第百八十一夜『あたしゃ神様だよ-act of god-』

2022/11/23「空気」「冷蔵庫」「家の中の恩返し」ジャンルは「ミステリー」


 アパートの一角に太った男が住んでいた。その男は人々を幸せにする仕事をしており、微力ながらも世に尽くして生きて来た。

 ノックの音がした。太った男は何事かと扉を不用意に開けると、そこには両手に印刷物と小冊子を持った年配の女性が居た。

「あなたは今幸せですか? あなたは神を信じますか?」

 宗教しゅうきょう勧誘かんゆうだった。しかし太った男は動じない、別段新興宗教を否定する気は無いが、彼には信仰している神が居るので余計のお世話と言う他無かった。

「間に合っています、うちは神道です」

「その様な間違った神を拝んではいけません! そんな間違った神を拝んだら地獄に落ちます! うちの神様は本物の神様ですからね!」

 太った男は心の中で年配の女性を一つ減点した。仮にどんなに教えが優れていようとも、信徒が相手の信教の自由につばする様な宗教ならば一度ほろびるべきだと言うのが、彼の考えだった。

「それじゃちょっと上がらせてもらいますよ」

 太った男が不用意に扉を大きく開けたのがたたり、宗教の勧誘に来た年配の女性はずずいずいと部屋の中へ入り込んで来た。男としては、相手の宗教をばっさり否定する様なやからでさえなかったら話を聞くくらいはしてやってもよかったのだが、さすがの面の皮の厚さには早くもほとほとうんざりだ。

 しかし招く様に扉を開けたのもまた事実、仕方なしに太った男は年配の女性に水を出す。本当なら水も出したくなかったが仕方が無い。それと、丁度お茶とお茶菓子は切らしていると言う事を思いついた。

 しかし年配の女性はそんな事もお構い無しにうちの宗教はどうの、他の宗教はどうのと、くちゃくちゃと高説を垂れ始める。太った男は、この様な勧誘な下手な信徒に任せざるを得ない新興宗教に同情した。

「これはここだけの話なのですが、この神の力が宿った石。なんとあなたの周囲から陰のを吸収し、陽の気を放出します! 今ならたったの十万円!」

 年配の女性はどこにでもありそうな石を取り出して、さも特別な商品であるかのように太った男に見せた。

「間に合っています」

「ちょっとお高いなーと思われる方にオススメなのが、こちらの神の力の宿った水! なんと飲むだけで体から陰の気を排出し、大気中から陽の気を吸収する様に体質改善を行ないます! こちら今なら一瓶ひとびん五千円!」

「間に合っています」

「嘘を言ってはいけませんよお兄さん、あなたの様な若者は心の何処かに不安を抱えていると決まっているものです」

 太った男は心の中で年配の女性を更に二つ減点した。彼は嘘つき呼ばわりされる事や負のレッテル張りをされる事が何より嫌いだったし、更に言うと若者などとお世辞を言われるのも嫌いだった。

「そうですね、では一つ質問したいのですが、あなたの信仰する神様とやらは何時いつから神なのですか?」

 太った男がそう質問すると、年配の女性は待ってました! と言わんばかりに、教祖の略歴や教義を語り始める。

「なるほど、分かりました。ところでこれはここだけの内緒の話なのですが、実は俺は神様なんですよ。それもただの神様じゃなく、天神達の王様の息子、つまりは皇子様おうじさま。ただ、色々あって追放されて人間界に来たんですよ。家督かとくは俺の妹が継いでて、顔合わせづらいんで親戚しんせきつき合いはしてないけど、たまーに営業に行くことはあります」

「はい?」

「俺が俺の身の上話を人間にするなんて、滅多にある事ではないですよ。営業の一環で身分を明かす事はありますが、ここまで身の上話をしたのは数百年ぶりです。本当にあなたはラッキーですよ、

 太った男のカミングアウトに年配の女性は絶句し、目をいた。この人はいきなり何を言っているのか? 頭は大丈夫なのか? いきなり自分を神様だの皇子様と言いだして胡散臭うさんくさい事この上ない。と、そう思った。

「俺も家督を継げなかったチャランポランとは言え神様の端くれ、あなたの神様にもそのうち挨拶あいさつに向わせていただきます。ところでこれも何かの縁と言う事で、俺から何か買っていただけないですか?」

 太った男はそう言うと、冷蔵庫からペットボトル入りのミネラルウォーターを取り出し、年配の女性の目の前でそのラベルをがした。

「こちら神々の皇子様印の霊験れいけんあらたかなすごい水です。今なら特別価格で、一本二百円」

「いや、それただのミネラルウォーターですよね」

「霊験あらたかな神様のすごい水です」

「要りませんよ! 私を馬鹿にしているのですか!?」

 怒鳴って相手を否定する年配の女性を物ともせず、太った男性は霊験あらたかな神様のすごい水を脇へと置き、次の商品を取り出した。

「ではこちらはいかがですか? 俺が着なくなって久しい、福がある残り物の服、神々の皇子様印の古着です。伸びてほつれているので、一着千円で良いですよ」

「要りません! そんな詐欺さぎまがいの事をして恥ずかしくないのですか!」

 年配の女性は凄い剣幕けんまくを示すが、太った男は全く意に介さない。今は部屋の隅にあったビニールふくろを広げたり振り回したり縛っている。

「よし出来た! こちらはとっておきですよ、神々の皇子様印の神聖な部屋の空気入りビニール袋です! 幾らで買ってくれますか?」

 年配の女性はもう怒り心頭だ。宗教の勧誘に来たのに、何故自分は神々の皇子を自称するデブから胡散臭い宗教グッズの販売をされなくてはいけないのだろうか?

「もういい! そんな次々と怪しいただの詐欺行為を働く邪悪な嘘つきは地獄に落ちろ!」

 遂に捨て台詞を吐いて太った男の部屋から出ていってしまった。

 先程までの喧騒けんそうが嘘の様に静まり返った室内。太った男は中年の女性がすっかり出ていき戻ってくる様子が無い事を確認すると、先程まで水が入っていたグラスに霊験あらたかな神様のすごい水を注いだ。

「嘘じゃないんだけどなあ……」

 グラスに注がれた霊験あらたかな神様のすごい水はグラスの中で黄金色になって白い泡を立て、部屋の中にはビール特有の芳醇ほうじゅんな香りがただよった。

「嘘だの嘘じゃないと言えば、俺は本来ビールや福の神様じゃなく、釣りの神様なんだけどねえ……」

 太った男は先まで水だったビールをガブリと飲み干し、来たる自分の仕事のシーズンに向って英気を養う。何せもうすぐ一月、彼にとっては一年を通して一番忙しい季節なのだ。

「勿体ない話だとは思うが、あのが選んだ事だし仕方が無い。信教の自由は人の自由だ、自ら幸せを蹴るのも人の世の常に相違ない」

 太った男は家族写真でも見る様な目で、壁にかけた一種の宗教画に視線をやりながら呟いた。首に勾玉まがたま絹袴きぬはかまを身に着け、みづらいをした古代日本人然とした夫婦が、船の形のかごに赤子を乗せた絵だった。

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