第8話 夜更けの常連さん

 「外出許可申請?」


 王の元に回ってくる書類は、とても多い。

 内政、外政、実に様々だ。

 仕事関連でないものも、時には含まれる。

 それが、後宮に暮らす妃達の外出許可に関する書類である。

 基本的に、一度後宮に入れば基本的に外には出られないとされているが、事実は異なっている。

 公務での慰問、そして観劇などの私的な用事でもその正当性が認められれば外出は可能となっている。

 事実、正室側室問わずこの申請を出して、お忍びで城下町を楽しむ者はいるのだ。

 それでも警護騎士を手配する関係で、事前に申請書を提出することになっている。

 

 「あのナターシャが?」


 妃達の中で、最も、位が低く年若い、さらに言うなら後宮では新参者である男爵令嬢アナスターシャ。

 彼女が入宮してそれなりに経過したが、今の今まで外出許可申請書を提出するなど無かった。

 割り振られた公務の時以外は、自室か、作らせた図書室に籠ってひたすら本を読んでいる彼女が、今回初めて外出許可を求めてきたのだ。

 申請書にはいつ、どこで、何をするのか詳しく書く欄がある。

 ほかの妃達と同じように観劇にでも行くのかと思い、目を通す。


 【持ち込んだ物語関連の本は全部読んだので、王都限定で販売されている物が読みたいので、それらを購入するため。

 加えて、義姉が原案、監修した物語が舞台化し、王都の劇場で公演が決定、他ならない義姉がチケットを送ってくれたため、その観劇。

 以上を前述の日程にて行う予定】


 申請書にはそう記入されていた。

 前者については、手配して後宮に持ってきて貰えばいいだろうにとおもってしまった。

 

 (しかし、アザリーナ達も直接店に赴いてドレスの採寸やらしてくることもあるし)


 なんなら、食事だってしてくる。

 よくよく思い直してみれば、ナターシャも女性なのだ。

 しかも、貴族ではあるが庶民との距離が近かったと聞いている。

 民間から嫁いだようなものだ。

 だからか、時折ナターシャは貴族の令嬢としては相応しくない行動に出る。

 決して多くは無いが。

 それでも、それはある種の異端であった。

 まるで、甘言を囁く蛇のようにナターシャはほかの妃達に取り入っているように見えた。

 国王にしてみれば、子供向けと侮っていた物語でトラウマをこさえられて以来、蛇というよりも魔女そのものだった。

 もちろん、ナターシャには魔法の才能はない。

 才能が無いので、魔女にはなれない。

 つまり、ナターシャは魔女ではないのだが。

 どうにも、国王はナターシャに苦手意識を持っていた。

 ナターシャがその場にいたら、確実に、


 「トラウマですね。おめでとうございます」


 と、不敬すら恐れずに慇懃無礼なことを口にするはずだ。

 苦手意識を持っているからといって、外出許可を出さない、なんて底意地の悪いことはしない。

 確認したところ、日程もしっかりしているし、お忍び予定だから護衛は一人で良いとまで書いてある。

 とりあえず、変なところは無いのでサインをしようと筆をとった時。

 幼い女の子が、執務室に我が物顔で入ってきた。

 十歳にも満たない、国王とは親子ほど年の離れている幼女である。


 「お兄さま!!」


 幼女がパァっと顔を明るくさせ、国王に抱きつく。

 幼女が口にしたように、国王の娘ではなく正真正銘の妹である。

 先代の側室の一人であり、先代の国王が正妻以外で唯一愛した寵姫が産んだ娘である。

 産後の肥立ちが悪く、その側室はこの娘を産んですぐに亡くなってしまった。

 後宮は、現国王が即位したため新しく迎え入れる妃のために空けなければならず、先代の王も逝去したためその時の妃達は教会に入るか、部下に下げ渡されるかした。

 ほとんどの異母兄弟姉妹達も爵位を与えられ、あるいは婚姻によって国の内外の家へ嫁ぎ、この国を支えてくれている。

 ただ、この娘は幼すぎたため兄である国王が色々考えた末、今は離宮で暮らしている。


 「おや、ヴィー。また忍び込んだのかい?」


 国王ではなく、兄としての仮面を貼り付けて対応する。

 見れば、見慣れない絵本を抱えている。


 「昨日も、その前もお仕事お仕事で、ヴィーとの約束まもってくださいー!!」


 抱えていた絵本、それを高く掲げてヴィー姫はそんなことを言った。

 約束というのは、寝る前の物語の読み聞かせだ。

 兄ではあるが、父親代わりとなっているのでヴィー姫はこうして我儘を言ってくる。

 

