第5話 9月

二学期に入ってすぐ、文化祭は開催される。近隣の人々、もしくはこの学校を志望する中学生が来て、さまざまな催し物を見る。文化祭においては文化部が活躍をする。部で磨き上げてきたことを発表できる、数少ない機会だからだ。

 歌唱部は午後から体育館でコンサートを開く。一人ずつ歌を歌い、観客は誰が一番よかったか、投票することになっている。客観的な目で部員の実力を測れる機会。

 抽選の結果、俺は最初に歌うことになった。

ボイストレーニングや準備運動などで午前中を使い切り、時間は始まる十分前、プレッシャーで体が震えてきた。

 部長が俺の肩をたたいた。

「リラックス、リラックス。自分らしく頑張りなよ」

 うなずいて答える。そして観客席をのぞいた。

 会場の体育館に敷き詰められた席のほぼすべてに人が座っていて、さらに立って見ようとしている人すらいる。それを見て再び緊張してしまった。

「落ち着けー。おれー」

 と言いながら、自分を落ち着けていると司会がしゃべり始めた。

「お待たせしました。歌唱部コンサート開幕です!」

 会場には大きな拍手が起こる。功補はその拍手に押し潰れそうになった。しかしもう後には引けない。

「死ぬわけじゃない、どうにでもなれ」

 自分に言い聞かせた。そしてステージに上がった。

 大きく深呼吸をして歌い始める。俺の選んだ歌は、ノリのいいジャパンポピュラー音楽の歌。

 歌い始めは、すこし調子は出なかったが、どんどんと調子が出てきて、楽しくなってきた。そのうえ、自分で考えた歌う時の工夫も忘れないように歌うことができた。歌い終わった後、観客は大きな拍手をくれた。自分の中で最高の歌を歌うことができたことに、心の中で喜んだ。そして笑顔で終わりの礼をした。

 舞台裏に戻ると部長が駆け寄ってきた。

「すごかったよ。見違えるほどだった!」

 部長に褒められて悪い気分じゃない。

「あの、あいつの」

 それはそれしか言ってない。しかし、

「由佳里ちゃんは、次の次。ここで見てれば?」

 部長は俺の言いたいことを理解し教えてくれる。

「そうします」

 功補は床に座った。

そして三十分くらいたった頃、由佳里が現れた。

 功補は気分がいいので話しかける。

「由佳里、頑張れよー」

 由佳里の目つきは鋭かった。緊張からかと功補は思ったがそうではなかった。

「君とは違うから。心配しないで」

 いつもの冷たい言葉が功補に刺さった。しかしその時の温まった俺の心はそれくらいではくじけなかった。

「この間聴けなかったから。楽しみにしてるよ」

 返事はなかった。

 二人目の先輩が終わり、とうとう由佳里の番。彼女は功補と違って堂々とステージへ入っていった。

 由佳里が歌い始めると、功補は立ち上がった。

 由佳里の歌は、功補が最後に聞いた二週間前より、信じられないほどの変化があった。功補には詳しいことはわからないが、さらにすごくなっていた。体育館という声が良く響く空間に、彼女の歌は澄んで響き渡る。心震わせるような歌に会場は歓声に沸いた。

 ステージから戻ってきた彼女は喜びに満ち溢れた顔をしていた。

 その後は部長の歌。

文化祭が三年生最後の発表の場になるだけあって、やはりすごかった。自分の力不足を自覚させられるほどに。

すべての歌が終わり、投票が行われた。部長にはもちろんたくさんの票が集まる。由佳里には例年の一年生の記録を大きく塗り替える表を集めた。由佳里もそれに負けないくらいの票が集まり、例年に見られない大健闘を見せる。それだけ彼女の才能は素晴らしいということだろう。

しかし。

俺には一票も入らなかった。

 文化祭のあとは、先輩たちの引退宣言がある。しかし俺は結果を見た後、部長に挨拶だけして部活の集まりに行かないで帰った。

 

 

すでに夜の七時なのに、まだ空には明るさが残っていた。もうすぐ沈む夕日を眺めながら功補は道を歩いていた。

「……はあ」

 何度ため息をついたか覚えていない。暗い気分だった。

俺はその理由がわからなかった。

本気でやった。これまでにないほど本気で。

だから全力でやり切った。そしてあの結果だったのだ。

 別に悔しいわけじゃない。俺が最も下手なのはわかっている。票など入るわけがないし、票がなかったことに悲しいわけでもない。しかしなぜか心がパッとしなかった。

 地面を見ながら歩いて、理由を探していた。

「ねーえ!」

 呼び声に反応して、俺は後ろに振り返る。由佳里が追いかけてくるのが見えた。

 由佳里は功補の近くに来ると言う。

「なんで、さっき来なかったの」

 俺は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

とてもではないが、気分が悪かったからとは言えない。

「まあ、私にはそんなことどうでもいいけど」

 どうでもいいなら放っておいてほしい。

「そう、じゃな」

 俺は走って逃げようとした。由佳里はそうはさせまいと功補のカバンをつかみ、無理矢理引っ張る。

 俺は由佳里をにらんだ。

「離せよ」

「今日は、残念だったね」

 その言葉はバカにされているように聞こえた。拳を強く握りしめた。

「良かったじゃん。俺と違って、お前はすごいよ」

 その言葉を放った瞬間、由佳里は俺の腹を思い切り殴った。いきなりの攻撃に、俺は後ろに倒れて、状況が呑み込めないまま、腹をかかえ、

「痛……何すんだよ!」

「いつまでそんな暗い顔してるつもりなの。やる気がないなら退部届でも出したら!」

 まさかの逆ギレ。

「なんだと!」

「辞める気がないなら、次頑張りなさいよ!」

「なに!」

「これが今回の結果なの。努力しても結果が出ないときはある。今回がだめでもう終わりじゃないでしょ。次頑張ろうよ。今回の努力は無駄になったわけじゃない!」

 それはかつてないほどに感情的な言葉。

「すごかったよ。君の歌。私はそれ聴いてプレッシャー感じたくらいだもん。だから私は負けないように頑張った。先輩たちもみんな褒めてたよ。君が努力していたのは私が一番知ってる。そんな努力ができるなら、これくらいでへこたれちゃダメでしょ!」

 由佳里がここまで感情的に俺に言葉を投げかけてくれたのは初めてだったかもしれない。それは彼女の本気の言葉の証。

 心の中のモヤモヤが今の一括で吹き飛ばされた。

 そうか。俺は悔しかったのか。

 そう認めることができた。

「ん……そうだな。そうだよな。まだまだだな」

 功補は由佳里に言った。

「サンキュ。元気出てきたよ」

「全く、バカは励ますのは難しい」

 笑いながら言った言葉はまた鋭かったが、功補はその時はその言葉が面白く聞こえた。

 その夜、携帯電話に入っていたメールを見た。同級生からの賞賛の言葉が数多く並べられている。その内容一つ一つをじっくり見て、今までの自分の努力が、由佳里の言った通り無駄じゃないと分かった時、俺は、ただ単純にうれしかった。

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