7
一面の瓦礫。その瓦礫は少し前に己が作り出したものだ。
一本の細剣が、辛うじて立っている壁の名残に突き刺さっていた。
「奥エンダルゲン山脈、ダイア・エトフ山頂にて待つ」
その剣は二枚の紙を壁に縫い留めていた。男は紙に書かれた文字をゆっくりと読み上げた。
剣の下には、鞘があった。男は両手が塞がっていたので、仕方なく剣の柄を素早く蹴り上げた。壁から外れ、くるくると宙に舞う剣。その勢いが頂点に達し、やがて大地に引かれて落ちてくる。同時に、鞘の先端を軽く踏んだ。瓦礫にぶつかり、鞘が真っ直ぐ立ち上がる。そこへ剣が呼ばれるかの如く落ちてきた。
剣を鞘に収めてやるべきだ。そう、男は考えたのだ。
二枚目の紙は、ゲートスクロールだった。目的地への案内だと、すぐに悟った。男はそれを手で拾うことができない。故に、爪先で軽くスクロールを踏んだ。
「ダイア・エトフ山頂」
白い光が男を包んだ。男はほんの僅か、笑みを浮かべていた。
「なあなあなあなあオイ大将、こないだの見たか?」
いつもの斡旋業の男が挨拶もせずにカウンターへと真っ直ぐやってきて、いつものようにいくつかの依頼書をまとめて差し出す。
「見てねぇ訳がねえよなァ? ありゃここからでも見えたもんなぁ……ってあれ? 大将は?」
「店長、今日からしばらくここを空けるんです。営業はしてるから、適当に店員つかまえてくれれば対応しますよー」
「ありゃ、そうか。ルーちゃんが受付してくれんならいっか」
「もっと喜ぶとこでしょうよ! 美人に対応してもらえて嬉しいなあ、いつもこうならいいのになぁ、くらいのことは言うところでしょうよぉ!」
「自分で言っちまうのが駄目なんだよなぁ」
「ぐうぅ、そこかぁー。そこがやっぱり駄目かぁぁー美しさは罪だけれど、自覚のある美しさはもっと罪かぁぁぁー」
「ルーちゃん見てっと、なんか、平和だなーって思うよな……」
「どのような意味で?」
「受け取ったそのまんまの意味」
依頼書を軽く確認して、食堂の壁に貼るルービィ。まだ朝早い時間であるので冒険者たちの姿はまばらだ。朝食を摂っている者ばかりなので、誰もまだ掲示板に興味を示さない。
「何日くらいで帰ってくんの、大将は」
「さあ、可能な限り早く帰ってくるとは言ってましたけどね。っていうか、今から出立するから直に聞けばいいんですよ」
「そーれーをー先に言ってくれよぉー」
などとぐだぐだ喋っている間に、奥から噂のバノンが現れた。姿はがっちりと本格的な旅支度である。
「おぉお? 長旅の予感がするじゃねえか大将」
「そこまで長くはならねえよ。ちっと山ァ登んなきゃならねえだけだ」
「お、山っつったな? もしかして例の奥エルダンゲンか?」
「まあな。山火事もおさまったし、なるべく早めに行かねえと確認ができなくなる」
「まだ危ねえんじゃねえかアソコはよ。だって見ただろ大将、流れ星が落っこちたんだぜ」
「流れ星が落ちた場所だから行かなきゃならねえんだよ」
肩をすくめて苦笑い。
「ああ、そうだ、学府から依頼とか来てねえか」
「大将よく分かったねえ! 一件来てるぜ、一応こっちにも持ってきた。学府の……」
「宝物庫で盗難があった、ってとこじゃねえか」
「お? そこまでご存知で? 話が早えや」
「盗難物が『栄光の手』と『賢者の剣』なら、下手人はもう死んでるしブツは木端微塵だ。諦めろって学府の受付に言っとけ。依頼飛ばすだけ無駄無駄」
「えぇー……結構な額の仕事だったのによぉ……」
「こればっかりはしょうがねえな。いつも通りに小さい仕事をコツコツと積み重ねていくしかねえんだわ、俺らみたいな庶民は」
斡旋料を彼に渡して、ついでに朝食を食べていくというので世間話はここで終わる。カウンターに金を並べて数え始めるのを横目に、バノンは改めてルービィに向かい合った。
「さて、んじゃあ飛ばしてもらおうか。エルダンゲン修道院まで頼む」
「はい。すみません、力至らずで」
「しょうがねえだろ、お前が知ってるとこか俺が知ってるとこまでしか行けねえんだからよ。留守の間は頼むぞ」
「二日か三日くらいですかね」
「そうだな……それくらい見ておいてくれ。確認するだけしてきたらすぐに帰る」
「はい」
ふと、バノンの視線が掲示板に向く。例の学府からの依頼書を見つけ、手を伸ばして指をぱちんと鳴らすと、その一枚だけが器用に燃え落ちた。
エルダンゲン修道院は非常に辺鄙な場所に存在する。修行のために世俗から離れきった箇所を選んだのだ、と伝承にはある。随分と古い修道院である。
そもそも、エルダンゲンという地域自体が辺鄙だ。広大な奥エルダンゲン山脈には大量の魔物が存在し、また凶暴な精霊であるとか得体の知れぬ何者かが居るともいい、更には火山もある。
火山は時折噴火する。何年か前に調査団が入り、火口に棲まう精霊を封印することに成功したので前ほど頻繁に災害は発生しなくなった。
