第14話 いつだって『それ』は世界を壊す

 洞窟を出ると、そこは星空の『中』だった。

 考えてみれば排気ガスなんてカケラもないわけで、地球じゃ一生見れないような、星雲すら鮮やかに光る見たこともない空。

 それが圧倒的な存在感で、世界の半分に存在している。


「す……っげー」

「いつまでも見ていられそう……」

「おいおい、転生者様は星空を見るのは初めてか?」


 茶化すようにグリムさんは言うが、それは本当にその通りだった。

 宝石箱をひっくり返したような、なんてどころじゃなく、光の群れが空一面に広がって僕らを包んでいる。


「……変なこと言うけどさ」

「なあに?」

「来てよかった」

「ふふ。私も」


 その後小屋で着替えてまた集まって、グリムさんに門を開いてもらって、

 特に誰かが何かを喋ることもないまま、村に向かった。


「……ん?」


 その途中、気づいたのはグリムさん。


「あれは……?」

「……誰か、来てるの?」


 遅れて、僕らも気づいて、呟く。

 村に戻ってテントに向かう途中、明らかに村の入口の方が明るい。

 村のエルフもそっちに目線を向けてやんわり集まってるし、何かあったんだろうか……と思っていると、


「姉様!」

「姉様?」


 僕らが何か言うより早く、グリムさんが猛ダッシュでそのエルフに駆け寄った。


「姉様! 姉様ー! お久しぶりですー!」

「おおグリム! あっはは、久しぶりだな! 何年ぶりだ? 相変わらずだな!」


 グリムさんが飛びつき、くるくると遊ぶように回るのは、背の高い、甲冑のエルフ。

『エルフの騎士』――僕らの最初の印象はそれだった。


 長い金髪を赤いリボンで一つにまとめて、プレートメイルに長槍を構えたその姿は、本物の『騎士』そのもの。

 肌はこの村のエルフみたいに褐色じゃなくて、ちょっと日焼けしたような白。

 隣にはヘルムを被って顔の見えない、おそらくは同じエルフ達が旗を持って立っている。

 まさかあの森や川や洞窟をそれを掲げて通って来たってわけでもないだろうけど、

 とにかく装備の豪華なエルフがぱっと見で100名近く、列をなして村の門の前にいた。


「来てくださったのですね! 姉様!」

「はっはっは、当たり前だろう! 血を分けた姉妹の危機とあれば、我々誇り高きエルフが見捨てるものか!」


 喜ぶ姉妹の、何の変哲もない久々の再会。

 その、一瞬だった。

 ほんの一瞬、確かに僕の耳に、何かが聴こえた。

 それは、普通ならこんな状況で聞こえるはずのない……


 ……舌打ちと、笑い?


