第百九夜『あれが噂の怪物探偵-Underground-』
2022/08/30「土」「パズル」「正義の技」ジャンルは「ミステリー」
夫が居なくなってしまった。警察に頼んだが、話を聞くだけでまともにとりあってくれない。
私には分かる、彼は事件に巻き込まれたのだ。早く誰かに探してもらわなくてはならない。これがただの
だが、警察に頼んでも積極的に行動してくれないならば、私はどうしたらいいのだろうか? そう考えていると、電柱に張り紙がしてあるのが見えた。張り紙には
「キングストン探偵事務所……」
港の湾外沿いの集合住宅の一角に事務所があった。外観は普通の集合住宅の一室と変わらないが、表札は部屋が探偵事務所である事を示していた。
探偵事務所には、額が少し広い赤茶色の髪色の男と、クラゲの様な髪色と深海の様な色の瞳をした千早姿の女性とが居た。
「暇だねー先生」
千早姿の女性が、心底退屈そうな声色で何となしに言う。
「暇じゃない。僕には挌闘中の仕事があるんだ、暇そうにしている暇があったら、助手らしく僕にお茶でも入れてくれたらどうなんだ?」
千早姿の女性に先生と呼ばれた男性は、机で端末を相手に作業しながら答えた。
「ああそうだ、それはもうちょっとだけ待ってくれる? そろそろゴトが舞い込みますよっと。そら来た」
千早姿の女性がそう言うと、事務所に
「失礼します。先程連絡した者です、調査して頂きたい事があって参りました」
「ああ、先程相談の電話を下さった……ようこそキングストン探偵事務所へ、私は所長のハーロック・キングストン。どうぞこちらへおかけになって下さい」
ハーロックは千早姿の女性の方に含みのある、そんな事は分かり切っていたから言わなくて良い。と、そう言いたそうな視線を一瞬投げかけ、妙齢の女性に対応した。
「では、面談を。ヘンリエッタ君、お客様にお茶を!」
ヘンリエッタと呼ばれた女性は手際よく紅茶を淹れ、お盆に三杯それを載せて応接用のテーブルに置き、自分もまた応接用のテーブルにドカッと座った。
「お茶をどうぞ、もしよければ飴もあるよ」
「はい、どうもありがとうございます。えっと、その服装は……?」
依頼人の女性は千早姿のヘンリエッタを見て訝しみ、その鉾先をハーロックに向けた。ここへ来たのは間違いだろうか? と、態度がそう語っている。
「ああ、彼女の事ならお気になさらず。服装は宗教上の理由であって、深い意味は無いそうですから」
ハーロックがそう言うと、ヘンリエッタは自慢げな様子で依頼人に胸を張る。
「ええ、こちらは神に
「とにかく、大体の状況は理解しましたが、詳細についてお話下さい。ひょっとしたら、何か分かる事があるかも」
依頼人の女性はハーロックに話せる事は全て話した。彼女の夫が突然消えた事、夫が黙って消えるとは到底思えない事、夫が転がり込みそうな場所は見当もつかない事、警察に捜索を頼んでも一日そこら行方不明になっただけでは大して動く事は出来ないと言われた事、私は誰かに夫を探してもらわないといけないと言う一種の義務感の様な物を覚えている事、このままでは可哀想だから夫を誰かに探してもらわなければならないと言う強迫概念すら感じている事……
ハーロックはその話を聞き、警察が大きい行動が取れない事を聞くと目の色を変えて食いつく様な目つきになって聞いた。
「なるほど、分かりました。その仕事、僕が受けましょう! 私共にお任せ下さい」
ハーロックは自信満々の態度で、依頼人の女性に言い放った。その様子は、普通の人が相手ならば、聞く人に自信を伝播され安心感を抱かせるような凛々しさと理知を感じさせるもので、まさしく探偵作品の名探偵そのものだった。
「先生、今の女の人だけど、どう思う? いつもの一目でまるっと丸ごとお見通しみたいなアレはありました?」
依頼人の女性が帰った後、ヘンリエッタはハーロックに尋ねた。その様子は、とっとと授業を切り上げて帰りたい学生の様だった。
「僕の推理をアレとか表現したり、変な表現をしてくれないか? まあ、声と様子を見て八割方推測は出来たよ。ただまあ、まずは調査だな。裏付けが欲しい」
「裏づけなんて要らないよ、こっちの事を頼ってくれたら、全部ショートカットして答えを観測させてあげるのに」
