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「ああ、良かった。丁度いいところに来てくれたね」


 エリュートはそう言葉を発した。これは今から約五日前の光景だ。なんとか間に合ったのだろうか。

 バノンはエリュートが足蹴にしているものを見た。巨大な赤い精霊。上半身は人間のような形だが、下半身はトカゲだ。赤と黒の斑模様、五対の足が生えている。燃える炎のような髪、太い三本の角、二対の腕、威圧的な背中の棘。

 炎の精霊サラマンダーの一種であることは分かるが、それにしてはあまりに大きいし上半身が異形である。まるで、未熟なイフリートのような。成りかけ、なのか。

 だが、赤熱し輝いていた肌も髪も見る間に光を失い、急速に衰えてゆく。筋骨隆々とした上半身も、丸々太った下半身も、猛烈な勢いで痩せ細り干からびて、藻掻くように伸ばした四本の腕が崩れて地面へと落ち、灰になって風に飛ばされてゆく。


 吸われているのだ、とバノンは悟った。エリュートが手にしている剣に精霊の魔力が全て吸収されている。喰らい尽くされた精霊は体の全てが灰になり、脆く崩れて消えてゆく。生き物ならともかく、精霊は魔力の塊のようなものだ。その魔力を吸われてしまえば精霊は消え去るのみ。即ち、終焉である。

 よく見ると、エリュートの右手は剣と癒着しているようだった。逆手に持てば良いものを、と疑問に思ったのが気付いた切っ掛けだ。紐のようなもので手首から固定されているように思えたが、その紐は剣から伸びており、黒い法衣の袖を食い破って白い肌にめり込んでいた。


 剣の名は『賢者の剣』。いや、真の名は『賢い剣』であろう。学府の宝物庫の奥底、決して触れてはならぬと固く封印されていたものだ。元来ならばその柄は干からびた手首が握っていたはず。『栄光の手』と呼ばれていたその手首は、悪魔を倒した勇者の右手である。

 悪魔を倒した後、己自身が悪魔になってしまったという事実はおとぎ話にかすかに残ってはいるが、伝えられてゆくうちに薄くなり、消え、悪魔を倒してめでたしめでたしと締められるようになってしまった。


 ルービィから「悪魔の三本の剣が実在する」と聞かされても驚かなかったのは、学府内にそのうちの一本が秘匿されていることを知っていたからだ。

 存在自体は学府内でも話の種程度のものだった。学府に籍を置く講師陣ですらきちんと把握している者は少なく、無駄に溜め込んだ宝物庫の奥の奥で埃をかぶって埋もれていた箱を見たり触ったり、よもや調べたりする者などいるはずもなかった。ないはずだった。

 だが、ルービィの話でふわふわした噂は確信へと変わった。そして実際にエリュートは該当する物体を見つけ出し、持ち出した。


 強い剣は命を、素早い剣は時を吸う。ならば、賢い剣は何を吸うのか。導き出される答えなど単純だ。


 剣を振って灰を払ったエリュートは、空いた左手で器用に懐から小瓶を取り出し片手で蓋を弾き飛ばす。半分飲み、残った半分は足に掛けた。火傷を治すためだろう。


「すまない、待たせたね。招待に応じてもらったこと、感謝する」


 映し出される箇所を少しずらすと、エリュートの視線の先に一人の人物が立っているのが見えた。随分と大きな体躯。それをさらに大きく見せる分厚そうな甲冑と兜。両手には剣。エリュートと同じように手首に絡みつき、金属の篭手すら貫いて食い込んでいる。


「果たして声が伝わるのかどうか、試してみなければ分からなかったからね。よしんば伝わったとしても、指示に従って移動してくれるか、移動先の伝言に気付いてくれるかどうか、素直に来てくれるかどうか……賭けだった。貴方が僕と似ている人間なら、きっと来てくれるだろうという希望的観測だった」