 ふと木崎さんを見るけど、特に何かに気づいた様子もない。


「どうかした?」

「あ、いや、なんでも……」


 気のせいと思うことにして、成り行きを見守る。


「それで姉様、丁度今夜は客人を招く宴なのです! よ、よろしければ、ぜひ皆様も……」

「は?」


 空気が、凍った。


「グリム、冗談はよせ、我々が今晩ここで、宴だと?」

「あ、その……」


 真剣そのもの、これから説教が始まると言わんばかりの空気が、場を支配していた。

 ……これあれかな、軍人さんが助けに来た瞬間に、宴に誘っちゃった感じかな。


「……グリム」

「ち、違います!『転生者』の方が来られたのです! しかもお二人も!」


『姉様』を見上げる形で、叫ぶようにグリムさんが言う。

 どうやら『転生者』の話題は効いたようで、明らかに表情が変わった。


「何だと!? 冗談……ではなかろうな。そこの二人か? というか待て! 人間ではないか!」


 その言葉に、後ろの兵隊全員が驚く。

 そりゃそうなるわ、と思った瞬間、木崎さんが動いていた。


「天使! お願い!」

「承知しました、マスター」


 機械的な声とともに、きぃん! とガラスを叩くような音。

 それと同時に、木崎さんが一瞬光に包まれて、それがおさまると、背中から服を突き破って翼が生えていた。


「なっ……その、お姿は……」


 今回はビジュアル重視なのか、生えているのは以前より大きな白い翼。

 木崎さんのイメージなのか、はたまた異世界の天使もそういうもんなのか、純白の羽を散らして、頭にはわっか。

 ただし単純な輪じゃなくて、もう少し幾何学的にデザインされたオシャレな奴だった。


「初めまして。私は、天使の加護を受けた転生者……木崎 天音と申します」

「は、初めまして! 私ごときがまさか、転生者様と……しかも天使の加護を受けた方とお会いできるとは……」


 がしゃがしゃ、と鎧の音を立てて片膝をつき、かしずくエルフ達。

 ついでに、村のみんなも同じ体勢をとる。もちろん僕もだ。


「お名前は? 短い方で構いませんよ」

「ち、チア、と呼ばれております……ま、真名は……」

「それは結構です。貴女の部下もいることですしね。それで、チア。あなたはなぜここに?」

「先日、この集落からの伝令が我々の集落に来たのです……そしてここの窮状を知り、参じた次第で」

「なるほど」


 いかん、黙って見てろ反応するな。

 今まで見たこともない木崎さんの『天使ムーブ』にまだついていけなくて、どんな表情をしていればいいかわからない。


「すばらしい姉妹愛ですね。それで、今日はこれからどうするつもりですか?」

「こ、この村の外に陣を張っております……そして明日にでも、この戦争を終わらせます!」


 すげー自信だなー、と思うと同時、まあエルフからしたら怒りもあるのかな、と納得もする。

 妹の仕切ってる村が人間に襲われてるともなれば、そんなもんなんだろう。


「なるほど……それで、今夜の食事や寝床は? よろしいのですか?」

「無論、我々に用意があります! 天使様のお手を煩わせることなどありません!」


 そう言って手を広げた先を見ると、確かに軍勢の背後に二足歩行の……え?


「恐竜!? ……あ、すいません」


 思わず叫んでしまった。


「おや、お供の方は、見るのは初めてですか? 『キョル』と呼ばれる私どもの家畜ですが……」


 馬みたいに鞍をつけて、その上に荷物を積んでいるのは見るからに恐竜だった。

 名前は知らないけど、二足歩行で尻尾があって、前足はかぎ爪。

 図鑑でしか見たことのない存在が今僕の目の前に立って、その瞳を僕に向けている。

 本物だ……本物の恐竜だ……すごく触ってみたい……が、はっと気づく。


「本当に失礼しました」


 話の腰を思いっきり折ってしまった。

「いえ……それでは私どもは、これで。よろしければ我々と食事でもいかがですか?」

 示されたのは、村の外。確かに門の向こうに、テントがいくつか張ってあるのが見える。


「いいえ、我々はこの村にお世話になっているので、今夜はこの村に泊まります」

「そ、それは……そんな……」


 その言葉に、周りの甲冑エルフさん達も顔を見合わせる。

 ひそひそと声はするが、何を言っているのかまでは聞き取れない。


「? 何か?」

「い、いえ、そうおっしゃるのでしたら……我々はそれで……」


 うん?

 なんか煮え切らない態度なんだけど、何が言いたいんだろう。

 ちらっとグリムさんを見たけど、目を伏せるだけだ。

 さっき怒られかけたのが効いてるのかな。


「それでは……私達もこれで」

「はい、失礼いたします! 全員、戻れ!」


 そう言うと旗を持った兵隊だけが先頭に走って、何か叫んだと思うと、ぞろぞろと外へ出て行って、門が閉じた。

 そしてまたきぃん、と音がして、木崎さんの背中から翼が消える。服はどういうわけか元通りだ。


「ふぅ……」

「平気?」

「うん、大丈夫」

「そっか良かった……でも夕飯ぐらい一緒に食べればいいのにねえ」


 僕がグリムさんの近くに寄って、心からそう言うと、グリムさんは


「そうじゃのう、姉様はマジメなのじゃ」


 とか言うと思ったら、


「し……しかた、ないのじゃ……」


 そう言って、僕から目をそらした。

 ……うん?

