356.猊下への称賛と殺意を漲らせた瞳〜ナックス〜side

「あの庭に、一体何を仕込んでいた」

「何、とは?」


 ロブール家の離縁手続きをしていれば、王子が勢い良く部屋に戻ってきた。


 間違いなく王子は、公女に対して特別な感情を抱いている。

そんな公女と共に、今頃のピクニックを楽しんでいたんじゃないのか。


 そもそもこっちは本来なら2日かかる処理を、1日で終わらせようと集中していたんだぞ。

顔だけは高位貴族のご令嬢らしく、美しく整っているのに、行動力は猛獣のような猛々しさとふてぶてしさを秘めた公女。

そんな公女の手を引いて出て行っておいて、何なんだ。


 予め用意しておいた分厚い書類の束から、現ロブール公爵夫妻の物を引き出し、離縁の正式書類を作成する。


 2日かかるのは、教会の祝福を受けて正式に作成した書類は、保管庫からの取り出しを全てにおいて魔法で鍵を開き、再び元の場所への保管も魔法でもってく必要があるのがまず1つ。


 その上離縁の場合には、婚姻の書類の破棄と離縁の受理に関する書きこみを、専用の用紙に魔力をこめて書きつけるのが1つ。


 その書類を保存するのが1つ。

なにせやたら細かく1度でも失敗すれば、その書類ごと書き直しとなる魔法陣を、四隅に描く必要がある。


 そして最後にそれを再び保管庫に戻す。

この時にも、鍵を再度かける。

もちろん魔力を使って。


 普段それを受け持つ中位の神官では、途中で魔力切れとなりかねない。

だからこそ、十分考慮して2日となる。


 自分が中位の神官だった時以来の作業だ。

相変わらず面倒な作業だと、言わざるを得ない。

それでも婚姻や離縁は、家にとって重要で、軽んじたり誤りがあってはならない。

それがわかっているからこそ、全てを厳重に処理している。


 とはいえ、私も既に上位の神官。

元々魔力も多く保持しているからこそ、1日で処理する事となった。


 そう、それを口実に公女を教会へと呼び出す為に。


 全て教皇猊下からの指示だった。


 ルシアナ=ロブール公爵夫人が、数週間前に教会へと赴いてきた時から、猊下はわかっていたんだと思う。


 ロブール公爵夫妻が近々離婚する事を。


 何故かと問われるとわからないが、直感だ。

だからあの時も、私が直々に公爵夫人の相手をするよう指示されたんだろう。


 そうでなければ娘を虐げるような夫人の相手を、私がするはずがない。

いくら四大公爵家とはいえ、上位神官が先触れなく訪ねてきた者と話をする事は、原則ない。


 あの夫人の言葉の端々に、娘を馬鹿にする意図を感じた。

だからこそ猊下から指示された通り、自らの保護を申し出た夫人に、娘の公女と共に教会へ来るならと条件をつけた。


 猊下の言う通り、それが叶うとは期待していなかった。

けれどそう言えば夫人が娘に何かしら行動し、こちらも保護しやすくなる。

そう考えての事だと私は判断していたが、猊下はそれよりもっと先を見据えていた事になる。


 さすが教皇猊下だ。


「聞いているか、ナックス神官」


 猊下への称賛に勤しんでいれば、王子の冷たい声音で我に返る。


 恐らくあの時、は王子を薔薇に例えていたが、今は瞳に黒い影を宿しながらも、目が血走っている。


 え、コワ……一体何がどうした?!

まさか公女と何かあって、八つ当たりを?!


「温室に何をしこんでいた」


 その言葉にまさかと嫌な予感がした。


 温室、と言ったか?


 自然と眉根が寄る。


「温室が……あったのですか?」

「そうだ。

公女が入って、消えた」


 入って、消えた?!

あの公女、何やっているんだ?!


 普通なら公女が何かに巻きこまれたと思うべきなんだろうが、公女だ。

絶対、何かやらかしたに決まっている!

思わず持っていた書類を、机の上にバサ、と落としてしまったじゃないか!


 インク瓶に当たって倒れそうになったのを、慌てて押さえる。

このインクは特注品で、書類に使っているだけに、魔法でも汚れが落ちない。

もし書類にぶちまけていたら、書き直しだ。


「それで、公女をどこに拐った」


 王子はそう言って、瞳に殺意を漲らせた朱色の瞳で私を射抜いた。

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