 (そういえば、約束の日全てを潰していたのか。

 すっかり忘れてた)


 言い訳になってしまうが、国王は多忙なのだ。

 ヴィー姫こと、ヴィクトリア王女は頬をリスのように膨れされ、読み聞かせを要求してくる。

 可愛い妹の頼みだし、聞いてやりたいが、こうしている時間も惜しいほど彼は今日も予定が詰まっている。

 

 (アザリーナは、慰問だったな。

 カタリーナは、そういえば商人の来訪があるんだったか)


 この二人は国王からの信頼が厚いので、以前にもヴィクトリアのことを任せたことがあった。

 しかし、生憎今日は任せられない。

 王命と言って押し付けることも可能だが、そうして予定を潰すとあとあと面倒なことになりかねない。

 ほかの側室達に任せてもいいが、幼いヴィクトリアを利用しようとしてくる可能性が高い。

 どうしたものか、と、ふと今まさにサインをしようとしていた書類が目に入った。

 国王にトラウマを植え付けた者、しかし、読み聞かせと子供の相手だけなら慰問先である孤児院、そこの子供たちからの人気は絶大なものになりつつある、一人の側室の名前がそこに書かれていた。

 おそらくヴィクトリアを利用する気もなく、アザリーナやリリアの言葉を信じるなら、くれぐれも怖い話はするな、余計なことはするなと言い含めればその通りにしてくれるはずだ。

 この二人からの情報ではあるが、実際怖くない話を希望すればそれを語ってくれたという話だ。


 「ヴィー、約束はまた今度だ。

 その代わり、絵本を読むプロを用意するから我慢しておくれ」


 ヴィクトリアの幼い瞳が、国王を映して揺れた。

 その様を見て、既視感を覚えたがすぐに振り払う。


 「……わかりました、ありがとうございます。お兄さま」


 ヴィクトリアは賢いので、しょんぼりしつつもそれ以上駄々を捏ねるのはやめた。

 

 「もうすぐ夏のお休みがくる。

 そしたら、アザリーナと共にお出かけしよう」


 夏のお休みとは、長期休暇のことだ。

 ヴィクトリアはアザリーナに懐いている。

 毎年、正室とともにこの期間は避暑地で過ごす。

 もちろん他の側室達も一緒だ。

 彼女たちが買い物をするので、避暑地は経済効果をそれはそれは期待されているのだ。


 「わかりました」


 すぐにナターシャへ手紙を書き、ヴィクトリアの侍女を呼びに行かせる。

 やがて顔を真っ青にしたヴィクトリアの侍女がやってきたので、ナターシャのことを説明し手紙を渡しつつ、後宮へ連れていくように指示を出した。

 そうして、見るからにガッカリして執務室を出ていく最愛の妹を見送って、彼は仕事を再開した。


***


 「今日はどれを読みましょうかねぇ」


 自室にてウキウキと積み本の物色を始めたナターシャ。

 侍女も心得たもので、お茶とお菓子を用意する。

 お茶はいつものやつだが、今日のお菓子は男爵領からチェーン店として王都に店を出しているとある菓子屋から取り寄せたものだ。

 男爵領で、ミズキが広めた子供向けの菓子である。

 さて、そんなナターシャが今日読むであろう積み本の中に、【異常犯罪】に関する研究などをテーマにした本やそういった事件の捜査をしていた元捜査官の手記などもあったが、侍女はあえて何も言わなかった。

