第10話  ネリー、語る(上)



「――そろそろ話してくれるのだろうな」

 

 夫ギュンターの鋭い言葉にネリーは小さく頷いた。

 ここは王都の侯爵邸。

 辺境伯ローランドもこの場に同席している。

 彼は無言ではあるが、やはり鋭い視線でじっとネリーを睨んでいた。



 先程アレクサンダーとニナの結婚式があった。

 王国が誇る大聖堂を使っての派手な結婚式。

 この国の王族だけでなく、ハーミルの王族まで。

 負けじと他の同盟国の外交官や使節まで参加承認を求める。

 大聖堂を使うのであればと、王族の婚姻でもあるまいに教主市国から大司祭まで派遣される始末。 

 ついに観念した国は特別予算を組み、彼らの婚姻は国際行事とあいなった。




 それだけ二人は注目を浴びていたのだが、当の二人は『大変なことになったなぁ』ぐらいにしか思っていない様子。

 あの騒動でどれだけの人間が気をもんだのか全く自覚していない。

 せいぜい外交特使として他国のお偉方と誼を結んでおきなさい、とばかりに保護者たちは二人を置いて退散してきたのだった。  


「――私も貴女のおっしゃる通り、ずっと手を出さずに来ました。是非ともきちんとした説明を求めます」


 ローランドが口を開いた。

 少々怒気をはらんでいる。

 ここまでになったのだから、はぐらかしは絶対に許さないと。


(あらあら、なんと恐ろしい目だこと。……、本当にこんな男が良かったの? ……趣味悪いわね?)


 ネリーは今日という晴れの日を天上から見ていたに違いない亡き親友に向けて悪態をつく。そしてそれを言われた彼女の何とも酸っぱそうな顔を想像し、思わず相好を崩した。

 咎めるような咳払いがあった。

 ローランドが更なる不快感を示している。

 あまり待たせるのもどうかと思ったネリーは何処から説明を始めればいいのやら、と首をひねった。




 実際、アレクサンダーとニナの戦いは本当にあちこちに影響を与えた。

 ギュンターもローランドも若い二人の知らないところでその後始末に追われる日々。通常の仕事を行いつつだ。

 あの二人がさんざん何をしてきたのかも当然知っていた。

 彼ら保護者だけでなく目端の利く者たち、あらゆる情報が入ってくる者たちも同様に気付いていた。

 今日参列を望んだ諸外国の要人たちも――。

 下手すれば王国が揺れるだけで済まない。

 地域の安定が脆くも崩れ去る可能性すらあった。

 それだけは長年周辺国に対して懸案を与えていた。

 それとなくどういうことかと尋ねてくる彼らに、『どうか今は動かないでくれ。二人を見守ってくれ』と懇願こんがんしたのが現王と王妹ネリー。

 この二人がそこまで言うのならば、と彼らは一切の口をつぐみ静観を決め込んだ。

 それでも父二人は難色を示していた。

 そんな二人にネリーは『必ず話すから』とだけ告げ、面倒な後始末を押し付け続けてきた。



 一から説明してやるのは面倒なので、ネリーは話したいことから話すことにした。

 時系列や因果は二人が頭の中で組み直せばいい。それが出来る人間だ。

 そう判断し、彼女は満を持して口を開いた。


、貴方のことをイケ好かないヒョロヒョロ陰険野郎って言っていたわ。……『あんな男を婚約者に選ぶなんて目が腐っているんじゃない?』って」


 ギュンターは自分のことだとは思わなかったのだろう。

 目を白黒させた。

 ネリーの口からそんな言葉が出ることも同じく。

 ローランドもいきなり何があったのかと訝し気。

 ネリーは無視して続ける。


「失礼な話よね? 私の初恋相手をそんな風に言うなんて。逆に好みを聞き返したらあの子はこう言ったわ。『殺しても死なないような頑丈な男がいい』って」

 

 今のネリーの言葉で二人は察した。

 その後、あの子――ラウラは国費での留学だったにも関わらず、本国に報告や相談なく勝手に学舎を中退してしまった。

 本当に突然のことだった。

 彼女は王国主催の晩餐会で理想の男を見つけたのだ。

 その男の名はローランド=アルヴィナ。

 当年四十歳。

 亡き先妻との間には十に満たない男児が二人いた。


「――『王女の貴女よりも幸せになってしまうわ、なんだか申し訳なくて』と意味の分からない勝利宣言を残して……それきり」


 社交の場など面倒なだけだと最低限の義務だけ果たして辺境領に引っ込んだローランドを追いかけ、屋敷に突入し、すったもんだの末に婚姻をもぎ取った。

 ……まだ本人から了承も得ていないのに良くあんな大口叩けたモノねと、その無鉄砲さに乾いた笑いが込み上げたのは、また別の話。




 しばらくしてそのラウラが呆気なく亡くなったとの報を受けた。

 喪失感こそあったが、そのときはそれだけだった。

 逃げられたな、と。

 本当にそんな感じ。

 しばらく辺境伯領そのものを無視してきたが、社交の噂で彼女の愛娘ニナの風変りなを耳にした。

 そこからラウラの事情を詳しく調べ、ようやく彼女の不可解な言動の意味を理解するに至った。

 彼女がどんな思いで生き抜いてきたのか。

 どんな思いを胸に結婚相手を選び、命を懸けて子供を産んだのか。

 どんな思いで娘を遺したのか。

 毎日泣いた。

 激しく泣いた。

 自分の無知さを恥じた。

 消えてしまいたかった。

  



