異世界で始める飲食巡り~誰でも使える魔法の作り方~

正岡 千之

プロローグ

桐原瑞希の日常

 ――ピピピピピ。

 男は布団から手を伸ばし、目覚まし時計を止める。

「――ん~っ! はぁ……今日も仕事か……」


 時計は正午を指していたが、桐原瑞希きりはらみずきは気怠そうに起き上がりテレビのスイッチを入れた。


「昨日は締め日だったから、棚卸をやって帰って来たのが朝6時……今週は新メニューのレシピ提出があるし、次の休みは全社員出席の強制的なセミナーか……これは死ねるな……」


 瑞希は中小居酒屋チェーンで店長をしていた。

 学生時代からアルバイトをしていたが、高校を卒業後やりたい事もなくフリーターになり、そのままずるずると引っ張られる様に正社員になった。


「店長になったのは良いけど、社員を回してくれないし、アルバイトも深夜は嫌だとか……。少し前はそんなことなかったのに、これが時代の流れかね……」


 瑞希は独り言ちながら、台所に向かい、換気扇を回し、朝食の用意にとりかかる。


「和食か洋食か……鮭があるのと、卵と……米は冷凍があるから和食だな!」


 冷凍の米をレンジに入れ、鮭を焼きながら、二個の卵を割り、卵を甘く味付けをしてフライパンで焼く。


(――じゅる。どこからか……美味そうな匂いがするのじゃ)


「漬物は……切らしてるから、梅干しと……味噌玉はまだあったよな?」


 冷蔵庫から味噌玉を取り出し、椀に乾燥ワカメと味噌玉を入れお湯を注ぐ。


「やっぱ味噌の香りは良いよな。朝ごはんって感じでテンション上がるわ」


 温かくなった米を茶碗に移し梅干しを乗せ、卵焼きと鮭を皿に盛り付ける。


「よいしょっと……では、頂きます!」


 テーブルに移動した瑞希はずずっとみそ汁に一口すすりしてから、卵焼きに手を付ける。


「あ~やっぱ朝食の卵焼きは甘いのだよな。出汁も入ってるからおかずになるし」


 パクパクと朝食を食べ続け、ふとテレビから今日のニュースが流れてくる。


――昨夜未明、○○の交差点でトラックが建物に衝突しました。尚、死傷者はいなかったものの、運転手は錯乱しており、「目の前にいた人が消えた!」等と供述しておりますが、近くに人もおらず、事故により動揺しているものと思われます。


「変な事もあるもんだ」


 テレビの音を聞き流し、出勤時間が近づいてきたので仕事道具を入れたリュックを背負い家を出る――。



◇◇◇



 いつもと変わらぬ通勤路を歩いていると一匹の白い猫が瑞希の足元に寄ってきた。


「かっわいいなぁ! ここで猫を見かけたの初めてだけど……お前どこから来たんだ?」


 言葉も通じない猫に喋りかけながら、夢中で猫の頭や腹をもふもふしていると、瑞希は奇妙な事に気付いた。

 この猫には尻尾が二本あるのだ。


「なんだこりゃ?」


 びくっとした猫は急に身を起こすと、瑞希の元から走って逃げる。


「あぶねぇっ!」


 猫が逃げようとした所にトラックが走りこんできたのだ。


 瑞希は慌てて猫を救おうと道路に飛び出し、固まっている猫を捕まえ放り投げたが、自身はトラックに飲み込まれてしまった。


(あ~……今日締め日明けだから納品物大量にあるのにな……)


