第七十一夜『農業革命ユートピア-Vandal-』

2022/07/21「太陽」「地平線」「役に立たない大学」ジャンルは「ホラー」


 地球は地平線の先まで拓かれてない土地は無くなり、土地の大半は集合住宅と畑と牧場とになっていた。

 畑では専ら品種改良された麦を育てており、これをバイオメタノールにし、家畜を育てる為の飼料にし、そして極めて栄養価の高い食料となっていた。つまるところ、人々から麦以外の作物は雑草と認識されており、人々は麦と肉からなる料理以外は遺失し関心を失っていた。

 しかしながら無理も無い、このシステムを考案したエイセイと言う人物は大層人の心を掴むのが上手く、各方面の技術者や知恵者を集め、完璧な作物に必要な要素とは何か、完璧な作物を実現するためにはどうすれば良いかと苦心したのだ。その結果生まれた仙麦は粥にして食べるだけで価値観が崩壊する程の素晴らしい味で、栄養価が高くてもこんな物など喉を通らんと拒絶する人は誰一人いなかった。万が一麦粥に飽きたと言う声があっても、仙麦を食べた家畜でこしらえた肉粥を一口啜れば盲が啓けた様に美味い美味いと叫んで喜ぶ。勿論粥以外にパンにしてもいいし、酒にしても味が良い、そもそもこの飼料で育った家畜が栄養満点なのだから、狩猟民族の様に畜肉だけ食べても栄養の偏りはそうそう起きなかった。

 そんなこんなで人々は満ち足りて、衣食住に困らずに暮らしていた。そうなると希薄になるのが財産や防犯と言う概念だ、この集合住宅では泥棒を生まれて一度も見た事が無い人しかおらず、他人の財産なんて盗んでどうなるのかと言う認識だ。カッとなって人を殺す人も稀に居るが、食うに困っての犯罪が無くなってからは犯罪率も下がる一方、何より犯罪を犯してまで主張したい事はとんと減った。酒が行き渡っているのならば、酒に酔っての犯罪はあるのでは? とお思いだろうが、仙麦は健康を是正し体質を均一化してくれ、悪酔いも泥酔も過去の物となっていた。


 そんなある日、シンと言う青年が畑仕事から戻り、心地よい疲労感の中、自動調理器が作った茹で卵と羊肉入りのパンとを食べていた。彼は自分の仕事に誇りがある訳ではなかったが、牧者に憧れている訳でもなく、自分の人生は趣味や面白い物にあると思い暮らしていた。

 隣人のヒョウは人類なんとか史とか言う物を研究しているが、歴史なんてものは大抵昔の人は苦労していたと言う結論でしか無い。学んでも面白おかしい物で無く、俺と彼では生きる目的が違うのだ。同じ歴史でも俺なら戦争映画がいい、そうだ今日は映画館で戦争作品を観ながらポン菓子を食って午後を過ごそう! と、シンはそう考えていた。

 どうせならこの発想の元であるヒョウも誘ってやるか! 彼の考えでは、人間は部屋や図書館に籠って研究ばかりしていても埒が明かず、空腹と満腹の様にメリハリこそが人間に必要な物なのだ。善は急げと、シンはヒョウの部屋の戸を叩く。

「おい、ヒョウ居るか? 何か歴史作品か戦争作品の映画でも観に行こうぜ!」

 これに対して戸を開けて出て来たヒョウは訝しみ顔、研究の良い所で腰を折ってくれるなと言う顔色だ。

「今私は人類文化史のまとめに入っている所なんだ、この編纂が終わるまでは余計な事は出来ないよ。今もこれから資料を借りに出かける所なんだ」

「研究ばっかりしていると効率が悪いんじゃないか? 息抜きを入れた方がきっと研究も進むぜ」

 しかしそれでもヒョウは聞く耳を持たない、自分の研究テーマに夢中でしょうがないと言った様子で、シンに語りかける。

「いいや、息抜きなんて必要無い、私は研究が楽しくて仕方ないのだからな。お前も私の研究テーマを聞いたら、話に夢中になる事間違いなしだ。さて、私は急いで図書館に資料の写しを受け取りに行くから留守番を頼めないか? うちには取られて困る様な物は、それこそ研究データ位しか無いが、万が一の念の為だ」

 そう言うや否や、ヒョウはシンに反論を許さず出かけてしまった。

「あの野郎、何が研究テーマを聞いたら話に夢中になる! だ、俺は歴史にも勉強にも興味は無いっての!」

 しかし、シンの心にはヒョウの言葉がさびきの如く刺さっていた。俺の心を夢中にさせる歴史の研究なんて物が本当に存在するのだろうか?

「おい、システム。俺にヒョウの研究テーマとやらを分かり易く説明してくれ」

 シンが部屋管理システムにそう要求すると、部屋管理システムは畏まりました。と、そう言って映像を交えて音声で説明を始めた。人間様が要求したのだ、機械は人間の身に危険が及ばない限り何でも命令に従うのが通例だった。例外と言えば、人間が堕落したり肥満になりかねない命令だ、人間には過労死したり身体を壊さない程度の労働が必要なのだ。

 部屋管理システムは来訪者にも公開できる範疇で、シンにヒョウの研究内容を伝えた。曰くそれは、現代以前の食生活の詳細や食用の動植物の性質や栄養と言った内容だ。シンは歴史や栄養学に興味を示さなかったが、見た事の無い料理には関心を示し、居ても立っても居られなくなっていた。

「おい、そのカレーライスってのはどんな味なんだ? そもそもスパイスって言うのは何なんだ? 昔の食べ物ってのはスパイスがある食べ物なのか? ライスって言うのは麦の一種でいいんだよな?」

 シンの質問攻めに、部屋管理システムは飾り気が無ければ要領も得ない言葉で返答する。何せ部屋管理システムは受け取ったデータを再生するだけしか出来ないのだ、人間感覚の質問に満足させられる答えを出せる筈が無い。

 そんな部屋管理システムの煮え切らない言葉にシンは悶々とし、益々古代の食べ物を口にしたくなっていった。

「そんな機械的な返事は求めてない! なんならそのカレーライスってのを作ってくれよ!」

『分かりました』

 部屋管理システムがそう言うと、部屋の片隅から人間程の大きさのロボットが動き出した。シンにとってもお馴染みの部屋付きロボットで、自動調理や簡易診察等の機能を備えている、しかしどこか様子がおかしい。

『まずはウコンを植えましょう』

 ロボットはそう言うと、部屋の床を剥がし始めた。

「おい、馬鹿やめろ! そんな事をするな、何をしている?」

『現代ではウコンを入手できません。サンプルとして保管されている諸々の種子を入手して栽培を行ないます。その為にまず、床板を剥がして土を耕します。現状の農地は仙麦以外の栽培に適しておりません』

 ロボットは極めて冷徹に、理知的にそう告げた。

「待て待て待て、ヒョウが帰ってきたらどやされちまう! 今の命令は無し、ストップだ!」

 しかしそれでもロボットは止まらない。ロボットにとって、人間を害する事以外の命令は絶対なのだ。緊急停止をかけても急には止まれない。

 こんな事なら一人で大人しく麦菓子を食いながら映画を見ていれば良かった! と、シンはこの状況を作った全てを呪った。

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