王立学園の二人〜平穏に暮らしたい少年と、平凡を知りたい少女が出会ったら〜

緋色

第一章 始まりの地 アルへム村

一話 はじまりの朝

『ミストー、早く起きてーっ! 今日は大事なんだからーっ! おーい!』


 ……うるさいな。

 誰だ、何度も俺の名前を呼ぶ奴は。

 ……仕方ない、起きてやるか。

 かなり面倒だけど、な。


「……起きた、起きたぞー」


 誰かの声で目を覚ました俺は、怠い身体を動かし、ベッドから降りた。

 覚束ない足取りで、声のする窓際へと向かうと。


 照りつける朝の日射しが、寝惚け眼の俺を照らし出す。次第に薄暗い部屋に差し込むのは、光の柱。

 強張った両手を空に伸ばし、晴れ渡った日の光を全身に浴びた。


「いつもの見慣れた景色だ。相変わらず年寄りばっかで、自然に囲まれた長閑なこの村。やっぱり平凡が一番だな」


 ここはアルヘム村。

 グランフィリア王国という国の西側に位置する村落だ。

 至って普通の田舎だが、名物の温泉がある為か、多少の観光客が足を運んできているらしい。


『ちょっと、何のんびりしてんのよ!』


 隣の家の窓からそう叫ぶのは、一人の少女だった。

 お陰さまで、せっかくの緩やかな朝が台無しだ。


 その女の子は、幼少の頃から俺と懇意のあるルーシア。

 黄金色の長い髪が陽光で輝き、春風に靡くその様は、いつ見ても可憐な少女だ。

 そう、外見だけは。


「って、言いたげな顔するのやめてくれるかしら。まっ、私が可憐なのは間違いないけど」


 風に撫でられる髪をそっと手で押さえながら、誇らしげに微笑むルーシア。

 しかし、思考が読まれていたにも程がある。察しが良すぎるだろ。


「ほーら、初日から遅刻なんてしたくないわ。ミストも早く準備してよね」


 こいつの言う遅刻とは、一体なんの話なのだろうか。

 起きたての鈍い頭を使い、少しばかり思考を巡らせる。時間などとはほぼ無縁なこの村で、気にする事とは。


「……あぁ、そういえば今日からだったな」


「そう! ドリアスの街に行くのって久々ね!」


「そうだったか?」


「……本当に記憶力悪いのね。それじゃ私も着替えてくるから、また後でね!」


 そう言いながら、ルーシアは部屋の奥へと帰っていった。

 鼻歌交じりにクローゼットを開き、平然と寝間着を脱ぎ始める。

 そんな上機嫌な彼女を見れば、どれほどこの日を心待ちにしていたのかが見てとれるが。

 それは当然、この国でも四校しかない王立学校の一つ、王立グランフィリア学園に入学するからなのだろう。


 こんな小さな村には、まともな学校なんてものは無い。

 ましてや俺以外には同年代すらいないのだから、浮かれてしまうのも無理はないか。


「……少し前まではあんなにガキだったのに。ルーシアも大きくなったよなぁ、色々」


 独りでに小声で呟き、両ひじを窓枠に乗せながらルーシアの成長を喜ぶ俺。


 初めて出会ったのは、俺が物心ついたくらいの幼少の頃だ。両親に連れられて、アルヘム村へと移住してきたあの日。

 隣の家に住むルーシアとはその時からの長い付き合いだが……。

 ここ最近で、ずいぶんと女っぽくなったものだ。


「さぁ、俺も準備するか」


 一通り絶景を眺め終えた俺は、僅かな衣類を収納した衣装棚を開く。

 その中には、漆黒に染まる一着の制服が畳まれていた。


「まぁ、こんなもんか。堅苦しい制服じゃないってだけ、まだ良いか」


 早々に着替えを終えた俺は、一階のリビングへと向かった。

 そこには、すでに制服姿のルーシアが待っていた。

 まぁ、父さんと楽しそうに話していた声が、俺の部屋にまで聞こえてきていたが。


「ルーシアちゃんの制服姿、最高だね! でもミストの制服とは、なんだか雰囲気が違うなぁ」


「そうなんです! 女子の制服は白色で、男子が黒色なんですよ」


「へえ、さすがは名門。やっぱり王立学園は、一味違うなぁ」


 ルーシアに言われて知ったが、確かに俺とルーシアの制服はデザインが違う。

 女子生徒の制服は白色のブレザーとスカートで統一され、黒色のシャツに赤いリボンが付いたもの。

 普段着ばかり見てきたせいか、ルーシアの制服姿は何とも新鮮だな。


「おぉっ、ミスト、やっと起きたか! お前が寂しがらないように、今日はパパとママも一緒に付いて行ってやるからな!」


 俺の登場に気がついた父さんは、ぐっと親指を突き出しながら微笑んでくる。

 だが、正直来てほしくない。