「――仲は良かったのですよね?」


 思い耽るネリーの顔を覗き込むローランドがいた。

 縋るような目で彼女を見つめている。

 ネリーにはその気持ちがよく分かった。

 もし先程の言葉をに受け取り、彼女とラウラが険悪な仲だったとしたならば、前提が全て狂ってしまうからだ。

 彼はよりによって大事な娘を一番預けてはいけない相手に預けてしまったことになる。

 ネリーは余計なことを言わず、思う通りのことだけを思うままに伝える。


「私はあの子のことが大好きでしたよ。気付くのがあまりに遅過ぎましたけれど。あの子は……どうでしょうねぇ? ……第一声が『なに、このフワフワ女。存在自体が私に対する冒涜ぼうとくでしょ!?』でしたから。王女にそんな言葉を吐き捨てる人間など後にも先にも彼女たった一人でしたので少々面食らったことを覚えています」


「あのラウラがそんな汚い言葉を!?」


 ローランドが盛大に驚いた。


「……では絶対にそんなこと言いませんよ。あの子外面そとづらだけは完璧でしたから。……ローランド殿もきっとラウラのことを美しくちょっと勝気な儚い少女だったと、今でも信じておられるのでしょう?」


 ネリーの、その悪意に満ちた言い様にローランドが鼻白む。

 いい気味だと思った。


(あの子はそんな弱い女ではないわ! !)


 ギュンターはネリーの言葉に引っかかる部分があったらしい、眉間に皴を寄せて一生懸命考え込んでいた。最近その仕草を見せるようになったアレクサンダーと血のつながりを感じて可笑しい。

 せっかくだから、彼らが気付くまで待とうと、紅茶を一口……二口。


「……口では言わないとは?」


 ようやくギュンターが口を開いた。

 ローランドもそこに気付いたらしい。

 ネリーは我が意を得たりと頷いた。


「えぇ、私たち視線だけで相手に言葉を伝えることができたの」

 

 男二人は同じように口を開けていた。

 あの感覚は通じ合った二人にしか理解できないだろう。

 ネリーはそれでも今の言葉は適切でなかったと思い言葉を足す。


「いえ、伝えるだなんてそんな愛らしいモノではなかったわね。どちらかというと視線で思う存分殴り合ってきたといった感じかしら? ……そんなことが出来た相手もあの子だけ」


 物騒な言い方だと思ったが、ネリーとしてもそうとしか喩えようがなかった。





「――君たちはいつも仲良く一緒にいたと。笑顔で見つめ合っていたと、いろんな人からそう聞いていたのだが?」


 ギュンターが分からないと首を振りながらそう訴える。

 

「そうでしょうね。いつも一緒にいたことも、他人の目があるところ限定ではありますが笑顔で見つめ合っていたのも事実です。ですが仲が良かったかは……どうでしょう?」


 そこだけは天上の住人である彼女に確認を取らないことには判断つかない。

 伝えたいことしか伝わらないのだ。

 隠された本心は知りようがない。 

 だけど今更それを尋ねることが出来たとしても、きっと彼女は美しい顔を少し歪めるだけで正直に答えてくれない。

 

(『……知らないわ。そのおめでたいで好きなように考えれば?』って)

 

 視線でそう素っ気なく告げてくる。

 ネリーは容易に浮かんだその表情を思い、その懐かしさに微笑んだ。





「――ニナとアレクサンダー君はずっと笑顔で見つめ合っていた……な?」


 ローランドはようやくネリーの言いたいことに気付いたらしい。

 彼女が今更ながら思い出話をした理由にも。

 説明が省けて良かったとネリーはほくそ笑む。


「娘たちはずっと視線で本音をぶつけ合っていたのか?」


 質問の形だったが、これは確認の色が濃い。

 だからネリーは頷くにとどめる。


「どんな会話を?」


 今度はギュンターが問う。


「さて? 詳しくは聞いていませんが、あの二人の行動を見るに、お互いが【相手の有責による婚約破棄】を狙ってイロイロと仕掛け合っていたのだろうとは思いますが」


 二人は天井を仰いだ。

 が、すぐにローランドが身を乗り出してくる。


「つまり二人は相思相愛ではなかったと? ……我々は無理に婚約を押し付けてしまったと?」


 あまりの頓珍漢な詰問にネリーは露骨に表情を歪めた。

 こんな朴念仁を『集大成の相手』として選んだラウラの神経を本気で疑う。


(……頑丈ならば誰でも良かったのかしら?)


 ネリーは逆に身を乗り出して冷たく言い放った。

 

「……今日の二人を見て、本当にそう思われたのですか? 子供の頃から胸に抱き続けた願いを苦闘の末に勝ち取り、誇らしげな最高の笑顔で参列者皆を魅了し尽くしたあの二人を見て? ……とんだ節穴ですこと!」

 

 ローランドは気圧された様子で再び深く腰掛ける。

 歴戦の将を退かせることができて、ネリーはこっそり喜ぶ。


「相思相愛だったのに、互いに婚約破棄を望んだ? ……矛盾している」


 夫のギュンターも負けず劣らず鈍い。

 これだから男はとネリーは内心で二人を思いっきり詰る。


「惚れた弱みという言葉があるでしょうに!」


 ネリーが吐き捨てるも、二人は神妙な顔で顔を見合わすだけ。

 ここを飛ばす訳にはいかないと、ネリーはきちんと説明してやることにした。




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