第3話 4

 ――クソっ!


 なんでこうなった。


 俺は入れられた牢の石壁を殴って、唇を噛み締める。


 地下牢の一番奥にあるここからは、部下達がどうしているのかはわからない。


 この牢舎までは一緒に連れて来られたのだが、俺だけ分けられたのだ。


 ……まあ、ウチは侯爵家だ。


 しかも指揮官であるのだから、特別に扱って然るべきではある。


 鉄格子のはめられた窓の外は、すっかり日が来れている。


 ここに閉じ込められて、三度目の夜だ。


 今頃、ブラドフォード大公は戦の慣例に倣って王都に遣いを走らせ、浅ましくも身代金を請求している事だろう。


 あの悪辣なアンジェラの父親である大公の事だ。


 きっとそうに違いない。


 ――アンジェラ・ブラフォード。


 本当に忌々しい女だ。


 女とはルミアのように大人しくあるべきだろう。


 ああ、ルミアに会いたい。


 父上は早く身代金を出して、俺を解放してくれないものか。


 そんな事を考えて寝台に寝そべっていると。


 薄暗い通路の向こうから足音が聞こえてきた。


 ――やっと釈放なのか。


 身体を起こして、鉄格子の暗闇の向こうに目を凝らす。


 窓から差し込む月明かりに照らし出されて現れたのは。


「……久しぶりね。グレイブ」


「――ルミアっ!? なぜここに!?」


 花の刺繍が施された淡い青のドレスをまとった金髪の美少女。


 そんな彼女の背後には、長身長髪のローブ姿の男が付き従っている。


 ――魔道士だろうか。


「ああ、そうか。わかったぞ。

 殿下がそこの魔道士に命じて、俺の救出に来たんだな?

 優しい君は、それに同行して……」


 俺は鉄格子に歩み寄って、ルミア達に近づく。


「俺を想ってくれるのは嬉しいが、君には危ない事をして欲しく――」


 ――ない、とそう続けようとしたのだが、不意にルミアが顔を歪ませて笑い出した。


「――相変わらず、おめでたい頭だわ。

 誰がおまえのようなクソ漏らしの為に動くというの?」


「――ル、ルミア……?」


「ルミアはねぇ、アンジェラ様に嫌がらせをしに来ただけなの。

 おまえのところに来たのは、ついでよ。つ・い・で――」


 ルミアは鉄格子ごしに顔を寄せてきて。


「壊れたおもちゃになんて興味ないんだけどね?

 ママがいつも言ってたのよ。

 ――ちゃんとお片付けしましょうねって。

 ルミアはママの言いつけは守るわ。

 ねえ、良い子でしょう?」


 なんだ?


 この女は誰だ?


「――ルミアはそんな事……そうか!

 貴様、ルミアに姿変えの魔法で化けているな?

 何者だ!? 卑怯だぞ!

 そんな事で俺のルミアへの愛は変わらない!」


 途端、ルミアの姿をした何者かは笑うのをやめた。


「……あーあ、なんかシラけちゃった。

 もっと騙したなーとか絶望の色を見せてくれると思ったのに。

 もういいわ」


 と、彼女は鉄格子の間から手を伸ばしてきて。


「――ふ、触れるな!」


 飛び退こうとしたのだが。


「――


 濃緑の瞳が妖しい光を放って。


 俺は身体の自由を奪われる。


 まるで縫い留められたように動けなくなった俺の胸に、ルミアの姿をしたそいつは右手を触れさせた。


「――アクセス。ソーサル・リアクター……」

 彼女がそう告げた直後、俺の目の前にほのかに光る板のようなものが浮かび上がる。


 そこには古代文字と思しき文が羅列してあって。


「アハハ! 知能が三ですって!

 思ってた通り! しかも筋力も敏捷性も言うほど高くないわ。

 これなら殿下の方がまだマシね」


「……な、なにを……」


 かろうじて自由になる口で呻けば。


「高いのは魅力だけかぁ。

 それでも他のステータスが低いから、無駄になってるのね。

 ああ、だから強姦なんてマネで女を調達してたのね。

 ――ホント、滑稽!」


 ルミアの姿をした彼女は、光る板に手を伸ばす。


「――なにをしている!?」


 言いようのない恐怖を覚えて、俺は声を張り上げた。


「うるさいわねぇ。

 言ったでしょう? おもちゃの後片付けよ。

 そしてアンジェラ様への嫌がらせ。

 ひと手間で一気にこなしちゃうなんて、ルミアって賢いと思わない?」


 言いながら、彼女は板の下の方の文字に触れて。


 彼女の指先もまた、ほのかに光り、文字が書き加えられていく。


「ルミアに感謝してね?