 学園内でも、絶対に騒ぐだろうから。


「あー……ありがと。でも俺は大丈夫だから、父さんは店が開けてやって。でないと、村のみんなが困るだろ?」


 父さんを傷つけないように、丁重にお断りをする。

 しかし、キッチンの方から慌ただしく激しい足音が鳴り響いた。


 やばい。これは母さんだ。

 俺の母は異常なほど過保護で、とんでもなく感情豊かな人だ。

 あの足音だけで、気が動転しているのがわかるほどに。


「ぐす、ぐす……ママ達、付き添いに行けないの!?」


 予想通り、大泣きだ。


「王立学園は寮制の学校なんでしょ!? 金輪際ミストちゃんとルーシアちゃんに会えないなんて、ママ、堪えられないわ」


 エプロンの端を眼に当てながら、滝のように涙を流す母さん。

 膝から崩れ落ち、悲痛の表情を浮かべている。

 そんな今生の別れみたいな反応をされても……。


「マリーおばさん、私とミストはアルヘム村ここから通うので、学生寮には行きませんよ。だから安心して」


 慌てて母さんに駆け寄るルーシアは、そっと肩に触れながら、優しく微笑む。

 そんなルーシアを見上げている母さんからすれば、さぞ天使か何かに見えているのだろう。


「そうだぞ、マリー! 入学手続きの時に俺が全力で拒否しておいたから、ミストは寮になんて行かないんだ! ……って、あれ? 言ってなかったっけ?」


 一緒に母さんを慰めていた父さんは、顎に手を添えながら、記憶の袋小路に迷い込む。


「あなた……そんな事……一言も言ってないわぁーっ! うわーん!」


 更に泣きわめく母さん。

 自分だけ知らなかったから、きっと除け者にされたと思ったのだろう。


 あれは入学手続きの日、今から一か月ほど前の話だ。

 俺と父さんとルーシア、ルーシアの父親の四人で、西方地域最大の都市ドリアスへ赴いていた。

 その街の中心に建つ王立グランフィリア学園に行って、入学の手続きをしたんだが。


 筆記試験と魔力測定が絶望的だったのに、なぜか入学できた俺。

 ルーシアに寂しい思いをさせずに済んだのだから、結果的にはそれで良かったが。


 そしてその日、入学手続きをしている最中に、担当の事務員から学生寮の利用を勧められた。

 俺の住むアルヘム村から毎日通うともなれば、寮の利用は当然の提案だったのだから。


 でも、寮暮らしと聞いて焦った父さんの壮絶な土下座で、ついに根負けした事務員が折れたんだよな。


「ミスト、ルーシアちゃんをしっかり守るんだぞ!」


「暗くなる前には、ちゃんと帰ってきてね! 悪い友達は作っちゃ駄目よ! ハンカチ持った? 街までの道はわかる?」


「大丈夫だよ、母さん」


 四人で食事を済ませた後、ついに出発の時を迎えていた俺とルーシア。

 気がつけば、村のみんなまで集まってきていた。


 そんな彼等に手を振り、緑の都市ドリアス目指した。

 今日から、王立グランフィリア学園に通う為に。


 ━西方地域・川沿いの街道━


 ドリアスの街に行くには、森に囲まれた街道をしばらく西に進む。

 馬車なら一時間程度でたどり着くのだが、徒歩ともなると三時間は歩かなければならない。

 そこで俺達は、牧場主のハーシェルじいさんから二頭の馬を借りていた。

 田舎育ちの俺達にとって乗馬なんて朝飯前。お手のものだ。


「ルーシア、出たみたいだぞ」


 悠々と街道を進む最中、森の奥から殺気を感じた。

 何かが俺達を狙っている。そんな予感がよぎる。


「あまり時間はかけられないわ。さっさと片付けるわよ!」


「あぁ、初日から遅刻する訳にはいかないからな」


 すぐに馬から降りたルーシアは、両手を森の方角へと向けた。

 ふわりと髪が揺れ、魔力を解き放つ。


 〈カッカッカッカッ!!〉


 不適な嗤い声と共に現れたのは、魔人形スケアクロウ。それも三体。


「やっぱり魔物だったわね!」


「ルーシア、雑魚でも油断すんなよ」


「わかってるわよ!」


 魔物とは。

 その容姿は動物に近い生物や、機械などの無機物な姿をした外敵だ。

 どのようにして生まれてくるのか。未だにその生態は定かではないらしい。

 だが、一つだけわかっている事がある。

 魔物は、人を喰らうって事だ。


「風の精霊シルフ。力を貸せ! 疾風魔法ウインド!」


 ルーシアの両手から三発の風の刃が吹き荒ぶ。

 その直後、風の刃が一体のスケアクロウに襲いかかった。


 スパパパァァァン!!