 ――悲鳴が木霊する中、瑞希は仕事の事を考えていた。


◇◇◇


「――あれ? なんともない? ていうかここどこだ?」


 瑞希はきょろきょろと辺りを見回すが、自身の姿は見えるのに、周りは真っ暗な事に違和感を感じていた。


「うへ~。これが死後の世界ってやつか? どこ行きゃ良いんだよ……」


「いえいえ~、どこにも行かなくて良いんですよ~?」


 突然の声に瑞希はびっくりしながら後ろを振り返った。

 目の前には同年代ぐらいの黒髪ロングな女性が、おっとりとした口調で話しかけてきた。


「始めまして~、桐原瑞希様」


「は、初めまして……」


 瑞希はどもりながらもなんとか挨拶を返す。


「唐突なのですが~、貴方は死にました~」


「はぁ……」


「あら~? 案外落ち着いていますね~? もっとこう、泣き喚いたりとか、怒ったりとかしないんですか~?」


「いや、まぁ痛みも感じなかったですし、現にここに立ってるので……しいて言うなら店は大丈夫かなと」


 ここに来てまで瑞希は仕事の心配をしていた。


「あぁ~。あの、人を洗脳して馬車馬の如く働かせ、過労死ラインをゆうに超えているのにも関わらず、残業代も出ない地獄ですら生ぬるい職場ですか~?」


 彼女はおっとりしながらも早口でそう告げた。


「そ、そうなんですか?」


「気付けてないのがおかしいんですよ~? あなたこの子を助けて死ななくても、その内過労死してましたよ~?」


「先輩社員が「俺が若いころは……」みたいに話すので、これでもましになった方だと思ってました……」


「どっぷりと社畜根性を植え付けられてますね~。桐原様は仕事以外に何かしてなかったんですか~?」


「基本的には帰って来たら家のことをして寝て。休みの日は……」


「休みの日は~?」


「趣味でもある料理をするか、寝てました……。というか、店長になってから休みはセミナーやらヘルプやらでここ最近休みすらなかったです」


「あらあら~。聞けば聞くほど真っ黒な企業ですね~。大変でしたね~?」


 当の本人は大変だったとすら思っておらず、当たり前の様に日々を消化してきており、気付けば二十四歳で中堅社員になっていた。

 新しい社員や年上の後輩が入ってきてもすぐに辞めていくので、飲食業界ではそれが当たり前の世界だと思っていた。

 彼女とそんな身の上話をしていると、彼女の後ろからおずおずと申し訳なさそうな顔をしている、真っ白なワンピースを着た十歳ぐらいの小柄で銀髪の髪の長い少女が出てきた。


「す、すまんかったのじゃ……」


 瑞希は首をかしげながら、一方的に謝られた事を不思議に思っていた。


「この子がどうしたんですか? というか私は何を謝罪されてるんでしょうか?」


「この姿じゃわかりませんよね~? シャオ~?」


 ぼふんっと、音を立てた先には一匹の白い猫がいた。

 その猫の尻尾は二本あったのだ。


「あの時の猫か! 助かったなら……ってここにいるって事は助かってないよな?」


「いえいえ、シャオはちゃんと助かりましたよ~? あの後私がシャオを迎えに行ったんですが~、シャオが桐原様を連れていくと暴れましたので~、一緒に連れてきちゃいました~。まぁ魂だけですけどね~」


 彼女はのほほんと瑞希にそう告げた。


「にゃうにゃうにゃう……」


 シャオは何かを言っている様だ。

 にゃうにゃう言ってるだけで瑞希には全然理解ができなかったのだが、それを察してかシャオがぼふんっとまた変化をした。


「急に走り出してすまなかったのじゃ……」


 瑞希は申し訳なさそうにしているシャオと目線を合わせると、自身の手をゆっくりとシャオの頭に乗せ、頭をなでてやった。


「まぁ、助かったならそれで良いさ。今更どうする事もできないし、特に気にしてないよ」


 シャオはくすぐったそうに瑞希の手になでられるまま、嬉しそうに頭を手にこすりつけていた。


「あらあら~、人間嫌いのシャオが素直に撫でさせるなんて珍しいですね~?」


「こやつは好きな匂いがするのじゃ!」


 瑞希は変な臭いでもしているのかと自分の匂いを嗅いでみたが、特に違和感を感じなかった。


「さてさて~、桐原様にはこれからの事を説明しますね~?」


「天国か地獄にでも行くんでしょうか?」


「桐原様が望むのならそれでも良いんですけど~、どうせなら私の世界に来ませんか~?」


 瑞希は呆気に取られた顔で彼女の言葉を聞いていた。


「世界? 違う世界があるんですか?」


「ありますよ~? 元々桐原様の世界は私の世界じゃありませんし~、シャオの散歩ついでに、色んな世界を覗いてただけですから~。桐原様の世界でも急に人が消えたりとかありませんか~?」


