第5話 8

 浄化の間の扉は人用のものだけだったけれど。


 わたくしは壁をぶち破って、<闘姫>のまま浄化の間に入ったわ。


「ずいぶんと、はしたないご登場だこと」


 祭壇前の椅子に腰掛けたルミアが、クルリと椅子を回してわたくし達を見上げる。


「……ルミア……もうやめよう」


 <闘姫>の左手の上で、オズワルドが訴える。


「あら殿下。結局、あんたもルミアを裏切るのね」


「――そんな事はないっ! 私は……俺は……」


 <闘姫>の手から飛び降りようと身を乗り出すオズワルドを、クレアが制したわ。


「……おまえを獣にさせるわけにはいかないから。

 話すなら、ここからにして」


 オズワルドは拳を握りしめて、クレアに従う。


「ルミア、俺は君を愛してる!

 もう復讐なんて良いじゃないか!」


 オズワルドのその言葉に、ルミアは――それまでの嘲笑のような笑みを憎しみに染めて、右手を振るって叫んだ。


「――復讐なんて?

 なんでも持ってる、あんた達にはわからない!

 ルミアにはもう、これだけなのよ!

 ママ達の仇を討って、恨みを晴らして!

 ローデリアを絶望に染め上げることだけが、ルミアが存在する意味なの!」


「……それを果たしたとして、おまえはその後どうしようというの?」


 ルミアの目的を知った時から抱いていた疑問を、わたくしは彼女に問いかける。


 途端、ルミアは身を折って、狂ったように――いいえ、真実、すでに彼女はしまっているのかもしれないけれど――お腹を抱えて笑いだした。


「おっかしい!

 その後なんて、知らないわ!

 ルミアはね、ただやりたかったからそうしただけ!」


「君はルーシオに利用されて、そう思い込まされているだけだ!」


 オズワルドが再び身を乗り出す。


「利用されてた?

 違うわ! ルミアがあいつを利用してたのよ!

 魔女の! 貴属のルミアが、あんな奴なんかに利用されるわけないでしょう!?」


 ……まるで騙されてた子供が、悔し紛れに自分に言い聞かせているようね。


「そして、あんたも利用してやってたのよ、殿下!

 ルミアを愛してる?

 そう思うように振る舞ってきたもの!

 ルミアは愛なんて知らない!」


 オズワルドを指差していた手を拳に変えて、ルミアは力任せに肘掛けに振り下ろした。


「……それを教えてくれるはずだったママもパパも、ローデリアに殺されたわ。

 わかる!?

 ルミアはあんたが大好きな愛さえも、ローデリアに奪われたの!

 ――そうよ! ローデリアを滅ぼしたなら、きっとルミアにも愛がわかるはずよ!」


 元々、道理の通らない娘だったけれど。


 理屈がどんどん支離滅裂になっていくわね……追い詰められて、ヤケになっている証拠だわ。


「……哀れね」


 こうなると説得はもう無理ね。


 右の親指をクレアに触れさせる。


 クレアにはそれで意味が伝わったようね。


「……ルミア・ソルディス。

 ヘリックはどこだ?」


 光閃銃を構えて尋ねるクレアに、ルミアは愉しげに顔を歪ませる。


「――何処だと思う~?」


 ルミアの指が祭壇に触れて、前方に巨大な映像板が開く。


 虹色の輝きを放ち、無数の破片を組み合わせて造られたような、歪な立方体。


 巨大な二重環が回転する中央に浮遊するそれは、不意にバラバラとほどけて二重環に沿うように回転を始めた。


 そして中央に残ったのは、胸に虹色の立方体を埋め込まれたヘリックで。


「――おまえっ! おまえぇっ!

 霊脈炉のコアにヘリックを使ったのかっ!」


「あはは! さすがひよこちゃん! わかっちゃうかぁ。

 そうよぉ。魔道器官を霊脈炉に直結させたの!

 あんた達が悪いのよ?

 せっかく霊脈もエリュシオンも押さえたのに、魔道器官を持ち去っちゃうんだもの」


 民をブラドフォードに退避させた事を言っているのでしょうね。


 クレアやイフューはエリュシオン弱体化の為と言っていたけれど、効果はあったのね。


「だから、不足した魔道を補うために、あの子を使ってあげたの。

 さすが王族よね。

 あの子ひとりで戦闘稼働まで持っていけるのよ?

 まあ、ルミアがステータスをいじってあげたからってのもあるんだけどね!」


「――目覚めてもたらせ! ブルー・ゲイル!」


「目覚めなさい! バリア・シールド!」


 クレアが蒼の閃光を放ち、けれどルミアはそれを右手の一振りで受け止める。


「アハ! 怒った? ねえ、怒ったの?

 そうよねぇ。ステータスをいじられたヒト――<解き放たれた獣>は、殺すしかないものねぇ。

 ひよこちゃん、あの子殺せるぅ?」


「――ヘリックが、おまえになにをしたっていうのさ!」


 クレアの叫びに、ルミアの歪んだ笑みは一層濃さを増す。


「なにもしてないわ。

 ただ王族で、魔道が強くて、使えそうだったから使った。

 ……世の中ってそういうものでしょう?