 その反応はおかしくないか? と思って、何か声をかけようとして、

 ふと木崎さんを見ると、


「……木崎さん?」

「え……? ……何?」


 木崎さんが汗をびっしょりかいて、息も荒い。


「だ、大丈夫?」

「心配しないで。筋肉じゃなくて、血管と骨が疲れるだけ……」

「いや心配しかしないって」


 何だその独特の感覚。僕は魔法使えないから、余計に心配しかない。


「大丈夫、本当に体力と、同じで、すぐ、息は整う……と、思う……から」

「だからってさ……あ、そうだおい悪魔」

「なんですか?」


 小声で呼ぶと現れる赤い宝石。便利だな。


「そういう形態に、なれたのね……」

「あ、うん。で……木崎さんは大丈夫なんだよな」

「ん……大丈夫でしょ、慣れてないから疲れるってだけで、総量の百分の一も魔力使ってませんよ」

 心配性ですねえ、と言いたげな声が、おそらく僕らにだけ聞こえている。

「あ、そうなの」


 そりゃよかった……こうやって確認できると助かるな。


「さ、さーて皆の者待たせたな! 見ての通り助けも来た! 明日に向けて食事じゃ食事!」


 そう言って、グリムさんが叫ぶと、村のみんなは歓声を上げて、ぞろぞろとどこかへ向かう。

 たぶん『大釜』のあるテントだろうな。みんな食器持ってるし。


「……」

「グリムさん?」

「お、おう、すぐ行く……」


 閉まる、村の門。

 それを見送るグリムさんの目が追っていたのは、たぶんお姉さんだろう。

 僕はそれを気にすることもなく、みんなの後ろについていく。


「それじゃ皆の者、今日はしっかり食べて、明日に備えるのじゃぞ!」


 案内されて大鍋に行くと、良いにおいがテントの中に満ちていて、調理係っぽいエルフさんが器の中にその料理を配っていた。


「へぇ……」

「これがエルフの料理……」


 うっとりと、木崎さんが呟く。

 僕も正直同じ気持ちだった。

 木の葉がまるごとと、よく煮込まれた柔らかそうな肉が、赤いスープの中に浮かんでいる。

 スパイスみたいな香りとトマトみたいな香り、そして肉の香りが混ざったスープは少しとろとろとしていた。

 木の匙ですくって一口含むと、丸ごと入っていた葉っぱは意外なことにぱりぱりしていて、口の中で崩れる。

 すると辛味と塩気、そしてわずかに鉄臭さと苦みが広がって、よく煮込まれた肉と混ざってすごく旨い。

 欲を言えば鉄臭さは若干あるしもう少し塩気が欲しいけど、それはさすがに贅沢か。


「……味は独特」

「え? そう? かなり美味しいけど」

「えっ……?」


 木崎さんの口には合わなかったのか、僕が器を空にしてもだいぶ残っていた。


「そう言えば水ってないのかな」


 周りを見回せば、天使で人間で転生者とかいう僕らを遠巻きに見て、ひそひそと何やら話しているエルフさんがちらほら。

 拳を強く握って鼓舞し合うような男性エルフさんのグループもいれば、奥さん同士の井戸端会議みたいなグループが不安げな顔をしていたりもする。


「あ、お客様! はいどうぞ!」

「ああチルフちゃん、ありがと」


 呟いたのと丁度同時に現れたチルフちゃん。肩掛けカバンみたいにベルト付きの水瓶を下げて、柄杓みたいなので水を配っている。

 僕はそれを器で受け取って、一口飲んだ。ぬるいけどうまい。


「チルフちゃんは食べないの?」

「私は今日の毒見係ですから、先に食べちゃったんです」

「へー」


 そういうのもあるのか。まあ集団食中毒とかシャレにならんしな。

 とか思っていたら、視界の端で木崎さんが流し込むように料理を食べていた。


「んぐ……ごちそうさま。お水貰っていい?」

「どうぞ! おかわりもありますよ!」

「え……遠慮しとく」

「僕はもう少し貰おうかな」


 ラーメンみたいなもんなのか、水飲んだらまたあの味が恋しくなってきた。


「気に入ったの?」

「割と」


 結構この味、好きかもしれない。


「嬉しいです! ちょっと待っててくださいね!」

 そう言って、去っていくチルフちゃん。


「……そう言えば悪魔や天使って食事するのかな」

「……さあ」


 その瞬間、また例の音とともに天使と悪魔(球体)が現れた。


「回答します。不可能ではありませんが、必要性もありません。私達の運動エネルギーは、基本的に天界から得ています」

「だって」

「お前は?」

「受肉したんでせっかくですし……と言いたいとこですが、不必要に食料を減らすのも気が引けますね」

