第百三十八夜『基本世界-Door to Nothingness-』

2022/10/02「音」「ことわざ」「静かな存在」ジャンルは「王道ファンタジー」


「何だこの扉……?」

 少々埃っぽいが、荒れ果てているとか汚れていると言う程でもない地下室。店長に地下室の掃除を頼まれて来たのだが、その壁に位置する目の前に場違いなものがあった。鉄製に見える大仰な扉が、これまた鉄製に見える大仰なかんぬきで封がされていた。

 この先がどうなっているか、どうして閂で封じられているか、そもそもこの場違いなデザインは何なのか? 色々と思う所はあるが、店長に命じられた清掃をしなくてはならない。

 水でれた雑巾ぞうきんを固くしぼり、扉や閂を拭く事にする。

「その扉が気になるかしら?」

 背後から声がし、振り向くと地下室の入口に飾り気の無いイブニングドレス風の服に身を包み、墨を垂らした絹の様な豊かな髪を遊ばせながら、蠱惑的な様相の店長が立っていた。その口調は、そう言えばそんな扉もあったな……と扉自体に感情があまり向いていない様に感じられ、しかし俺に扉の由縁ゆえんを話してやりたいと言った感情がこもっている風にも聞こえた。

「この扉、やっぱりこの店にあるだけあって何かトンでもない代物なんですか? 上にある商品みたいに、人の人生を大きく左右する様な力を持っているとか……」

 店長曰く、うちにある商品は全部正真正銘本物のおまじないの代物だそうだ。つまり、あの扉が商品かは分からないが、この店に存在している以上は何かしらの曰く付きな気がしてならない。

「ええ、カナエもうちの従業員としてはくが付いてきた様ね。あれは星の裏側に通じている扉なの」

「星の裏側……? それはマグマとかマントルとか地底とか、もしくは日本の裏側がブラジルとか、そういう話ですか?」

 俺がそう尋ねると、店長はおかしくてたまらないと言った様子か、或いは微笑ましいものを見た様にクスクスと笑い始めた。

「ごめんなさい、それは違うの、私の言い方が悪かったわね。もしも強いて別の言い方をするとしたら、異世界と言うのが正しいかしら。でも、その扉の先は星の裏側と言うのが正しいの」

「星の裏側が異世界なのですか?」

 店長は俺に対して嘘を吐いた事は無かった。俺を試したりからかう目的ではぐらかす事こそあれど、俺をだましたりおとしいれる様な事は言った事は無い。つまり、店長の言葉は本当で、あの閂がかかった門の先は本当に星の裏側と称される異世界なのだろう。

「そう、星の裏側。何せ星の裏側の人々からしたら、こちらこそが星の裏側なの。この扉を基点に、あちらとこちらは逆になっていると言えます」

 なるほど、店長が異世界の事を星の裏側と表現した理由はなんとなく分かった。店長の言葉を信じるならば、異世界とこの世界は表裏一体の関係と言えるので星の裏側なのだろう。しかし、店長の言葉は不足している。表裏一体の関係ならば、異世界とこの世界は何と何が逆なのか、或いは何と何が共有されているかされなければならない。

「それで、その異世界は何が逆なんですか? 星の裏側って事は、あちらとこちらは似たような世界なんですよね?」

 俺がそう質問すると、店長は嬉しそうに微笑んだ。まるでマンツーマンの教師が出来の良い生徒をめる様で、俺は何だかドギマギしてしまった。

「そうね、あっちとこっちは似ていて逆なの。あちらの世界は、多分だけどうちの店が無いんじゃ無いかしら?」

 俺は店長の言葉の意味が分からなかった。この店が無い? それが逆と言う意味なのか?

「裏側全てを観測した訳じゃないから確証は無いのだけど、裏側には不思議な事は全く全て無いの。だからおまじないの店をやっているうちは、曰く付きだけどインチキでしか無い商品を売っているか、もしくは店そのものが無いかも知れないわね」

 俺は店長が言う、星の裏側を想像した。星の裏側の俺は店長と出会う事も無く、何も無いここで何をするでもなく肘をついて座っている。そんな想像をすると、何とも言えない寂寥感せきりょうかんに襲われた。胸が裂ける思いと言う奴だ。

「嫌な世界だ、俺が星の表側の人で良かった……」

「あら、本当にそうかしら? 星の裏側なら、不思議な事は何も存在しないのですから、例えば魔法や超能力のたぐいが全て証明され、体系づけられて、うちはそう言う小物を取り扱う店になっているかも知れないわよ?」

「そうなんですか? それなら向こう側の俺も可哀想じゃないかも」

「ただ一つ、確実に言えるのは扉の向こう側には不思議なものは存在しないから、この扉は片道にしか存在しないわね。そして星の裏側には不思議なものは一切存在しないから、私達の言う星の表側を観測する手立ても存在しない事になるわ」

 俺は店長の言葉を聞き、自分が扉を開けて星の裏側に行き、元の世界に戻る事が出来ず、元の世界を知る事も全く出来ない状況にある事を想像してしまった。しかも、星の裏側では店長が店長で無い可能性もある、即ち俺と店長の関係性は永遠に断たれたと言うオマケ付きだ。

「そう考えると恐ろしいですね。星の裏側にも人が住んでいるとは言え、俺が星の裏側の人でなくて安心しました……」

 俺がそう言うと、店長は扉を拭いている俺のすぐかたわらに立ち、閂に手をかけつつ、俺の方を見て微笑んでいった。

「カナエ、星の裏側に行ってみない?」

「えっ?」

 冗談ではない! 俺は先程星の裏側を想像してネガティブな気分になっていたところなのだ。しかし、店長が勧める事には何かしらの理由がある筈だ。店長は俺に何を望んでいるのだろうか?

「えっと、その、アイネさんも一緒に来てくれるのでしたら」

「分かったわ。じゃあ早速扉を開けましょう」

 店長はそう言うや否や、閂をポンと外し、扉に手をかけた。俺は扉の向こう側の光景を三度想像し、思わず目を瞑った。

 瞑暗めいあんの中、ギギギ……と、重い金属がれる音がした。ダメだ、目を開ける勇気が湧かない! しかし店長は俺の手首を掴み、耳元でささやいて言う。

「何も恐ろしい事は無いわ、さあ目を開けて」

 恐る恐る目を開けると、そこには漆喰しっくいらしき白いもので塗りつぶされた壁があった。扉の向こう側に異世界など無かった、あるのは塗りつぶされた壁だけだ。

「あの、アイネさん?」

「ごめんなさい、星の裏側を想像するカナエが可愛いから揶揄からかっちゃいました」

「て、て、店長~!」

 俺は生まれて初めて店長から嘘を吐かれた。


 それから俺は何事も無く地下室の掃除を終わらせて、今日の仕事を完了した。今は自宅へ帰り、ベッドの中だ。

 思い返すと店長の話はどこからどこまでが作り話だったのだろうか? 普通に考えると、星の裏側なんて与太話が嘘なのだろう。しかし店長の言葉を思い出すと、店長は俺が星の裏側を想像する姿が可愛いのでからかったと言っていた。つまり、星の裏側は事実であり、星の裏側へ連れて行く事が狂言きょうげんであると受け取る事も出来る。

 俺の脳裏には、なんとなく人里離れたひっそりとした場所に謎の扉があるのを想像した。店長が言う様に星の裏側は真実であり、実際に星の裏側に通じる扉を通ってしまい、星の表側へ帰れなくなってしまった人間は実在する。そう想像すると、頭の内部にブラックホールが生じたかの様な感覚に陥り、悶々もんもんとしてしまって眠れなくなってしまった。

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