ヘンリエッタはそう言って、椅子に座っているハーロックの顔を後ろから両手で挟んで上を向かせ、覗き込む形で彼の目を凝視し、クラゲの様な色の髪は触腕の様に動いて彼の後頭部や顔をくすぐる様に撫でる。
「さあ、こっちへ魂を委ねて? 早く……」
ハーロックはこれを手で払いのけて、彼女の言葉をバッサリと否定した。
「何度も言わせるな、僕は探偵だ。
「ちぇ、いけず。でもこちらとしても先生の事は諦めないよ、いつか必ずうちの神社を参拝させてやる」
ハーロックはいつもの事だと言わんばかりに、特に何とも思わずに椅子から立ちあがる。
「さあ! 八割方推測出来たんだから、あとは足と証明ってところだ。行くぞ、ワトソン君。忙しくなるぞ」
翌日、ハーロックは依頼人の女性から聞いた、夫がプライベートで足を運びそうな場所や人に聞き込みを行なった。すると、依頼人の夫の評判は良いと悪いの半々と言ったところだった。仮に妻に黙って失踪したと聞かされたら、驚く人と驚かない人が半々で割れるだろうと、その様な人物評だ。
例えば依頼人の夫には不倫相手が居て、彼女の家に転がり込んでいると仮定しよう。そう聞かされても驚かない人が居ると言うのは、ちょっとした問題と言えよう。
しかし常日頃商売女をひっかけているとか、道ならぬ愛を培っているのが日常茶飯事と言う訳でもなかろう。そんな人はそうそう居ないし、失踪したと聞かされたら驚きそうな人も居ると言う点も含めて素行が良くも悪くもない普通の人と言えよう。誰だって危なっかしい事はあるし、もっと単純なトラブルに巻き込まれそうに無い人なんてそうそう居る訳ではない。
「ヘンリエッタ、県の行方不明者をちょっと調べてくれ。最近の情報だ」
ハーロックは聞き込みで得た情報をメモに取り、携帯電話をかけて尋ねた。
「んー、いっぱい!」
「そんな漠然とした情報じゃ話にならん。昨日今日の情報で未解決の件、特に女性。何か一件でもあればいい」
「んー、それはないね」
「そうか、まだ分からないな。分からない事が分かったよ、ありがとう」
「いえいえー、力になれてなにより」
ハーロックは電話を切って、まとめた情報に目を通し、確信を得た様な笑みを浮かべた。
その翌日、ハーロックとヘンリエッタは依頼人の家の前に居た。呼び鈴を鳴らして依頼人を呼ぶと、応答した依頼人は驚いた様子でハーロックを中に招いた。
「それで何か分かったのですか? 夫の居場所は?」
「ええ、調査をしたところこの事件の全貌は大体分かりました。端的に言うと、旦那さんには浮気相手が居て、その浮気相手の家へ転がり込んでいます」
ハーロックの言葉に、依頼人は顔色を変えて怒りを露にした。夫の浮気に怒りを露にしているのではない、目の前の私立探偵を名乗る男が嘘八百のいい加減を言いだしたからだ。
「何を事実無根の事を! 夫が不倫だなんてする訳がありません! あなたは私に嘘の報告を行って、一体何がしたいのですか!?」
依頼人の女性の言葉に、ハーロックは口を開かずに音無く笑った。
「私は不倫ではなく浮気と言ったのですよ、不倫は行為があった初めて成立するのですからね」
「そんな事はどうでもいいです! 私は夫が不倫も浮気もしないと信じています!」
依頼人の態度は言葉とは裏腹に、まるで信じていると言うより確信していると言った様子だった。
「まるで旦那さんの一挙一動を把握していて、自分の目の届くところに居るかのような言い方ですね」
ハーロックのその言葉に、依頼人の女性は目の色が変わった。目が少々泳ぎ、ハーロックから目を離す。これだけならよくある事だろう、しかし彼女の目の泳ぎ方は何かを考えたり思い出す様子でも、嘘を吐こうとしている様子でもなかった。そしてハーロックはその様子を
「実は僕は、旦那さんが浮気相手と一緒に居るその瞬間をこの目で見たんですよ。こう、こっそりと忍び込んでね。なあ、ヘンリエッタ君!」
そう言った瞬間、依頼人の女性は立ちあがって隣の部屋の方を見すえて小走りで移動した。彼女は入った暗い部屋に灯りを灯したが、彼女の想像と裏腹に探偵助手の姿はそこには無く、そして見たところ荒らされた様子も無かった。部屋は普段通りでしかなかった。