 ひとえに、慣れたのである。

 基本物語ばかりかと思えばこう言った物も読むから、まさに雑食と言えるだろう。

 この前なんて、人肉事件の捜査に関する本を読んだ後で、昼食に出てきたステーキをペロッと食べていた。

 儚そうな見た目からは想像出来ないほど、ナターシャの肝は据わっているのである。


 「よし、これにしましょう!」


 侍女はにこやかな顔で、ナターシャが手にした本を見る。

 まるで恋物語でも読むような表情で、ナターシャが開いたのは実在の殺人鬼が書き残した手記と捜査関係者に取材したことをまとめた、実録本だった。

 この手記の主は、すでに処刑されている。

 他の妃達なら、卒倒するだろう内容が書かれている。


 正直、それこそ侍女としてはナターシャが精神に異常をきたさないか心配なのだが、今のところそれは無い。

 しかし、ナターシャが本を読み始めてすぐのことだった。

 国王の妹、ヴィクトリア姫が侍女とともに、後宮を訪ねてきたのである。

 それだけならまだいい。

 しかし、アザリーナやカタリーナでもなく何故かナターシャに用があるというのだ。

 しかも、国王からの手紙もある。

 手紙には諸々の事情が書いてあった。

 要約すると、義妹の面倒を見ろとのことだった。

 絵本を持参しているから、それの読み聞かせもするようにと書いてある。

 あと、これは釘刺しなのだろう。

 くれぐれも、怖い話は聞かせるなと厳命されていた。

 

 「お兄さまに話は聞いております。貴女がお兄さまが用意した絵本を読むプロの方ですね」

 

 ナターシャの自室の前で、おしゃまにそう言ってくる。

 ナターシャはすぐに、侍女へ目配せして明らかに教育に宜しくない本の片付けに向かわせる。

 そして、ヴィクトリアへ恭しく頭を下げた。


 挨拶をし、少しだけ会話を交わす。


 「プロ、ですか。王族の方にそう言っていただけるなんて、嬉しい限りです」


 「そういう時はね、きょーえつしごくって言うのよ!」


 そうしていると、ナターシャ付きの侍女がやってきて片付けが済んだことを報告してくれた。


 「部屋の用意と、お菓子と飲み物の用意が出来ました。

 さぁどうぞ」


 ナターシャはヴィクトリアを部屋へ招き入れた。

 異常犯罪に関する本はしっかり消えていた。

 大きめのソファにヴィクトリアは我が物顔で座り、出されたジュースを口にする。

 ナターシャはお茶である。


 「この本を読めばいいのですね?」


 ヴィクトリアの侍女へ確認する。

 首肯されたので、軽く開いて中身を確かめた。

 男爵領でも有名な、昔からある子供向けの絵本だ。

 内容は、悪い魔法使いに攫われた姫を、王子様が助け出すという、それは王道中の王道な物語だった。


 「早くしてくださらない?

