326.義娘〜ルシアナside

『「あははははは!」』


 頬に感じる風が、潮の香りが、気持ち良い。


「やっと力を取り戻したわ!」

『やっと新しい体を得たわ!』


 心を支配する殺意と高揚感に突き動かされるように、海の上で叫ぶ。


 あの時、裏切り者の息子達と対峙した時、本能に突き動かされるように、魔獣達を呼んだ。


 それが私か、この真っ黒な人の形をした何かの力だったのかは、わからない。

けれど正直、そんな事はどうでも良い。


 1番に現れたのが、このバシリクス。

大きな足を打ちつけるようにして、水面を猛スピードでひた走る。


 急な坂道を下りて、突然海に向かい、砂浜から水の中に突っこんで行った時は、驚いた。

まさか水上を走れるだなんて。


 魔獣の手に鷲掴みされている格好なのは、我ながらいただけない。

けれど今は仕方ないわ。


〘(今なら何でもできそうね!)〙


 まるで頭の中に響くような声は、自分の感情なのか、何かの思考なのか。


『「殺してやる!」』


 けれど耳にするのは自らの澄んだ声と、何かのブレたような声。


(全ての元凶である叔母を!)

〘認めなかったお祖父様を!〙


 そう、何かが狙うのは義父様なのね。


 密かにそう思ったのは、私だけみたい。


『「あははははは!」』


 互いに笑い合う。


 魔力を使いこなせると確信してから、この真っ黒な人の形をした何かが現れた。

漂いながら、今は背後から私の首に腕を回している。


 自分の意識や声以外も感じたり、聞こえてくるようになったのは、それとほぼ同時。


 それらはこの何かの物だと確信している。


 この黒い何かは、憎悪と殺意にまみれている。

でもそれを恐ろしく感じたり、引き剥がしたくなったりはしない。


 だって嫌いじゃない。

むしろ好ましいくらい。


 それはきっと、度重なる子供達の裏切り行為で、自分の心が憎しみに染まったからかもしれない。


 今も、お腹を痛めて産んだはずの母親を裏切った子供達にも、戸籍上の夫にも、叔母にも憎しみは増していく。


 そうなる程、指輪から供給される魔力が、大きくなっていく気がするわ。


 うっとりと、桃茶色の指輪を見つめながら、再び感情の衝動を感じる。

もしかしたら、あの娘__シエナから私への、餞別なのかもしれない。


 この指輪の色は、まさにあの娘の髪色だもの。

それに……チラリと後ろを見やる。


 この黒い何かのシルエットは、シエナそのもの。


「ねえ、シエナ?」

『なあに、お母様?』


 ブレた声が返事をする。


「ああ、やっぱりシエナなのね!」

『そうよ。

ねえ、お母様。

後でお義姉様も、殺して良いでしょう?』


 以前は時々煩わしいと感じさせた、強請る時の口調も、今は可愛らしいと思えるから、不思議ね。


「もちろんよ!

あんな出来損ないは、死んで当然よ!」

『嬉しい!

お母様は、私を愛してくれているのよね?』

「もちろんよ!

私の娘はシエナだけですもの!」

『うふふ、良かった。

私が側に居て、喜んでくれるのね!

お母様は、ずっと一緒に居てね?』

「嬉しいに決まっているわ!

これからも一緒にいましょう!」

『うふふふ』


 黒い口元がニタリと、何となく歪んだように見えた。


〘約束よ〙


 そんな言葉が、頭に直接響いた気がした時、シエナの輪郭が薄れ、シュルリと指輪に戻って行く。


「痛っ」


 指輪が締まったように見えた途端、チクリと痛みを感じて思わず声に出した。


 左手の中指と指輪に触れる。

クルクルと回して見るけれど、特に変わりはない。

一瞬、外してみようかと思って、バシリクスの手の中だった事を思い出して、止める。


 外したら魔法が解けて、襲われてしまうかもしれない。

海中に沈む可能性だってあるもの。


「ふふふ、確かこの海の向こう側が、叔母夫婦のいる領だったはず。

まずはこの魔獣に襲わせるか……ああ、他にも魔獣をけしかけてやろうかしら」


 恐怖に引きつる叔母の歪んだ顔を想像して、気分はどんどんと高揚する。


 転移署が使えれば良かったけど、流石に魔獣を連れてはできないもの。

魔法が使えるようになった事は、喜ばしいけど、その魔法の程度が低いのは、問題ね。


「そうよ。

もっともっと、憎めば良いのよ!」


 そうすれば、攻撃魔法の威力を上げられるわ!

辿り着くのにまだ暫く時間がかかるもの。

その間に、もっと……。


 義娘が応援するかのように、指輪が温かく感じた。

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