 ルミアはそうされてきたわ!」


 そして、ルミアは祭壇に左手を置いたまま立ち上がり、右手を自身の胸の前へ。


「……だからね、ルミアはこの身でさえも、そうするの!」


 ルミアの周囲に無数の光板が浮き上がり。


 彼女は迷う事無く、正面の一枚に光る指先を滑らせる。


「――もうなにもいらない!

 ことごとくを滅ぼせ! 絶望の獣!」


 その瞬間、ルミアの身体が光の残滓を残してかき消えて。


「――転移!?」


 思わず周囲を見回すわたくしに、クレアが慌てたように振り返る。


「違う! あいつ、自身を獣にして、エリュシオンと同化してる!」


 直後、周囲の壁が肉質を帯びたものに変容をはじめて。


 クレアは舌打ちして、空中に魔芒陣を描き。


「来たれ、シルフィード!」


 浄化の間に、蒼碧の擬竜が出現する。


 クレアはその腹から素早く乗り込んで。


『アン、そのまま乗って! 間に合わなくなる!』


 クレアの声に従って、シルフィードの上に飛び乗ろうとしたところで、オズワルドが<闘姫>の手から飛び降りた。


「――オズワルド!」


「……行ってくれ……」


『――呑み込まれちゃうんだよ!?』


 クレアの言葉に構わず、オズワルドはルミアが消えた祭壇まで歩み寄り。


「……それでも俺は、残りたい。

 彼女に裏切ったと思われたままじゃ、嫌なんだ……」


 祭壇を撫でて、オズワルドは薄く微笑む。


 周囲の壁はますます肉感を増し、まるで生物の内蔵のようになっていく。


「俺は……それでもルミアを愛してる」


『――ちくしょうっ!』


 まるでクレアの叫びを映したかのように、シルフィードが天井を向いて竜咆を放った。


 紫電をまとった蒼碧の輝きは、天井を貫いて巨大な穴を開き、夜空を覗かせる。


 シルフィードが加速する。


 わたくしは振り落とされないように、鱗にしっかりと掴まって。


 次の瞬間には、わたくし達は二つの月が照らし出す夜空にいたわ。


 見下ろした地上には、エリュシオンの巨体はそのままに、より生物的にしたような……漆黒の竜。


『――ちくしょう! なんでこんな事になるんだよ!?

 こんな……わたし、どうしたら……おばあちゃん……』


 ……ああ、クレアが泣いているわ。


「……理不尽ね」


 本当に理不尽だわ。


『愛ってなにさ!?

 復讐?

 なにもかもを巻き込んで、自分さえも犠牲にして……ああ、ヘリック。どうしよう……』


 混乱しているのね。


 わかるわ。


 わたくしも、きっとおまえが一緒でなかったら、みっともなく喚き散らしていたと思うもの。


 ……でもね。


 おまえが泣いているのだもの。


「……クレア。

 約束を果たすわ」


「……アン?」


 <闘姫>をシルフィードの上に立たせて。


 わたくしは優しくクレアに語りかける。


「わたくしが理不尽に打ちのめされた時は、おまえが助けてくれると約束してくれたように……」


 両の拳を打ち合わせたら、<永久結晶>は応えるように、濃紫の輝きを強くする。


「わたくしもまた、おまえが泣いた時は、その涙を止めてみせると約束したわ!」


「そんなの無理だよ!

 魔女のわたしでも、どうして良いのかわかんないんだよ!?

 ヒトのアンに、そんな事できるワケないっ!」


 叫ぶクレアに、わたくしは首を振る。


 今、この身には盟約の詞があって。


 見下ろす漆黒の竜にははっきりと霊脈の流れが視て取れる。


 艦首――いいえ、もはや頭部ね――に、紅い輝きが集まって。


 盛り上がった肉塊が、巨大な女を形作る。


 それは表情を失くしたルミアの顔をしていて。


 中央やや後ろ寄りで白く明滅しているのは、きっとヘリックね。


 今、この身は<闘姫>となっていて。


 この半身が、イフューの言う通り、極小の願望器だというのなら。


「おまえはただ、願いなさい。

 クレア、おまえはどうしたいの?」


 わたくしの問いかけに、クレアは洟をすすって。


「……ヘリックを――ううん。ルミアも、オズワルドも、みんなみんな助けたいよ。

 こんな悲しい終わりじゃなくって、みんなで笑って終われる明日が欲しい!」


「……欲張りね」


 苦笑するわたくしに、クレアは笑ったみたい。


「――アン、わたしを……みんなを助けて……」


「約束だもの。やってみせるわ。

 おまえはただ、わたくしを運ぶだけで良いの」


 濃紫に輝く拳をかかげて、わたくしは漆黒の竜を見据える。


「――すべての理不尽の果て……その先の力を……

 このアンジェラ・ブラドフォードが見せてあげるわ!」

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