 だいどーげーにんさん、なんでしょ?」


 「先程もそうでしたが、姫様は難しい言葉をご存知ですね」


 幼いながらも、どこか見下した色が言葉の端々に感じられた。

 ナターシャはニコニコしながら、絵本の読み聞かせを開始する。

 テーブルの上に絵本を、立てて紙芝居のように絵が見えるように配慮する。

 相手が子供だからこそ、読み聞かせの手は抜かなかった。

 王族とかそういうのは関係ない。

 見下されるのは覚悟の上で、ナターシャはここにいるのだ。


 ナターシャの読み聞かせに、ヴィクトリアは少しずつ魅せられていく。

 彼女の兄がそうだったように、今ヴィクトリアの目には絵本の世界そのものが映し出されている。

 やがて、読み聞かせが終わるとヴィクトリアから見下しの空気は薄れていた。

 お菓子を食べるのも忘れて、読み聞かせに熱中していたのだ。

 結果、他のも読んで欲しいと駄々をこねられた。

 幸いというべきか、ここには子供向けの話がたくさんある。

 この前実家から届いた紙芝居だってある。

 それこそ、今しがた読んだ絵本の紙芝居だってあるのだ。

 侍女にそれらが入った箱を持ってこさせて、ヴィクトリアに選んでもらう。

 しかし、ヴィクトリアは部屋の隅にあったもう一つの箱が気になったようだ。

 そこには、怖い話が入っている。

 断ったが、どうしても見たいというので読み聞かせなければ大丈夫かなと考えて、ナターシャはその箱を開けてヴィクトリアに見せた。

 一つ一つ指をさして、どういう話なのか聞いてくる。

 読み聞かせじゃないし、まぁいっかとナターシャは粗筋を簡単に説明していった。

 と、その中の一つに、ヴィクトリアの興味をそそる物があったらしい。


 「これを、読んでください」


 王様からの命令でダメだと断ったが、ヴィクトリアは引かなかった。

 王様に内緒にするから、と言って聞かない。

 事後報告になるが、あとで手紙を書いてこの事を報告しようとナターシャは決めた。


 「わかりました」


 ナターシャは折れた。

 そして、紙芝居を設置し始めた。

 初めて目にする簡易な物語の舞台。

 ヴィクトリアは、わくわくとその開始を待つ。

 そして、ナターシャの準備が終わり、物語が始まった。

 ヴィクトリアが所望したのは、【夜更けの常連さん】という物語だった。


 「昔むかし。

 とある小さな街に、一軒のお菓子屋さんがありました。

 小さな店でしたが、そのお店のお菓子はとても美味しいと評判でした。

 貴族様も、お使いの者を寄越して買いにこさせるほどでした。

 さて、このお菓子屋さん。

 一番人気は真っ白いクリームと季節ごとの果物でデコレーションしたフワフワのスポンジケーキでした。

 しかし、隠れた名物があったのです。


 それは、飴でした。

 丸くて硬い、口の中で転がしてゆっくり溶かすあの飴ではありません。

 水のように透明で、ちょっとドロっとした飴でした。

 風変わりで、大人は誰も食べようとしないその飴は、お小遣いでも買えるので子供たちに大人気でした。

 噂では、一部の大人にも人気なのだとか。

 なので、中には子供の小間使いを使って買わせにくることもあるのだとか。

 ちなみに、家からそれぞれ入れ物を持参すると、そこに店員さんがあの飴を入れてくれるのです。

 子供たちに大人気なので、その飴はいつからか【子供飴】と呼ばれるようになっていきました」


 可愛らしいお店の絵、そして美味しそうなお菓子が紙芝居には描かれていた。


 「ある晩のことです。

 もうそろそろ店を閉めようかと、店主が表の立て看板を片付けようとした時でした。

 入口の扉が、コンコン、コンコン、と控えめに叩かれたのです。

 

 こんな閉店間際に珍しい。


 お菓子屋の店主は、珍しいこともあるもんだと入口の扉を開けました。

 すると、そこには真っ白なブラウスを着た、色白の女が立っていたのです。

 女は鈴を転がすような、でもどこか心細そうな声で店主に言いました。


 あの、飴を、くださいな。


 そう言って、これまた上等そうな深皿を出してきたのです。

 店主はすぐにピンと来ました。


 子供飴ですね。少々お待ちください。

 店主は深皿に飴を入れてやりました。

 女がお代を払って、飴を入れてもらった深皿を受け取り、深深と頭を下げます。


 ありがとう、ございます。


 その女に、店主は言いました。


 お買い上げありがとうございます。

 暗いから気をつけて帰るんだよ。


 そうして、お店を閉めたら、後片付けです。

 簡単に店内を掃除して、それからその日の売上を勘定しなければなりません。

 と、その売上を勘定しているときに気づきました。

 珍しい硬貨が紛れ込んでいたのです。

 それは、冥銭、死んだ人が死後の世界でも不自由しないように、と棺の中に入れるお金でした。

 昔は普通に流通していた硬貨ですが、旧硬貨となって久しく今では古いしきたりで冥銭となったお金でした。

 そのため、お金としても価値はありますし、使えます。

 しかし、本当に使う人というのは珍しいです。

 

 アルバイトの子が受け取ったのかな?


 店主は軽くそう考えました。

 冥銭もそうですが、それ以外の旧硬貨で支払いがされるのは頻度が低いだけで全くないわけではないのです。

 さて、その日から、毎晩同じ時間に女が【子供飴】を買いにくるようになりました。

 毎日閉店間際に来るのと、支払いが冥銭であることに店主は気づいていました。

 そして少しだけ不思議に思っていました。


 きっと、何か事情があるのだろう。


 そう考えてはいるものの、やはり夜の女の一人歩きは危ないです。

 なので、女が店に来て四回目のことでした。

 その日も同じ時間にやってきて飴を買った女に、勇気を出して、店主は声を掛けました。


 何か困り事でもあるのかい?

