人間アレルギー

三輪・キャナウェイ

第1話前書き

 母は私を産み、「天使の様に可愛い子だ」と言い残して死んでしまったらしい。

 死因は入水による自殺だ。動機は誰にもわからない。

 でも唯一、この遺言を伝えてくれた祖母だけは何かに気付いている節があった。まだ私が小さい頃、「おかあさんはどうしてしんだの?」と尋ねると、祖母は言葉を詰まらせた。

 そして母の遺言を使ってこんな風に答えたのだ。「お前のお母さんは、産んだばかりのお前を見て、とても美しい顔をして、天使の様に可愛い子だと言ったんだ」

 幼い私はそれを聞いて、祖母が何を言いたいのかを魂で悟った。きっと祖母は、お前のお母さんは自殺をしたけれど、最期の時には絶望ではなく、熱い幸福を胸に抱いて死を選択したのだと伝えたかったのだと思った。何故幸福なのに死を選択するのかはわからなかったが、祖母にはそれ以上何も聞けなかった。

 だから私は、自分の命は生まれながらに祝福されていると、何度も自分に言い聞かせて納得した。両親がいなくて、どれだけ貧しく、人間アレルギーという特異なアレルギーを持っていたとしても、私という存在は幸福の中で生まれたものだと思っていた。

 だが、本当のことは何もわからない。

 祖母は厳しくとも優しい人だった。信心深く、賢く、ブリキ様の教えを常に心のどこかで疑い続けていた。その疑いこそが信仰心を強めることだと口癖のように言って、腰が曲がっても、毎晩のように勉強をしていた。

 そんな中で幼い私が寂しそうにしていると、いつも筆と老眼鏡と信仰心を机の上に置いて、私の相手をしてくれるような人だった。

 だから私は今でも彼女を尊敬している。

 祖母がブリキ様の教えを疑うように、祖母が教えてくれた母の遺言を疑っている。

 大人になるにつれて薄々勘づいてしまったのだ。私には両親がいないのではなく、母がいないだけだった。何故なら、母はそもそも結婚をしていなかったからだ。

 母は十四の頃に村を飛び出して、二十の頃に突然帰ってきたらしかった。村の人たちの話によると、その時には私を身籠っていたと言うが、中には、その時にはすでに私を腕に抱いていたとも言う人がいた。

 私がどこで、どうやって生まれたかは、祖母が死んだ今、きっと永遠にわからない。

 ただ一つだけ言えることがある。それは、私は本当に天使みたいに、沢山の人に愛してもらえたということだ。

 母が私をどう思っていたかはわからなくとも、祖母を始めとして、これまでの人生で出会った沢山の人が私を愛してくれた。

 だからやはり、悪いのは私だ。

 もし祖母が教えてくれた母の遺言が本当だとしたら、母は幸福の中で死を選択したということになる。

 私はもうそれを疑わない。

 それをおかしいことだとは思わない。

 私も、幸せだった。

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