第五十八夜『プレイヤーワン-Player Killer-』

2022/07/07「春」「窓」「最高の世界」ジャンルは「ミステリー」


 その男性―仮にエヌとしようーには趣味があった、ロールプレイングゲームだ。

 エヌはゲームのキャラクターを作る際に、わざわざキャラクターシートと呼ばれるゲームのキャラクターの履歴書の様な物を使い、家族構成やバックボーンや趣味や大まかな年齢や体格等を考えながらゲームを遊んでいるのだ。

 このキャラクターはこう言ったバックボーンで、こう言う場合どの様な行動を取り、どう言う才能や修練を積んできたのか、何が目的で何が譲れないのか、何をして何を感じるのか……そう言った情報をシートに描き込んでゲームの冒険へ繰り出すのだ。

 無論、毎回一からすべてのキャラクターの内面をデザインする事はそうそう無い。気に入ったキャラクターが居るならば、そのキャラクターは続投するし、逆に次のゲームにそのキャラクターの居場所が無い事もある。更には、急に新しいキャラクターを考え付く事もあり、そうなると無理矢理捻じ込んだりと、一人で大騒ぎだ。

 このキャラクターは借金のカタに身柄を売られる事になり、結果として商人の護衛として傭兵まがいの仕事をしており、要領が悪いのが玉に瑕だが優れた剣の実力で、今回は冒険の懸賞金目当てに雇用主と共に冒険家になる。このキャラクターは喋べる車に乗ってあちこちの国を巡るルポ記者で、趣味でもある銃の腕には覚えがあり、樹海の調査へは実銃で動物を必要なだけ撃てるからと喜んで参加している。こっちのキャラクターは本業は探偵、徒手空拳は黒帯で、この選挙の裏には前に勤めていた事務所の仇敵でもある秘密結社が潜んでいるとの情報を取得し、選挙を巡る陰謀の渦中に協力者と共に乗り込む事になる……

 そう言ったプレイスタイルでエヌはロールプレイングゲームをプレイしており、エヌの脳内ではキャラクター同士が活き活きと会話をしたり、或いは目的を同じとするだけで仕事上の付き合いしかしなかったりしている。

 しかし、そんな趣味の時間を楽しむエヌにある種の試練が訪れた、繁忙期である。

 エヌは、仕事は辛くても趣味があるから耐えられる。と考えている人間だったが、そもそも趣味をする時間すら無くなるのでは、そうもいかない。頭の中では新しいキャラクターがエントリーし、キャラクターシートが鮮明に埋まっていく。しかし肝心のロールプレイングゲームをする時間は無いのだ。

 このキャラクターは流しの詩人で、蓄えこそあるものの、自ら背水状態になる事を好み、その日暮らしの様な生活をしていて、戦闘技能としては遁走にまつわる物と囮戦法にまつわる物を究めていて……

 この様な始末である。しかしエヌは忙しくロールプレイングゲームをする時間も気力も無い、携帯ゲームならば出来るのでは? と考えるかも知れないが、エヌは携帯ゲームだろうがプレイし始めると熱をあげて集中してしまう人種なのだ。これほどの悪手はそうそう無い。

「くそ、仕事をする私の他に、ゲームをする私が居ればいいのに!」


 その日、エヌは仕事から帰るとそのままベッドに倒れた。疲労の余り諸々の事が出来なかったのだ。

 すると夢の中で奇妙な光景が起こった。と言っても、夢とは奇妙な物であり、この場合夢としては普通の範疇か、なんと夢の中にエヌの姿をした何者かが大量に居たのだ! と表記しても、全く驚きには値しない。

 エヌは何事か目を擦り、そして理解した。彼らは自分が作ったキャラクターを演じている自分だ! あのエヌは傭兵、あのエヌは記者、あのエヌは探偵、それから日雇いに、あっちは剣道家、こっちは占い師で、そっちは宗教家だ。何せ自分の頭の中で自分が体験している事なのだ、説明など無くても何故だか理解できるのが夢と言えよう。

