第二百七夜『鏡像同位体-a cheir-』

2022/12/25「緑色」「終末」「消えた主従関係」ジャンルは「SF」


 側面にツタの這った、昔の映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小物屋の中、どことなく刃物の様な印象を覚える詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年と、飾り気の無いシンプルな黒のイブイニングドレス風の姿と墨を垂らしたような黒い長髪が目に映える女主人が居た。


「カナエ、良かったらこの後お茶にしない? ちょっと面白い事を考え付いたの」

 俺がバイト先の店長に呼ばれて店の裏手の居住スペースに訪れると、店長がテーブルにクッキーとお茶を用意していた。

 クッキーとお茶を用意してウキウキしているのはいい、一つ気がかりなのは、クッキーをのぞかせる様な形で緑色の縁をした卓上ミラーをかざっていると言う事だ。化粧けしょうをする際に使った鏡をそのままにしたのだろうか? と、そう思ったが、角度や位置からしてどうやら違うらしい。

「アイネさん、その鏡は何ですか?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれました! これはそうね、映った物を増やす魔鏡です!」

 店長は得意げな顔をしつつ、形の良い胸を張る形でそう言うと、鏡面をでる様な仕草をし、次の瞬間には手紙の中に指がめり込ませた。

「!?」

 一瞬目の錯覚さっかくかとも思ったが、まだ分からない。店長は度々俺を揶揄からかう為にあの手この手を使うからただの手品かも知れないし、もっと言うと店長の店に置いてある品物は全て本物のおまじないの品々なのだ……つまり、俺は店長が今何をしているか全く持って全然見当がつかない。

「アイネさん、それは何が出来ているんですか?」

「ええ、これはね、鏡の中に指を突っ込んでいるのです!」

 答えになっていない……そう思っていると、店長は鏡にめり込ませた指を取り出し、その手にはクッキーが摘ままれていた。テーブルの上のクッキーは減っていない。

「それは手品ですか? それとも本当に鏡に映ったクッキーなのですか?」

「食べてみれば分かるわ」

 店長はそう言って、俺にクッキーを握らせた。店長に言われたままに恐る恐るクッキーを口にする。

「……味がしない」

「そう、そうなの! それがこの鏡が面白い所なのよ。この鏡はね、映った物体の分子すらも左右あべこべにしてしまうの」

 俺は店長が言っている意味が全く理解出来なかった。分子が左右あべこべになる? それが一体味のしないクッキーと何の関係があるのだろうか?

「つまり鏡の世界には味は存在しないって事ですか?」

 俺の質問に対し、店長は増々得意げになって微笑ほほえんだ。自分の気に行った商品が、期待通りの反応を生み出した事が嬉しくてたまらないといったところか。

「それは半分そうで、半分違うわ。鏡の世界と言うのはちょっと違うの、この鏡は鏡の世界につながるんじゃなくて、鏡の様な世界を創り出すと言った方が近いわ。強いて言うなら、この鏡の中には味の無い世界があると言った方が近いかしら」

「えっと、それはどう言う事ですか……?」

「この鏡で取り出した物は綺麗に左右があべこべになるの。だからお金を取り出しても使えないし、そもそも鏡の中の物質を構成する分子はいわゆる鏡像異性体の様な物になるわ。簡単に言うと、この鏡に映った人間を取り出したら左手が右手の人体が出て来るし、左右が逆に見えるだけじゃなく、化学的な性質が異なる物ばかりになるの。味もその一つね」

 店長の説明を聞き、俺は鏡の中の仮初かりそめの世界を想像した。全ての文字が左右逆で、人体も左右逆、そして味は存在しないし、全ての物質がこの世界とは化学的に異なる……それこそデオキシリボ核酸すら左右逆の世界だ、何もかもが違うのだろう。

「なんだか怖い話ですね……アイネさんの言う事が正しいなら、その世界って人間も左右が逆なのですよね?」

「ええ、そうなるわ。全員が全員左右があべこべだから、みんなサウザー遺伝子を持っている様なものね。サウザー遺伝子、知ってる?」

 店長の質問に、俺は首を横に振って答えた。

「そっか……面白いになー、残念!」

 店長はそう言いながら卓上ミラーを何も映らない様に折りたたみ、そして悪戯っぽい笑顔を浮かべて俺に尋ねた。

「ねえカナエ、この鏡ってどんな人に売れると思う?」

「どんな人に売れるかですか……すみません、分からないです」

 俺がそう言うと、店長はひどくつまらない物を見たと言った様な表情を浮かべてしまった。

「ダメ、もっと真剣に考えなさいな」

 店長にそう言われて、真剣に考える。鏡の中のものならば、それは人体も取り出せる風な口調で店長は言っていた。しかし左右が逆転するならば、臓器移植の様な目的には使えない、そんな物を移植してしまっては破滅だろう、この鏡は根本的にお金儲けには使えないのだ。それならば一時的で単純な目的ならば可能と言う事だろうか?

 俺は店長のすみひたした様な綺麗きれいな長髪と、イブニングドレス風の服装の上からも分かる形の分かる胸、あらわになった鎖骨さこつを見て考えた。店長の鏡像を鏡から引きり出したらどうなる?

 俺は、自分が鏡像の店長をほしいままにするさまを想像した。店長のつむじを撫で、身体の線に手をわせ、くちびるむさぼり、左右逆転など露程つゆほども気にもせずに欲望のままに体を重ねる自分の姿だ。

「……すみません、分かりません」

「ふーん、じゃあそう言う事にしておいてあげる」

 店長はクスクスと笑いながら、この話題を打ち切った。

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