 なんなら相談に乗るよ?


 女は、その日も飴を受け取って代金を払うとやはり深深と頭を下げて、礼を言って帰って行きました。

 その背を見送って、後片付けをしながら店主は考えました。

 

 着ているものも、持ってくる深皿も上等なものだ。

 それに立ち居振る舞いも、まるで貴族様のご令嬢のように丁寧で気品がある。

 やはり、なにか事情があるのだろうな」


 そこで、ナターシャはちらりとヴィクトリアを見る。

 怖がってる素振りはない。

 物語に集中している。

 

 (元々、そこまで怖い話ではないですし。

 大丈夫そうですね)


 「さて、翌日のことです。

 この日は給料日前ということもあり、客もまばら。

 他のお店も暇だったのでしょう、町外れで飲食店を営んでいる友人が店主を訪ねてきました。

 そして話が弾み、気づけば閉店間際の時間となっていました。


 そろそろかな?


 店主が時計を確認して立ち上がったのを見て、友人は首を傾げました。

 その時です。

 コンコン、コンコン、と店の扉が叩かれました。


 最近、この時間になると来てくれる常連さんがいるんだ。


 店主は簡単に友人へそう説明すると、いつもの様にそこに立っていた女から深皿を受け取り飴を売ってやりました。

 しかし、女の顔を見た友人は腰が抜けるほど驚いたのです。


 あ、あ、あの女は!!!!


 店主が愛想良く女を見送って扉をしめると、友人はまるで化け物でも見たかのように店主へ言ってきました。

 それによると、どうやらあの女は一週間前に死んだとある商人の娘さんだと言うのです。

 材料の仕入れなどで、友人はその商人が取り扱っている食材を買っていましたし、商業ギルドであの娘さんを何度か見かけたことがあるとのことでした。


 死んだ人間が飴を、菓子を買いに来た?

 馬鹿言っちゃいけないよ。

 そんなことがあるもんかい。

 

 しかし、友人の顔は決して嘘を言っているようには見えませんでした。

 

 お、俺だってそんなことあるわけないと思ってる!

 しかしな、あの娘さんはとても気の毒な亡くなり方をしたんだ。

 もしかしたら、それが原因で迷いでてきたのかも。


 聞けばその娘さん、なんでも出産とともに亡くなったのだとか。

 そして、救われないことに命懸けで産んだ赤ん坊も腹の中で天に召されていたことがわかったのだとか。


 よーし、それならいっちょ確かめに行こう。


 店主は言いました。

 店主としても、まさか死者が歩き回っているなんて欠片も信じちゃいませんでした。

 しかし、閉店間際の夜更けにしか来ないことが気になっていたのです。


 店主と友人はすぐに女の後を追い、尾行しました。

 幸い、気づかれることなく女を追うことが出来ました。


 そうしてやってきたのは、友人の家があるのとは真逆の場所に位置している、墓地でした。

 

 墓地の入口まで来ると、その姿がすぅっと消えたのです。

 墓地は広く、奥の方には林がありその中にも古いお墓があります。

 怯える友人の横で、店主は墓地の向こう側、林の中から何やら赤ん坊の泣き声が聞こえた気がしました。

 それを確かめようと先に進もうとする店主でしたが、友人がその腕を引っ張り、押しとどめます。

 神父さんを呼びに行こうというのです。

 