 朗らかな笑顔だ、とバノンは思う。待ちに待った相手が現れた、ついに来たという喜びに満ちた笑顔だ。エリュートは心の底から喜んでいた。

 相手に数歩近付き、真正面から向き合うエリュート。相手もじっとそれを待っている。

 剣の切っ先を相手に向ける。仇討ちの作法だ。


「我が名はエリュート・セルシウス。伯父であり義父、レジナルド・セルシウスの仇、我が血族の名誉を掛けて貴殿を討つ」


 おお、と小さく相手から声が漏れた。全てを覆う兜で見えないが、きっと目を見開いていることだろうとバノンは勝手に予測した。


「レジナルド・セルシウス殿の甥、なるほど。レジナルド卿との戦いは、たいへんに素晴らしいひとときでありました」


 低く、兜越しでもよく通る声が聞こえる。言葉に偽りや忖度は感じられない。


「永遠にこのときが続けばよいとすら思いました。その願いを、貴殿が叶えてくださると信じてここへやってまいりました」


 エリュートと同じように片方の剣を向け、声を張る。


「我が名は」


「デニス・ヒンデバルト」


 ほぼ同時に、様子を見つめているバノンが口にした。劇の台詞を全て覚えてしまった観客のように。


 辺境警備隊所属、デニス・ヒンデバルト。代々続く騎士の出で、王都勤めも夢ではないような立場であるのに自ら辺境警備を志願した男。恵まれた体格と見た目に違わぬ膂力で魔物を紙屑のように薙ぎ倒し、戦場に立つことがあればさぞや功績を立てたであろうと誰もが噂する人物だった。

 辺境警備隊の惨殺死体が発見されたとき、誰もがデニスの死を確信した。何かあったら真っ先に飛び込んでゆくのが彼であったからだ。迷いなく人を助ける。そのために体を張るのを厭わない。


 殺された辺境警備隊を調べ、バノンは真っ先に彼が下手人だと気付いた。体格の問題もそうだが、彼の人となりがその原因だった。絵に描いたような善人。騎士の規範のような。

 違う。結果としてそうなったのだろうし、彼自身の善性も勿論あるのだろうが、こいつも戦いたいクチだ。誰よりも先に己が戦いの場に出たいのだ。特に他国との戦がないこの御時世、戦うのなら魔物を相手にするか、人間相手の小競り合いに首を突っ込むしか術はない。

 そしてもうひとつ、バノンが気にしたのは彼のあだ名だった。『武器壊しのデニス』。膂力と勇猛な戦いぶりに武器が保たず、すぐに壊れてしまうのだと周囲の人間は口にした。彼自身が非常に悩んでおり、様々な鍛冶屋に頑丈な武器製作を頼んでは取っ替え引っ替えしていたらしい。

 手に入れたのだ。ついに、彼はいくら振り回しても壊れない、己の力を十二分に発揮できる武器を。そいつを手にすれば人には戻れないだろうことはきっと分かっていたはずだ。だが、彼は掴んだ。悪魔の剣を、ふた振り。生活を捨てた。人としての生を捨てた。


 エリュートが姿を消した直後、ルービィの仲間であったドワーフの鍛冶師にも剣の話を聞いた。当然、報酬を支払った。

 ルービィの上役に当たるというその鍛冶師は、豪快に笑いながら「助かった」と言った。結構な額をもらう予定の武器作製依頼があったのだが、依頼主が死んでしまったので話が流れた。これからおまんまどうやって食っていこうか困っていたんだ、と話した。依頼主はデニス・ヒンデバルトであった。

 ぞっとした。こんなにも近くに情報が転がっていた。

 デニスという人物がこの鍛冶師から武器を受け取っていれば、話は変わったのだろうか。今となっては分からない。可能性の話でしかないからだ。



「我が名は、デニス・ヒンデバルト。我が剣にてレジナルド・セルシウス殿を屠りしこと嘘偽り無き真なり。貴殿の申し出、我が全身全霊を持って応えよう」

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