さよなら21歳の私

うるみ

あー今の生活は何となく幸せ。


私はどこにでもいるような平凡極まりない30代の子持ち主婦。夫は公務員。平凡な日常。平凡な幸せ。


休日は家族でショッピングセンターにだって行くよ。家族でハンバーガーだって食べちゃう。


家族で公園にも数えきれないほど行ったしね。動物園だって水族館だって遊園地だって。


もうね、行き過ぎて飽きるほどに。


人間って欲張りだね。欲しい物が手に入っても、「まだ違うものが欲しいまだ欲しい」って。手に入らなかったら入らなかったで「手に入らない手に入らない」って苦しむ。


そうやって、ゼーゼーいいながらどんどん手に入れて、手に入れる前の事を忘れていく。過去を忘れていく。


20代の自分は10代の自分を脱ぎ捨てて、30代の自分は20代の自分を脱ぎ捨てる。


脱ぎ捨てなくちゃいけないんだ。そうやって年を重ねていく。生き続けていく。



もう、今の私は若い頃のことをほとんど忘れそうだ。本当に忘れちゃうんだね。どうあがいても思い出せなくなっていくんだ。あの時の心を。あの…21歳の時に心に深く深く刻みこまれたはずのあのことも?


本当に夢の様に忘れてしまう。


本当の本当に。


本当にこのまま完全に忘れ去ってしまってもいいの?



分からない。



でも、今の私は忘れたがっている。そう、忘れたいんだ。


このまま跡形もなく忘れ去っちゃう?


でもね。私はちょっと昔に、そう、まだ色々と思い出せるぐらいのちょっと昔に、なるべく忠実に21歳のその時のことについて文章にして残してしまった。もちろん完璧じゃないけど。


小さい子どもたちを寝かしつけた後、子どもたちがすやすや眠る横で寝っ転がりながら暗闇の中スマホでね。


まだ、思い出せるうちに何とかぎりぎりセーフで書き残しておいたんだ。



いや、でもね…この文章をどうしたらいいのか正直わからないよ。



ちょっと昔の私が書いたその文章は、どうしようもなく愚直に、どうしようもない頃の自分を表現してしまっている。


でもこの文章を誰かに見せたいと思う今の自分もどうしようもない人間だと思う。

やっぱり、存在させてしまったものは、自分だけでなく、自分以外の場所に反応させたいっていうどうしようもない欲望がうまれちゃうんだね。そしてそんな欲望にさいなまれる私はどうしようもない人間だ。


あーそんな「どうしようもない」ところだけは今も昔も変わらないんだな。


今、自分がパソコンに向き合ってしようとしていることは、ふと昔のどうしようもない頃の21歳の自分とかぶった。



そう、あの時のどうしようもない私はパソコンで…



そして今は、私だけしか知らない、黒く濁って輝くどうしようもなく情けないあの頃の記憶の断片達をパソコンで…



あーきっとどちらの自分も、何かが変わるかもって期待してるんだ。今のままじゃいやだから。


あーどうかどうか『ちょっと昔の私が書いた文章』をとにかく読んで欲しい。そしてそこのあなたに確認してもらいたい。


あの時の記憶を文章として残しておいたことは有意義だったのか。


放っておけば忘却の彼方へ行ってしまい、泡のように消えてしまって何にもなることもなかった記憶。私というちっぽけな人間が、持ってしまったどうしようもない記憶。私とともに永遠に消えてしまうはずだった記憶。


私が文章にしなければ、存在しなかった記憶という文章。


もし、その文章が誰かの心を揺らせたら、欲を言えば、支えのようになれたら。


この昔の記憶の文章を書いた「ちょっと昔の私」、そして「21歳のどうしようもない私」、そして「今の私」は物凄く報われる。


そんな気がする。

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