 瑞希はテレビから流れていた今朝のニュースを思い出していた。


「そういえばテレビで急に人が消えたとか何とか……」


「あ~。多分それはどこかの世界が召喚でもしたんじゃないでしょうか~?」


「召喚ですか……。なら僕も召喚されている途中でしょうか?」


「いえいえ~。桐原様の場合は完全に死にました~。先程も言いましたが~、過労死か事故死の違いで~、遅かれ早かれ死んでましたよ~?」


 シャオは猫の姿に戻り、瑞希の足にぐりぐりと頭を押し付けていた。


「なら何で私はここに連れて来られたんでしょうか?」


 すると女性は瑞希の足元にいるシャオを指さした。


「一つはその子を救ってくれたお礼です~。二つ目はその子が初対面の桐原様に懐いているのが不思議でして~」


「猫が懐くのが不思議なんですか? 尻尾が二本あるのは変わってますけど、可愛らしい子じゃないですか?」


 瑞希はしゃがんでシャオを持ち上げてみた。するとシャオはじたばたと暴れだし、瑞希の手から逃れると、女性の後ろに隠れてしまった。


「あらら、嫌われちゃいましたかね?」


「どうでしょう~? 案外恥ずかしかったんじゃないでしょうか~?」


 シャオは彼女の後ろでもじもじとこちらを覗いていた。


「にゃう~……」


 瑞希はポリポリと頬を掻きながらシャオをじっと見ている。


「さぁ桐原様?いかが致しますか~?」


 瑞希は視線を女性に戻して口を開く。


「異世界に行く場合、体とか言葉はどうなるんですか?」


「私の世界ですから御心配には及びませんよ~」


「行かない場合は?」


「桐原様の魂は元の世界で輪廻致します~。一度魂を浄化致しますので~、記憶や経験等もまっさらになりますね~」


 瑞希は考える。……するとシャオがとことこと、瑞希のそばに来てまた頭をぐりぐりと押し付けてきた。


「あらあら~。シャオは本当に桐原様が気に入ったのね~?」


 シャオはごろごろと喉を鳴らしながら瑞希のそばをクルクル歩き回り、瑞希はそんなシャオを目で追いかけている。


「うふふ。桐原様? もしも私の世界に来られるのであればシャオも一緒にお付けしますがどうでしょう~?」


「にゃ~ん」


(どうでしょうって言われても……猫が居たからってどうなるもんでもないだろ?)


「そんなことありませんよ~? シャオはすごいんですよ~? 魔法も使えますし~、少しですが私の世界の知識もありますしね~」


「魔法がある世界なんですか? ……というか今、言葉にしましたっけ?」


「桐原様は魂だけの存在ですので~、考えてる事は私達に筒抜けなんですよ~。さっきからシャオを見てはもふもふかわいいだとか~、尻尾が二本でも良いなぁとか~、毛並みがきれいとか~、うふふ。動物がお好きなんですね~?」


 女性はくすくす笑いながら瑞希が考えていた事を羅列していく。


(は、恥ずかしいっ!)


 シャオもまた、まんざらでもない顔で瑞希の足に頭をゴンゴンと押し付けていた。


「仕事にしばられる事もなく、そんなかわいい子と一緒に生活も出来るんですよ~?」


 瑞希は悩む。瑞希自身昔から動物が好きな上に、やたらと動物から好かれる性質の持ち主であったのだが、激務にかられ、無責任に動物を飼うことはしなかったのだ。


「にゃ~ん?」


 瑞希は足元にいるシャオを見下ろすと、瑞希の顔を上目遣いで見ているシャオと目が合った。それが決定打となり瑞希は決断をする。


「なら、異世界に行ってみます。魔法も気になりますし、記憶が消されるのも嫌ですしね」


 瑞希だって今や良い歳の青年だが、少年時代にヒーローやアニメの主人公に憧れて、必殺技の物真似をした事ぐらいはある。


「それなら良かったです~。シャオも桐原様と仲良くするんですよ~?」


 ぼふんっ、とシャオが姿を変える。


「わかったのじゃっ!」


「それでは送りますね~」


 女性は両手を広げ、何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱えると瑞希とシャオの体が淡く光りだした。


「それじゃ~行ってらっしゃいませ~」


 彼女がそう告げると、瑞希とシャオはその場から消えていく――。

「ふぅ~。シャオ……本当に良かったですね……桐原様と出会えて。それにしても好きな匂いだなんて……シャオったら」


 女性はくすくす笑いながら、だれに聞かせるでもなくそう呟いたのだった――。

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