生物が居るものだ。

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