第五十五夜『イザナミ様-deadline-』

2022/07/04「黒色」「兵士」「ゆがんだ目的」ジャンルは「学園モノ」


「ダメだ、全く書けん」

 ある作家が机の前でボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードにかじり付いてくらしており、ふでの速さが自慢だった。しかし、書けない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない、体力作りは日課のランニングのおかげでたっぷりだ。しかし書けないものは書けないのだ。

「またですか。先生? また書けないとかボヤいて危険な事しないでくださいよ?」

 作家の同居人は心の底から迷惑そうな態度で作家に釘を刺し、これに対して作家は気分を害したような口調で反論した。

「おいおいおいおい、君はボクを一体何だと思っているんだ? あの程度の奇行が出来ない様じゃ立派な作家になれないぜ」

「俺は先生みたいな奇行をしたい訳ではないですし、そもそも作家イコール奇行とは思っていません」

「何を言う! 漫画家まんがか赤塚あかつか不二夫ふじおだって自分のギャグは面白いのだろうか? と考え、往来で自作のギャグを披露ひろうし、ウケた物を原稿げんこうに描いたのは有名な逸話いつわだぜ? 全くもって君は勉強不足だな!」

 作家の男は同居人の青年に、心の底から呆れたらしく感情的かんじょうてきに反論して言った。

「勉強不足でも何でもいいです、そんな事より口を動かす前に手を動かして下さい」

「はっ! 口の減らないクソガキだな、君は。まあいい、君が話して欲しそうだからちょっとした与太話をしてやろう」

「話して欲しくないです」

「まあ聞け、これはボクの頭の整理を兼ねた物だ。つまり君には聞く義務があると言う訳になるな、これはK市の都市伝説について調べていた時の話。K市にはなんでも、イザナミ様と言う存在が横断歩道にひそんでいるらしい」

「また何か妙な事したんですか!? この間は俺達にも被害が及んだって言うのに、また何かしでかしたんですか?」

 作家の言葉に、作家の同居人は呆れ半分驚き半分と言った様子で詰め寄った。

「まあ待て、待て待て待て待て、待て。この間の一件は相手方が約束を守らなかったせいだ、ボクの瑕疵かしじゃあない。それに今回の件は完結した出来事であって、もう完全に終わった話なんだ。ただ一つ最初に言っておくと、イザナミ様は実在した。実在したが、そこに居るのはイザナミ様とは真逆の存在だったのさ」


 * * * 


 K市には子供達の間にある噂が広まっていた。ある横断歩道にはイザナミ様が住んでいて、白線を踏まずに歩くと地獄の底に引きずり込まれると言う。

 なるほど、よくある噂話だ。横断歩道の白線渡りなんてものは、日本中の子どもが行っているだろう。恐らくビデオゲームが普及してからから白線を踏み外すと死ぬなんて噂が歩き出したに違いない、通りゃんせが不気味に鳴る様な横断歩道であれば、猶更なおさらだ。

 イザナミ様と言う、いかにもな名前をそこらの子どもがつけた事は少々疑問だが、昔話を題材にしたアニメや図書館やネット環境から拾った可能性は否定できないし、通りゃんせの歌詞を知っている人物がイザナミ様と言う命名をしたと考えれば、妥当も妥当、大妥当と言う物だ。

 そんなこんなちょっとした考察をしていたら、件の横断歩道についた。カーブした車道の中央にあるささやかな、いや、みすぼらしい横断歩道だ。赤信号から青信号に切り替わり、古ぼけた音響装置から、どことなく郷愁的きょうしゅうてきと言うよりは不気味と言った方が近い通りゃんせが流れる。

「通りゃんせ、通りゃんせ……天神様の細道じゃ……行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらも通りゃんせ。か」

 噂を確かめるべく、ボクは白線を踏まない様に気を付けて車道向こうへ足を運ぶ。

「さあボクは死んだぞ! どうしたイザナミ様? 噂は真実か、それとも虚構か? 答えてみたらどうだ?」

 そう小さい独り言を言うと、横断歩道を渡り切った所に、信号が取り付けられている電柱に張り紙がぺたぺたと張り付けられているのが目に入った。

「飛び出し注意、注意一秒怪我一生、ここまではいい。行方不明者、捜索、尋ね人……いやいや、これを貼った人間はどういう神経をしているんだ? よもやこれを貼った人間はイザナミ様を信じていて、わざわざここに捜索願そうさくねがいの張り紙を貼ったのか? ここに来るまでこんな張り紙は一枚足りとも見なかったぞ!」