 おまえみたいなクソ漏らしに、もう一度だけアンジェラ様に仕掛ける機会をあげるんだから。

 うまく行けばお望み通り、アンジェラ様を犯せるかもね」


 そうして文字が完成して。


「ま、意識は残ってないだろうから、わからないんだろうけど……」


 そう告げて、ルミアの姿をしたそいつは美しく微笑む。


「――リミッター・リリース。

 さあ、暴れなさい。

 <解き放たれた獣>よ」


 ――瞬間、目の前が真っ白に染まった。





 連続で申し込まれたダンスを終えて。


 わたくしは席に戻って、ジュースの入ったグラスを傾けていた。


 疲労を理由に、ようやくお誘いから逃れられたの。


「……お父様もクレアもずるいわ……」


 テラスを見れば、お父様達は楽しげに談笑している。


 大公家の者がひとりも会場に居ないのは体裁が悪いから、わたくしが残っているというワケよ。


 肘掛けに頬杖ついたわたくしは、思わずため息をつく。


「……姫様」


 と、そんなわたくしに執事長のジロールが、急に声をかけてきたものだから、わたくしは慌てて背筋を伸ばしたわ。


 教育係だったジロールは、いまでもわたくしの姿勢ひとつとっても注意してくるから苦手なのよね。


 彼は白髪に覆われた頭をわたくしの耳元に寄せると。


「――王都より外務省の使者を名乗る者が訪れております」


「なんですって!?

 ――お父様には?」


「旦那様はお酒を召し上がられていらっしゃったので、お嬢様にお報せ致しました」


 ……確かに酔った状態で、王都の使者の相手はさせられないものね。


「でも、どうやって。街道は封鎖されているでしょうに……」


「宮廷魔道士が随伴しておりましたので、恐らく魔道による転移かと」


「という事は、大人数ではないのでしょう?

 ――何人?」


 このシルトヴェール王国の宮廷魔道士の質は決して高くはない。


 魔道に長けた隣国――ランベルク王国のそれに比べれば、学生レベルと言っても良いほどね。


 だから、送り込んできた人数は多くないと、わたくしは予想したわ。


「三名です。ただ……」


 珍しくジロールが言い淀む。


 ――その時。


「――お待ち下さい! まだ出迎えの用意が……」


 このパーティーホールの入り口で、衛士がそんな声をあげて。


「僕は王国の使者だぞ!

 衛士ごときが行く手を遮るな!」


 そう言って衛士を押しのけて現れたのは。


「……ミゲル・アード……」


 なるほど。


 ジロールが言い淀むわけだわ。


 外務大臣の息子がこの場に出てくるの。


 グレイブが先遣隊を率いていた事といい、オズワルドは本格的に世代交代を考えているのかしらね。


 青い髪をした小柄な少年。


 いかに外務大臣の息子とはいえ――十五歳で学院の一年生でしかない彼に使者を任せるなんて、オズワルドは公国をナメてるのかしら?


 彼の登場に、ホールの招待客がざわめき出す。


 わたくしを見つけた彼は、こちらに向かって歩き始めて。


「――あ~ん、待ってよぉ。

 ミゲルくぅん!」


 そんな甘い声と共に現れた女を見て、わたくしは思わず身を固くした。


 魔道士風の出で立ちをした銀長髪の男を引き連れて、ミゲルに駆け寄って腕を取った彼女は。


 ミゲルと共にわたくしの席の前までやってきて、にやりとした笑みを浮かべる。


「――お久しぶりです。アンジェラ様~」


 下位の者から声をかけるという無礼をいきなりブチかましてくれた彼女に、わたくしは怒りと驚きを隠して微笑みを返す。


「いつもオズワルドにべったりのおまえが、こんなところまで出てくるなんて珍しい事もあったものね。

 ――ルミア・ソルディス」


 そして、そんな彼女に腕を抱かれたミゲルに視線を向ける。


「――ミゲル・アード。

 おまえ達を招待した覚えはないのだけれど、使者ですって?

 いきなり押しかけるとは、シルトヴェールの外交もいよいよ終わりが近いようね」


 なにが目的かはわからない。


 けれど、きっとロクな事ではないはずよ。


「いやあ、ブラドフォードが独立するって言うもので、そのお祝いと交渉に遣わされたんですよ」


 笑みを浮かべたまま、そう告げるミゲル。


「――交渉?」


「ええ、ブラドフォードは独立して、シルトヴェールとは他国になるわけでしょう?

 ――貿易の関税についての交渉は必須でしょう」


 まるで勝ち誇るようにそう言ったミゲルに。


 わたくしは思わず声をあげて笑ってしまいそうになったわ。


 招待客の皆さん――特に領主同盟の各領主達もまた苦笑しているわね。


 どうやらミゲルは――王国は、交易で優位に立てる立場だと勘違いしているようね。


 ……本当に愚かという他ないわ。


 わたくしは扇を取り出して口元を隠す。


 このままじゃどうしたって笑ってしまいそうなんですもの。


「――良いわ。言ってみなさいな。

 王国はどう関税をかけるつもりなのかをね」


 その甘い考え、わたくしがこれから徹底的に潰してあげるのだけれどね。

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