 エヌは夢の中で、まだ発売していない新作のロールプレイングゲームを遊んでいた。勿論エヌは新作ゲームの詳細等知らなかったが、そんな事はどうでもいい、文字通り夢にまで見た新作ゲームなのだ。エヌが作ったキャラクター達は、新人を含めて自在に動き回り、エヌは久しぶりに晴れやかな気分で朝を迎えた。


 繁忙期は未だ続いていたが、エヌの心は軽かった。しかしその一方で鏡に映るエヌの顔はやつれている様に見えた。エヌはこれを、仕事が忙しくて疲れているのであって、あの様な素晴らしい夢が支えになっているのだからすぐに好転するさ。と考えた。


 エヌは仕事から帰ると食事や入浴等の然るべき作業をし、嬉しそうに床に入り、寝酒を煽った。アルコールの助力もあり、エヌの意識はストンと夢に落ちていく。

 エヌは夢の中で更に別の新作ゲームを楽しむ、高校を隠れ蓑にする悪の組織の一員として高校野球を裏から牛耳ると言うシナリオのロールプレイングゲームで、悪の組織の下っ端工作員兼野球部のエースとなる新しいエヌが生えて来た。とても楽しいひとときだった。


 エヌはすがすがしい気分で目覚め、そして鏡を見て愕然とした。目は真っ赤、目の下にはくまが生じており、しかも顔や体は目に見えて痩せている。それもその筈だ、エヌの脳は睡眠で休息を摂るべき時間にフルスロットルで大回転していたのだ、しかも眠っている間に自分と大量の自分とで卓を囲んでセッションしていて、これで疲れない道理は無い。

 エヌは疲れた頭では肝心のキャラクタークリエイトに障り、ついでに仕事にも悪影響が出ると考え、眠る際にロールプレイングゲームの事を考えまいと心に誓った。


 無理だった。エヌは新作ロールプレイングゲームを遊ぶ事を夢に見る様な精神状態で、実際は全くロールプレイングゲームを遊べていないのだ、仕事中に頭や心に隙が生じる度にロールプレイングゲームやキャラクタークリエイトの事ばかり考えてしまう。

 更には仕事中、居眠りしかける事があり、この様な状態なもので夢の中ではエヌの作ったキャラクター達がエヌを今か今かと待ち構えていた。

『さあ勇者よ、拐かされた姫君を救うのだ。旅の仲間は好きなだけ募るといい』

『俺は前王よりも立派な為政者になる! その為には家臣が、一党の仲間が必要だ。さあ仲間を募ろうではないか!』

『ようこそ冒険家諸君、この街の近郊には手付かずの人知を超越した危険が今なお生きている。さあ轡を共にする探索者を募りたまえ』

『さあ入部届に署名をするんだ! さあ!』

『久しぶり、冒険から帰ったんだな? 新しい出会いがお前さんを待ってるぞ』

 エヌは自分の姿をした、自分の作ったキャラクターにそう口々に詰め寄られ、汗びっしょりで目を覚ます。もはや眠りはエヌの安寧でも娯楽でもなくなった。


 それからエヌは目に見えてやつれていった。何せ眠れば脳が最大出力で悪夢を見せるし、そのせいでまともに眠れないのである。

 エヌは、もうこうなったら最後の手段と遺書を書き、自決でもするのか包丁を用意した。しかし、エヌは遺書を書き終え、包丁を用意したところで力尽きた様に意識を失ってしまった。最早彼には自殺をする元気すら無いのだと言うかの様に。


「ようエヌ、最近仕事の疲れが酷そうだったが、何だか最近は元気そうじゃないか。何か良い事でもあったのか?」

 職場でエヌに話しかけるのは仲の良い同僚だ。今は繁忙期も終わって、死に物狂いで気がたっている人ばかりではない。

「いや何、自分で自分の中の煩悩をザクっと断ち切ったって言うのかな? あれやこれやと無駄な事考えるの辞めたら、ぐっすり眠れるようになったんだ!」

「おう、そうか。ところで今度の休みにロールプレイングゲームのセッションをする予定なんだが、勿論来るよな? 頭数は多い方が良いからさ」

 同僚の誘いにエヌは一瞬だけ考えてから答えた。

「ああ! 勿論行くぜ、この所忙しくてゲームなんて全く出来ない時期が長かったからな、ゲームが出来なくて死ぬ程苦しかったよ」

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