「なるほど。この部屋の、カーペットの下か」
背後からハーロックの腑に落ちた様子の声がして、依頼人の女性は金縛りにあった様になる。
(ダメだ……言い当てられた、悟られた……どうにか逃れなければ)
しかし口から声が出ない。彼女に出来たのは目の前で探偵がカーペットを剥がすのを無力に見ているだけだ。
「ふむ、カーペットの下はコンクリート? 塗りの工事の跡か、何かを埋め立てたって感じだな……ふん!」
依頼人の女性の願望とは反対に、ハーロックはカーペットの下を暴き、それを見ると足を落としてコンクリートを叩き割ってしまった。
「や、やめて下さい……」
ようやくしぼり出した声だが、ハーロックはこれに対して冷たく答えた。
「やめませんよ。あなたは今、大きな犯罪に巻き込まれている恐れもあるのですからね。ふむ、コンクリートの下は地下室への扉か。秘密の通路やシェルターと言うより、道楽で作ったこじんまりとした物に見えるな。奥さん、あなたこの地下室の存在は勿論ご存知ですよね? 事件の調査のために調べてもよろしいですか?」
依頼人の女性の喉は締めつけられた様になり、答えられなかった。この地下室の事は知りたくなかったし、知ってしまった後は忘れる様に努めた。私は夫が失踪した、助けを求める可哀想な女であって、それより上でも下でもないのだ。
「お願いです、その地下室は調べないでください……」
「せんせー、せんせー、あのまま帰ってよかったの?」
助手は酷く退屈そうな声色で尋ねる。
「まあね、何せ調べないでください。と言われたからね、あの場で依頼を取り下げられたって事にしといたよ。あの様子は言えない事があるとかじゃなく、詮索して欲しくないだけだろうからね」
「本当にいいの? 大きな犯罪に巻き込まれてるかもって言っていたよね?」
「うん、あれは本音半分建前半分だね。実際に犯罪組織の片棒を担がれている可能性もあったけど、あの人のあれは無理矢理させられた助けを求める人の言動じゃないよ」
「ふうん、でもこっちとしてはあの地下室の中見たかったなー」
「いや、多分大した物は無いと思うぜ。個人宅で大きな家じゃないし、小さな倉庫くらいの規模だろうさ。多分旦那さんの死体があって、それでお終いだよ」
探偵はさも大した事が無いかの様に言った。まるで始めから全て知っていたかの様な態度だった。
「へえー、旦那さんの死体があってお終いなら、どうしてこっちに女性行方不明者を調べさせたのさ?」
「ああそれね、僕の推測だと、あの奥さんは旦那さんが家で浮気の真っ最中に旦那さんを殺してしまい、地下室に隠したんじゃないかと思ったんだよ。もっとも、浮気の証拠を見つけて、そのまま勢いで殺しちゃった可能性もあるけどね」
「なるほど、それで女性の行方不明者ねー。でも、男性相手に浮気していたかもよ?」
助手は探偵の上げ足が取れた事が嬉しいと言わんばかりに笑顔で言った。
「まあ、その可能性も否定はしないけどね。あの様子だと、あの奥さんはそのうち警察にも
「でも分からないな、なんであの奥さんはなんでわざわざ自分の首を絞める様な調査を? やっぱり保身のため?」
「その事だけど、あの奥さんは自分で自分の事が可哀想だったんだよ」
「先生、今なんて?」
助手の女性は自分の見た事が信じられずに二度見したかの様な態度を示した。自分の気いた言葉は聞き間違いか? それとも探偵は言い間違いでもしたのか? その様な表情だった。
「可哀想だったんだよ、自分は可哀想なんだから他人から同情してもらわないといけない。だから警察や探偵に、自分は可哀想な人なんだから調査してください! って頼んで回っていたのさ」
「ふうん、人間ってよく分からないね」
「僕にも未だによく分からないよ」
港の湾岸沿いの集合住宅の一角に事務所があった。外観は普通の集合住宅の一室と変わらないが、表札は部屋が探偵事務所である事を示していた。
探偵事務所には、額が少し広い赤茶色の髪をした探偵と、クラゲの様な髪色と深海の様な色の瞳をした千早姿の助手が居た。
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