第20話 暗い森

 人々は賑わい、夕日に色が沈み始めている街はまだまだ明るかった。これから街の特産品が増える、成功すれば街が栄えるかも知れない、そんな期待に皆して明るい未来を見ているのだ。

 幹人の印象ではこのような時に大人たちは酒を片手に夜遅くまで騒ぎ散らすものだったが、現実は異なった。正しくはここでの現実は、だが。

 祝うだけ、そこに食べ物もなければ飲み物もなくて、歌もなければ踊りもない。この街の文化はあまりにも貧弱だった。リリの話によればかつては軽く歌いながら農作を行う人々もいたそうだが、王都が金を突き出して資本主義という思想に侵略されて以来、そのような余裕など消え失せて歌は過去の壁に阻まれ失われたのだという。

 そのウワサ話ですらなくなってしまっていたこと、それを耳にして幹人はただ頷くだけ。感慨もなければ苦しみもなく、ただ遠いだけの話でしかないのだから。

 それよりもリリとの時を過ごしていたかった。元の世界にまで帰るとしても想い出は残しておきたい、それが本音だから。そう伝えたところリリは笑顔でその意見を受け入れてくれた。

「私たちはもう疲れたから先に帰るわ。あとは魔女の耳に入らない程度に好きなだけ騒げばいいさ」

 人々にそう告げて森の方へと足を進める。幹人の頭の上でリズが長い耳を揺らして幹人の頬を擦り続けていた。

「かわいいなリズ」

「かわいいのは私、リリじゃなくて」

 どこか不満そうな表情をしている魔女は幹人にとっては間違いなくかわいく思えていた。

 薄暗い森を歩き続け、家の中へと戻る。リリが灯した小さな明かりは頼りなくて、しかし今の環境ではそれすら心強く思える。

 暗い森を歩いて水を汲み、質素な晩ごはんを済ませてふたりと一匹は休んでいた。

「幹人」

 突然名を呼ばれて背筋を伸ばす。暗い中で響く声はそれだけで緊張を与える。

「なあに」

 幹人の口から出た上ずった声は情けなくて、リリは笑った。

「呼んだだけ」

「イジワル」

 ただ笑って楽しそうにしているリリを見ているだけで幸せな気分が運ばれてくる。明るくて美しい感情に触れて、暖かくて優しい感情に包まれる。そうして訪れた深い眠りは心地よいものだった。



  ☆



 辺りは暗くてなにも見通すことが叶わない。深い森の闇は底なしなのだろうか。草木を踏む音が響いて幹人の意識を呼び戻す。リリは奥で静かに寝息を立てていて動いた気配など微塵にも感じさせない。幹人が身体を起こすと共にリズが耳を揺らしながらゆっくりと起き上がり、素早く幹人の肩に乗る。

「行くよ、リズ」

 小声でそっと呟いて、一歩を踏みしめる。視界を塞いで支配する恐怖の心、そのようなものに負けてなどいられなかった。家を出て、見えない景色を見渡す。

「なにが出るのか、頼むよ小動物でお願い」

 恐怖に震えながら立っている幹人と、肩の上で魔力を吸い込むリズ。心構えからして異なっていた。緊張は心臓を騒ぎ立てる。静かな森に響いてしまいそうなほどにうるさい鼓動。地に敷かれた葉っぱの絨毯を踏む何者かの足音、頭の中から緊張と恐怖、敵意が飛び出そうで、抑えるために一度深く息を吸う。

 落ち葉を踏む音が向かい来る方向を見定めて、幹人は風を放った。

 風の音が迫る中、野太い呻きと共に落ち葉を踏む音が加速してゆく。幹人の視界は相変わらず闇に覆われていて、耳で追いかけるほかなくて。

 近付いて、迫って襲い掛かって。

 音は急激に大きくなり近寄って来ていることが手に取るように分かった。

 謎の影は腕を大きく振る。その軌跡を飛び退き躱していちど、大きな風をぶつける。

「ぐっ……」

 男の呻き。そこからのリズの追撃の風が男の身体を掠る。それと共に男の身体から何かが落ちて、葉っぱの絨毯に触れて自然の音を奏でた。

「誰だよ、リリ姉のとこまで忍び寄るようにきてさ」

 幹人の声を聞き、男は言う。

「リリじゃ……ない」

 リリの名を知っている。その事実が幹人の思考を叩いて鈍らせた。

「魔女に拾われたのが魔法使いだったのか……」

 そんな言葉を残して男は立ち去って行った。


 静寂を取り戻し、再び穏やかになった森の中、幹人とリズだけが穏やかではいられなかった。

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