が、人は近寄らない。豊かな生活を営むことができるような地域ではないのだ。修道院を最後の境界として、それより奥は手付かずの魔境。行き場を失った山賊ですら寄り付かない。そのような場所だ。
エルダンゲン修道院に到着したバノンは、迷いもせず大量の金を修道院長に握らせた。耳元で何かを囁くと、修道院長はこっそりと何かを渡す。それは存在しないはずの「奥エンダルゲン山脈、ウレクシレル山へのゲートスクロール」である。
教会は教会施設への移動しか認めていない。危険であるので、教会関係者による奥エルダンゲン山脈への侵入も認めていない。だがここには山脈内へのスクロールが存在する。そして修道院長は昇進も移動も望まない。この辺鄙な場所で一生を過ごすつもりであるという。
簡単な話だ。
ウレクシレル山はダイア・エトフ山の近くにある山だ。先日の「流星が落ちてきた」件のせいで四つほど山がなくなり、ウレクシレル山も一部が削げた。危惧されたのは火山であるダイア・エトフ山が噴火する可能性であったが、約三日間の山火事を経てもその兆候は見られなかった。故にそのまま放置されている。
修道院での宿泊を勧められたが、バノンは断りすぐさまウレクシレル山へと飛んだ。残された時間は少ないからだ。
削げ落ち、抉れた山の断面を滑り降りて窪地と化した場所の縁へ辿り着いたバノン。背負っていたズタ袋から取り出すのは大量の魔晶石である。学府の厄介事をやっつけた際にふんだくったものや地道に溜め込んでいたもの、それら全てを持ってきたのだ。惜しげもなく種まきのように地面へとばら撒きながら歩き始める。
周囲の山に阻まれて外側からは見えなかったが、窪地の真ん中には更に丸く抉れた箇所があり、内部はぶすぶすと炎がくすぶったままだった。
「まあいいか……」
バノンは溜息一つ、魔晶石を撒き続ける。山ごと無くなってしまいほぼ平地と化しているので登山より遥かにマシだが、この抉れて燃やし尽くされ何も無くなってしまった土地に満遍なく魔晶石を撒くのは骨が折れそうだ。
実際、撒き終えるには丸一日を要した。風の加護を入れて相当に足を早くしても、朝早くから活動しても、それでも夜はふけ、どれくらい経ってしまったのか分からない。だが時間がない。
ズタ袋の底に残った魔晶石を炎くすぶる穴へとぶちまけると、回復用のポーションをあおって無理矢理に疲労を軽減する。地面にズタ袋を放り投げ、羽織っていた外套も脱いで袋の上に放る。
外套の下から現れたのは、真紅色の法衣。彼の操る炎の色。息を大きく吸って、吐いて、意識を周辺に残っている魔素に集中させる。
奇妙な魔素だ。魔法関係とも違うので何色にもならないだろうし、聖なる灰で試薬試験をしても神の加護によって白く濁るでもなく、悪魔の強欲によって無色透明になるでもなく、果たしてこの魔素はどんな反応を示すのだろうか。これが、外から来た星の力なのか。
意識が盛大に逸れてしまったことを内心で恥じ、改めて集中し直す。荷物を減らすために魔法剣も魔法杖も持ってきていないので、道具によるテコ入れはできない。だが、目の前でちろちろと舌を伸ばす炎があれば利用できる。
前方に掲げた手に吸い込まれるように、炎が宙を飛んで集まってくる。意識を繋ぐ。現場に撒いた魔晶石一つ一つに己の意識を通過させる。口の中で小さく詠唱を呟く。大きな声として響かせる必要はない、と師たるクロヴィス・ジスカールは教えてくれた。この技術はあまり表に出さないほうが良い。そのような意味でも、小さく呟くだけで良いと。それでも声にするのは、頭の中で構築するための補助である。
魔晶石が光を帯びる。炎が集まって大きな塊になる。その炎が揺らぎ、赤い色を失い始める。軋むような音を立てて炎は歪み、円と文字を描く。いくつもの円と詠唱で呟いた文字とが複雑な図形を構築し平面となり、バノンの眼前に巨大な魔法陣を作り出した。
そこまで作業し終えて、ようやくバノンは肩の力を抜くことができた。目蓋を開き、正しく構築できているのを確認する。
「よし」
再び手をかざす。
「見せてみろ」
掌から炎が生まれ、魔法陣に向かって飛んでゆく。バノン自身の魔力が魔法陣の最後の一文字を描くと、炎は完全に赤い色を失った。白い光が燃え広がり、線と線の隙間を埋め、一枚の壁のようになる。全ての空間が埋まった途端に白は黒へと変化した。
「……ああ、夜か」
魔法陣が映し出すもの。それは、あたりに満ちる魔素に残っている過去の記憶だ。果たして間に合っただろうか。目的の時間帯を映し出すだろうか。
目を凝らすまでもなく、星明りと火口の煮えたぎる溶岩とで様子ははっきりと見えた。
まず最初に目に飛び込んできたのは、巨大な炎の精霊を踏みにじり、見慣れぬ剣をその背に深々と突き刺しているエリュートの姿である。
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