 足元を見ても特に献花だの、ガードレールの凹みだの、そう言った自動車事故の痕跡は無かった。ならばきっと、ここは様々な駅だのバス停だの学校への中継地点なのだろう。そもそもそう言った地点で無ければ都市伝説は生まれない、誰も訪れた事の無い場所に都市伝説は生える事はないのだ。

 そう考えていると、目と鼻の先に自動車がかするように通り抜けた。なるほど、この狭い歩道ではカーブを描いた車道は自動車が見え辛く、接近するまで気づく術が無い。事故が多発する故、イザナミ様とか言う死神じみた都市伝説が生まれたのか。

「そこそこ面白い話ではあるが、作品のネタにするにはパンチが足りないな。話を膨らませて、もっと影響力の大きい存在だと言う設定の創作にしてやるか」

 記憶を固定する目的で独り言を述べ、ボクは再び青信号と通りゃんせが点いた横断歩道を、特に白線を意識せずに歩く。しかし不思議な話だ、こんな狭いしカーブは急だし横断歩道もボロくて小さいのに、自動車事故の名残の様な物が無いとは……きっとこの一帯は教育や民度が良いのだろう。

「おい坊や、危ないぞ。一旦止まりなさい」

 後ろから年を取った男性らしい声がし、振り返ろうとすると、再び目と鼻の先で猛スピードの自動車がかすめて通り抜けた。

「うわっ!」

「いや危なかった、まだ若いんだから命を大切にな」

 再び背後から翁らしい声がし、今度こそ振り返るが、そこには誰も居なかった。狭い歩道、遮蔽物しゃへいぶつも無し、カーブは急で近場ならば見通しもいい。しかし、誰も居なかったのだ。

「今のは一体……」

 すると翁の声は三度話しかけて来た。その言葉は自分の正体を端的に表す物でなければ、都市伝説にある様に命取りな物でもなかった。強いて言うなら、遠い所から来た卑属ひぞくを可愛がるお爺さんの様な口調で、語りかけて来たのだ。


 * * * 


「それで、何て言ったんですか? その老人は」

 同居人の質問に対し、作家の男性は酷くつまらなさそうに答えた。

「ああ、聞いたらつまらなさのあまり腰を抜かすぜ? 健康を維持して、仕事に精を出し、よく食って、よく寝て、良い人を見つけて子どもをもうけろ。だってさ……もっとも、発言内容でその正体には目星がついた訳だが」

「いや、いい人じゃないですか! つまりイザナミ様は実在したけど、都市伝説とは真逆の存在だったんですね!」

 作家の同居人の言葉に、作家は酷く驚き落胆した。

「君は一体何を言っているんだ? ボクが聞いた声は男性の物だと言っただろう、君が今手に持っているのは何だ?」

「何って、大学の課題レポートと携帯ですけど?」

「手元に百科事典になる物があるなら、イザナギとイザナミくらいは知っていろ! 君は本当にボクの弟子か? 本当に無学で何も知らない野郎だな!」

「何を言うのですか、俺は一生懸命やってますよ。俺が物を知らないんだったら、それは先生を含めた先生方の責任です」

「クソ、減らず口を! まあいい、見たまえ! 君と話している間にプロットを書き終え、更には序章から一章にかけてまでを書き終えた。この調子なら今日明日の内に一冊書きあがるだろう」

 そう言うと作家は同居人に大学ノートと、仕事用の端末たんまつを見せびらかす。なるほど、そこには今しがた話した体験談に則した伝奇小説が記されていた。

「主人公は先祖の神を守護精霊にして戦う異能力を手にしていると言う、ジュブナイル作品だ。ジュブナイルだから当然主人公と仲間達は高校生って事にしよう、ただし異能力で戦う仲間内に一人は大人が居た方が展開も容易になるし、メイン客層となるティーン以外も読んだ時に感情移入が容易化する。なので主人公の叔父にあたる人間を加入させよう、年齢は肉体も精神も盛りと言えなくもない三十代初頭程にして、生まれて間もない娘が居て、それを戦う理由として背負わせる! 主人公一行は主に自分探しや自分の居場所を守るために戦っており、例えばあるキャラは料理が特技で料理がうまい自分を男らしくないと悩み、そこから自分を再発見して守護霊オオゲツヒメを発現させる。そこまでの道程を各キャラ毎に行ない、最終的にはイザナミの兵士たる悪の守護霊使いが気に入らない一般人をほしいままに殺すのを食い止める話にしよう! それからジュブナイルならばラブコメ要素も必要だな、主人公の守護精霊をイザナギにして、イザナギが日本の出生率の低さを嘆き、キューピッド的活動をあちこちにするエピソードも盛り込もう! ああ、創作は実に楽しい!」

 立て板に水に話す作家を見て、同居人は安堵した。もうこうなったら彼を止められる物はそうそうない、件のイザナミ様でも止められないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る