 風を切る音が三度、甲高く鳴り響いた。

 その軌道には、容易く切り裂かれたスケアクロウの肢体が地面に転がっていく。


「どうかしら、私の魔法は」


「ルーシアの強さは俺が一番よく知ってるんだから、聞く必要ないだろ?」


 そう言いながら右手に魔力を込めた俺もまた、拳に炎を纏わせる。

 その瞬間、二体のスケアクロウが勢いよく飛びかかってきた。


「じゃあな、案山子野郎。火炎拳魔法ファイアフィスト!」


 〈ギャァーっ!〉


 まずは一体、炎を纏った右手で貫く。


「……ついでにお前も、燃えとくか?」


 魔物を貫いた手を更に伸ばし、奥に潜むもう一体の顔面を掴む。

 燃えさかる炎を立ち上らせ、同時に二体の魔物を灰へと変えてやった。


「お疲れさま、早く行きましょう!」


「あぁ」


 たとえ街道を通っていても、今のように森の奥から獣や魔物が襲ってくる事がある。

 それが寮生活を薦められた最大の理由だ。


 だが、俺もルーシアも多少の戦闘経験があるのだから、魔物が出てきたところで造作もない。


 ━西方地域・ドリアスの街━


 更に街道を進み続けた俺達は、ようやく目的の街が見えていた。

 そこは赤い煉瓦の巨大な外壁に囲まれ、石造りの大きな建物が頭を覗かせる大都市。


「やっと見えてきたか。っていうか、馬に乗ってるだけってのも結構疲れんだな」


「確かにそうね。これからは、この生活を毎日だものね」


 週に五回、この旅路を往復する。

 そんな現実に、思わず肩を落とす俺達だった。


「ミスト、お待たせ!」


 馬を預けた俺達は、久々にドリアスの街を歩いていた。

 高さ四メートルにも及ぶ塀に、整備された水路。石造りの歩道の両側には、花や木々が立ち並ぶ。

 さすがは人口約一〇万人にも及ぶ街。西方屈指の大都市だ。


『ほらほら、取れ立て新鮮な果物だ! 買わないと損だよ!』


『こっちは活きの良い魚よ! 鮮度は私のお墨付きなんだから!』


 こんな朝早くにも関わらず、人混みで賑わう商店街。

 ここはいつ来ても、活気に満ち溢れている。


「そういや、ここに来るのは入学手続き以来だったよな。あの時は父さんもルーシアの親父さんも忙しかったし、すぐに村へ帰ったけど」


「そうね。少しくらいは街を見て回りたかったのに」


「これから毎日来るんだから、いつでも見られるだろ?」


「確かに! 落ち着いたら、帰りにお菓子屋さん巡りしましょう!」


「いや、行かないよ?」


 その後も、興味津々なルーシアは街並みを見回していた。

 まぁ、役場勤めをしている両親の仕事の都合上、ルーシアも何度か街に来ているはずなんだが。

 って事は、将来の為に社会勉強を兼ねて、街の様子を観察しているのかもしれない。

 役場勤めの親を持つっていうのも、大変だな。


「ねえ、知ってる? この街の領主さんって、デルドール伯爵なのよ。私もいつか伯爵みたいな手腕をふるって、アルへム村を発展させたいわ」


「目標を持つのは感心するけど、二〇〇人しかいないアルへム村では難しいだろ。それに牧場と温泉しか取り柄が無いんだから、そう簡単にはだな……」


 そう言いかけた時、ルーシアの寂しげな表情が映り込んできた。

 彼女の視線の先には、楽しそうに買い物を楽しむ家族の姿が。

 俺達と同じ制服を着ているから、両親と一緒に入学式に来たのだろうけど。


 ルーシアはアルヘム村の村長の孫だ。

 その重圧プレッシャーの為か、いつも村の役に立とうと奔走している。

 おまけに両親も村の役場で働いている為、仕事で他の地域に出向いたりで家にはいない。

 きっとルーシアの本音は、少しでも家族との時間を過ごしたいはずなのに。


「ミスト、これから楽しみね」


「あぁ、そうだな」


 気が付けば、俺達は王立グランフィリア学園に到着していた。

 グランフィリア王国の誇るこの学校に、今日から通う事になるんだ。


 そして俺は、今日という日を決して忘れる事はないだろう。

 ここが、はじまりの日。

 俺の物語が、動き出した日なのだから。

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