 そうだな。勝手に墓地に入ったら怒られてしまう。


 店主も頷き、教会に駆け込みました。

 友人は怯えていましたが、店主は、たしかに不思議に不気味に起こったことを捉えてはいました。

 しかし、友人のように怯えることはありませんでした。

 仮にあの女が本当に死んだ人間だったとしても、悪さをするようには見えなかったのです。

 冥銭ではありましたが、ちゃんと代金を払い、頭を下げ礼を言って帰っていくあの女が、化け物には見えなかったのです。

 二人は教会に駆け込んで神父様に事の次第を話しました。


 そんな馬鹿なことがあるわけない。

 きっと何かを見間違えたのだろう。


 神父様は二人の話を聞いて、一緒に墓地を見回ってくれることになりました。

 そうして三人で墓地を見回ると、今度は歌が聞こえてきました。

 物悲しそうな、子守唄でした。

 神父様と友人にもその声は聞こえたようでした」


 そこでナターシャは、子守唄を口ずさむ。

 やさしく、儚い、でもこの国では誰しもが一度は耳にする子守唄を口ずさむ。

 侍女たちが、子供だった頃を思い出したのか、懐かしさで目元を綻ばせた。


 「おかあさま」


 知らず、ヴィクトリアが呟いたがナターシャはその呟きに対して何も言わなかった。

 大粒の涙を流しながら、それでもヴィクトリアは物語の世界にいる。

 やさしくそれを見つめながら、歌を口ずさんだあと、ナターシャは語りを続けた。


 「三人は、墓地の向こう側、林の奥へ奥へと歩を進めました。

 いつのまにか、あの子守唄は消えておりました。

 そして、三人が林の中の墓地の中をうろうろと声の主を探し回った時です。

 店主は、とある墓の前でその赤ん坊を見つけたのです。

 その墓とは、話に出ていた気の毒にも亡くなった商人の娘が眠っている墓でした。

 その墓の前で赤ん坊はスヤスヤと眠っておりました。

 友人と神父様も駆けつけます。

 赤ん坊の横には、なにやら手紙のようなものと、そしてあの女が飴を買う時に持ってきていた深皿がありました。

 神父様が手紙を確認します。

 どうやら赤ん坊は捨て子のようでした。

 

 しかし、不思議なこともあるもんだ。

 この手紙によると、この子がここに捨てられたのはもう何日も前だ。

 いったいどうやって、今日まで生きていたんだろうか?


 そう不思議がる神父様と、まだ怯えている友人に、店主は深皿を見せ、こう言いました。


 きっと、自分の墓の前に捨てられたこの子を哀れに思い、育てるために俺の店に飴を買いにきていたのでしょう。

 聞けば命をかけて産んだ子も、残念なことになったとか。

 だからこそ子供を育てようとしていたのかもしれません。


 そして、娘の墓に向かって店主は言いました。


 この子は、私がきっと立派に育てるから。

 もう安心だよ。


 そうして祈りを捧げました。

 それからと言うもの、二度とあの女が飴を買いにくることはありませんでした。

 そして、店主が拾った赤ん坊はスクスク育ち、その街一番の菓子職人になったとも、数日だけではありますが飴を与えて育ててくれた血の繋がらない母に報いるため大神官になったとも伝えられています。


 おしまい」


 侍女が少しだけ驚いた顔をしていた。

 無理もないだろう。

 怪談ではあるが、ナターシャが今まで語り聞かせてきた物語とは違い、一番平和で幸福な終わり方の物語である。

 ヴィクトリアの侍女が、涙でぐちゃぐちゃになった彼女の顔を拭く。

 ナターシャは紙芝居を片付けると、自分が食べようと思っていたその菓子をヴィクトリアへ見せる。


 「ヴィクトリア様、実はこの話に出てきた赤ちゃんを育てるために幽霊が買ったとされている飴があるんです。

 これがそうです。

 召し上がりますか?」


 ヴィクトリアは、泣いて真っ赤になった目でナターシャと小鉢に入れられた水飴を交互に見て、こくんと頷いた。

 すぐに侍女にもう一つ用意させる。

 

 「良いですか、ヴィクトリア様。

 この飴を食べるにはルールがあるのです」


 ミズキと出会った頃に教えてもらった水飴の食べ方。

 それをナターシャはヴィクトリアへ教える。

 水飴、別名【ねり飴】。

 別添えの二本の棒で空気を含ませて練り、ある程度白っぽくなったら食べる飴なのである。

 そのままだと、ただ甘ったるいだけだがこうして練ることによって少し固くなり、味もまろやかになるのだ。


 ナターシャの真似をして、ヴィクトリアも水飴を練り、恐る恐る一口舐めてみた。

 その表情がおしゃまなものから、年相応の幼いものに変わる。

 この日から、ヴィクトリアの好物に水飴が加わった。

 そして、数年後には庶民向けの物を好む姫として親近感からか、民からの人気が爆上がりするのだが、それはまた別の話である。

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