第三百十八夜『故郷は地上-Demon in a Bottle-』

2023/04/25「陰」「サボテン」「きれいな世界」ジャンルは「ホラー」


 大気があたたかくなり、花が咲き始めた頃の事だった。街の駅でちょっとした事件が起こった。

「地上の皆さん、こんにちは。私は地獄から来た酒の悪魔です、今日は皆様と共にお酒を楽しみに参りました」

 そう言っている女性の体格は小柄で、大きなボストンバッグを脇に抱えており、右手にはサボテンが印刷されているラベルがってあるテキーラらしきびんを持っていた。因みにテキーラはサボテンのお酒ではない。

 酒の悪魔を自称する女性は見たところ、普通の小柄な人間であり、時折酒瓶をあおっては周囲に酒精の香りをただよわせていた。繰り返すが地獄の様に赤い肌をしている訳でも、山羊の様な角を生やしている様子もなく、ごく普通の人間だ。

 自称酒の悪魔は友好的に語りかけているものの、周囲の人間は警戒するやら胡乱うろんなものを見る様子を見せるやら、少なくとも彼女の言う事を真に受ける人は全く居なかった。

「なんだい、ありゃあ?」

「さあ? 春にはおかしな人が出るからねえ」

「酒の神はバッカスだが、酒の悪魔ってのは何だ? バカっスか?」

「きっと中身の無い娯楽小説ごらくしょうせつの読み過ぎだろう、そうに違いない」

「ただの酔っ払いだろう、警察に連れて行ってもらおう」

 周囲の人々は、自称酒の悪魔に対して恐れを抱いてはいなかった。これが怒号を上げる酔っ払いなら恐れたかも知れないが、にこやかな事を言うだけの体格の小さい人間なのだから脅威を一目で覚えないのだ。

 そんなこんなで野次馬の誰某だれがしかが通報したらしく、警察官がやって来た。警察官らの質問に快く応えるが、これがまた要領を得ない。

「お名前と職業は?」

「ジャアク・プーバシャ・ミラー、職業は酒の悪魔」

「どこからいらしたの?」

「地獄の三丁目」

 終始この様な有様である。こうなってはらちが明かないと、警察官達は彼女を最寄りの病院へ放り込んだ。何せ一見素面しらふにも関わらず、記憶を喪失そうしつしている様に見えるのだ。健忘の症状が見られるのだから、治療ちりょうを施してやるのが人の道と言う物だろう。


 この騒動そうどうはあっさりと収束した。病院で簡単な検査と治療を施したところ、自称酒の悪魔は人間であると言う自認を示したのだ。これにて一件落着である。

 しかし困った事に彼女の健忘そのものは本物らしく、身元や家族や住所の事は思い出せない。分かるのは自分が悪魔ではない事や、地獄の出身なんかではない事だけだ。

 通常であれば、まず最初に彼女の持ち物から身元を調べるべきだろうが、間の悪い事に彼女は唯一の持ち主のボストンバッグを駅に置き忘れて病院へ連れられてしまっていた。その間に簡単な治療を施したら、正気に戻ったと言う訳だ。

 元自称酒の悪魔のボストンバッグは、駅の落とし物コーナーに戻って来ていた。これを発見した人は中身を見る事は無く、関心も無かったらしく、中身もそのまま戻って来ていた。

 しかしボストンバッグの中身を見た医者は吃驚仰天びっくりぎょうてん、腰を抜かした。中身は一見すると酒瓶、スキットルボトル、樽型ジョッキ、徳利とっくり……と酒類の入れ物ばかり。一つ異様な点を挙げるとしたら、中身のジョッキやら徳利やらが横になって酒類をこぼしているにも関わらず、ボストンバッグの外に酒がれる事無く、瓶やジョッキの中身が無くなる様子も無く延々と永遠に酒類を零し続けているのだ!

「これは一体……お前さん、これに見覚えは?」

 困惑した医者は元自称酒の悪魔の女性に尋ね、彼女は残念そうに答えた。

「さあ? 分かりかねます。私は生まれも育ちも地上です故」

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