第百六十夜『シャーロックホームズ傷害事件-Goddess with the blindfolder-』

2022/10/28「東」「洗濯機」「荒ぶる才能」ジャンルは「偏愛モノ」


 港の湾岸沿いの集合住宅の一角に事務所があった。外観は普通の集合住宅の一室と変わらないが、表札は部屋が探偵事務所である事を示していた。

 探偵事務所には、額が少し広い赤茶色の髪色の男、クラゲの様な髪色と深海の様な色の瞳をした千早ちはや姿の女性が居た。

「全く参った事になった。弁護士に一応事前に相談はしてあるし、正当性は認められる事だろうが、全くもってナンセンスだ……」

 赤茶色の髪色の男は、椅子に座ったまま自分宛に届いた手紙をプラリプラリと手で振りつつボヤく。それに対し、千早姿の女性は座してお茶を飲みながら赤茶色の髪色の男を小馬鹿にした様な顔色で笑う。

「どうしたの先生? 分かった! 実は先生は街を牛耳るヤクザのボスで、その事がバレて暴力団対策法でしょっ引かれる事になって、でもでも邪悪な司法取引で部下をトカゲの尻尾切りする事で無罪放免になるとか?『僕は何も知らない! 部下が勝手にやった事、僕の監督不行きだ! やめろ死にたくない! 』ってなるんでしょ? こないだテレビで観たよ」

「そんな任侠にんきょう作品にありそうな話じゃない、現実はもっとお粗末な物だ。どうやら僕は過剰防衛による傷害罪で訴えられたらしい」

「そんな! 先生は職業柄怨みを買うだろうし、絶対に何時いつかやると思っていたけど、まさか人をあやめるだなんて……」

 千早の女性はこの世の終わりの様に嘆き、手の甲で目元を隠し、目を細めるのを隠しながらそう言った。

「ヘンリエッタ君、僕の話を真面目に聞く気は無いな? 僕は傷害罪で訴えられたんだ、殺人罪じゃない」

「うん、知ってる。でもどうして?」

「事件のあらましはこうだ。僕は街で捜査の一環として尾行をしていたところ、観察対象が僕の存在に気が付き、誰の差し金だ? だの、素直に吐きたくなるまでボコボコにしてやる! だの言いながら僕に向って来た。僕はこれを、警察に別件逮捕して貰って余罪を洗う事が出来る好機だと判断し、相手が殴りかかって来たのをいなして投げ飛ばして後ろ手に確保した」

「そっか……その時の打撲が原因で、その後亡くなったんだよね……」

 ヘンリエッタと呼ばれた女性は左手中指と人差し指で十字を作り、右手を顔の前で拡げて祈祷のポーズを取った。

「だから死んでない。そして君は神道だろ、何故左手で十字架を?」

「ええと、和洋折衷わようせっちゅう?」

「話を戻すよ。やっこさん僕に投げられた事を根に持っているらしく、なんと僕を格闘技経験者にも関わらず一般人に暴行を働いたかどで訴訟に乗り出すらしい」

「なるほど! 先生はバリツの有段者で、東アジアチャンピオンで、師範代行だものねー。本土でもブイブイ言わせ過ぎて、逆にお偉いさんの不興を買って破門されたんでしたっけ?」

 ヘンリエッタは楽しそうに、赤茶色の髪色の男の存在しない武勇伝をつらつらと立て板に水に語り始める。放っておくと次は惑星規模にでもなりそうな出世スピードだ。

「そう、そこなんだよ。僕はバリツ同好会で有段者に認められている。認められているが、バリツはそもそも正式な武術ではなくシャーロックホームズ愛好家が好き勝手に活動をしているだけ、一言で言うと非実在武術なんだ」

 赤茶色の髪色の男にヘンリエッタは心底驚いた様子を見せた。

「バリツの有段者なのは本当だったの!? でも非実在武術の黒帯ってそれ、何の意味があるの?」

「無いね。それこそ子供のごっこ遊びと何も変わらない。そもそもシャーロキアンなんてのは、歳を取った子供以外の何者でもない」

 ヘンリエッタの疑問に、赤茶色の髪色の男はバッサリと切り捨てる。

「じゃあその訴訟はどうなるの?」

「僕は格闘技の素人として法的には扱われるだろうね。ホームズごっこが上手いだけで格闘技の有段者と同じ扱いにしていたら、それこそ判例法の教科書に被疑者が実在非実在を問わずモノマネが上手いか否かを洗い出す様に注意書きをしないといけなくなる。チャンバラ作品にたずさわる人間も皆、長物ながものや剣術の経験者扱いになるだろうな」

 赤茶色の髪色の男はこの世のうれいを全て背負っている様に天井をあおぐ。自分が不条理な目に遭っていると嘆くと言うより、馬鹿馬鹿しい事態に呆れていると言った様子だ。

「でも先生、その調査相手を投げ飛ばした事には変わらないよね? 裁判長やら検察側の印象は悪いんじゃない?」

「そこは相手方に攻撃の意思があるのを確認しているし、取り押さえただけで傷害罪にならない様に、つまり怪我をしない様に気を付けた。それに腕が確かな弁護士に相談したし、正当性は認められるさ」

「ふうん、じゃあこっちで裁判がどうなるかショートカットで見せてあげようか?」

 ヘンリエッタはそう言って、椅子に座っている赤茶色の髪色の男の顔を両手で上から挟んで覗き込みつつ、彼に上を見させる。クラゲの様な色の髪が触腕の様に動き、彼の顔をくすぐった。

「さあ、こっちへ魂を委ねて。早く……」

「いいや、遠慮しておく。小説のマネをするだけで格闘家になれるなら、それこそ原告は聖書でも読んで神様になれば良かったんだよ」

 赤茶色の髪色の男はいつもの事だと言う様に、特に何もなかったかのようにヘンリエッタの手を払った。

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