「悪魔のくせにそう言うのは気ぃつかうのな」

「中途半端は趣味じゃないだけですよ。それこそ飢餓に陥った村の食糧なら大好物ですが」


 やっぱ悪魔だなコイツ。


「私達天使にとって、食事とは娯楽です。よって、神に従う身としては意味のない行為です」

「悪魔的にも?」

「ええ……意味がない、なんて言い切るのは天使くらいですけどね。ふふ」


 なぜか悪魔は機嫌がやたらいい。何なんだ本当に。

 と、その時、入り口から外へ出る影。

 ほぼ反射的に追いかけると、外には手ぶらのグリムさんがいた。

 方角的に、トイレ……ではなさそうだった。


「グリムさん、どっか行くの?」

「!!」


 びくっ、と驚いたような反応。


「お、お主らか……」

「何かあった?」

「い、いや、わらわは、その……まだ、姉様に言わねばならぬことがあるのじゃ」

「え、そうだったの? ごめんなさい」


 そうとは知らず、さっきはお姉さん……チアさんを帰してしまった。


「構わん構わん、ほらお主らも宴を楽しんどくれ」

「いや、宴って言うのに村長がいないのはダメでしょ」

「あ……そ、そうじゃな、でもその、すぐ済むから……先戻ってくれんか」


 ……? どうもさっきから様子がおかしい気がする。

「あ、お邪魔だった?」

「いや、そんなことはない! だ、だが、その……話さねばならぬこともあるのじゃ……」 


 やっぱり明らかに、態度はおかしかった。

 そんなことくらい木崎さんも気づいていただろうし、天使と悪魔からしたらもっと色々理解していたんだろう。

 もしもはないけど、もしも……この時、もう少し踏み込んでいれば。

 あるいは、あと少しだけでもここに残っていれば。

 あんなことにはならずに、間に合ったんじゃないかと思う。


「……どっちにしろ、全部お任せってわけにはいかないし。私達も話くらいはしたい」

「悪いけどさグリムさん、ついていっていい? 邪魔はしないからさ」

「う、まあ、そういうことなら……」


 でも、それでも僕らは、何も知ろうとしないで門を開いて……出てしまった。


 門の外にはすでに陣が敷かれていて、いくつかのテントの前で甲冑を外したエルフが食事をしている。

 張り詰めた空気で食事ってわけでもなく、笑い声とかも聞こえるし、わりと雰囲気は和やかだ。


「これなら、宴に参加しても良かったのに」

 僕が思ったことを、木崎さんも呟く。

「まあタイミング悪かったよね、『軍』とやらを撤退させたら改めて……」

「姉様!」


 声が響いて、一番大きいテントの前にいたチアさんがこっちを振り向く。

 すると周りの兵隊さんも一斉にこっちを向いて直立してから、片膝をついた。

「な……て、天使様! 何用ですか!?」

「急に申し訳ありません、ですが、どうしても明日の話をしたくて。私達だけで話せますか?」

「無論です!」

「それと、みなさんも楽にして結構ですよ。ごめんなさいね」

 そう言うと、誰かが号令を叫んで、ざっ! と兵隊さんが立ち上がり、また元の行動に戻る。

 とはいえこっちは気になるみたいで、みんなちらちらとこっちを見ながら食事をし始めた。

 悪いことしたなあ。


「……てかさ、天使の時はそのキャラで行くの?」

「どうしよう……これ、あまり私のキャラじゃないし……」

 などと言っているうちに、テントの中に促されたので入ってみると、やっぱりというかなんというか、

 そこは作戦の立案室になっていた。

 壁にはこのあたりの地図らしき絵があって、同じ地図が大きな机に広げてあって、机の方には駒が乗っている。

 今まで把握してなかったけど、どうやらこの森の外には荒野があって、そこに敵は陣を敷いてるらしい。


「チアさん」

「よ、呼び捨てで結構です!」

「いえ、私達はグリムさんの村の客の身ですから。それよりも、妹さんが話があるそうですよ」


 天使の羽は出さずにいるけど、威厳はしっかり残っていて、チアさんは素直にグリムさんの方を見た。


「……話だと? なんだ?」


 ――ここへ来て、まだ僕らは知らなかった。


「姉様……分かっているはずです」

「何をだ」

「いつになったら、我々はそちらで暮らせるのですか?」


 ――この世界にも当たり前のように『それ』があることを、気づきもしなかった。


「言っただろう、まずはお前が来い。話はそれからだ、と」

「嫌ですじゃ! ……あ、いえ、嫌です! あの村は、婆様が最期を迎えた神聖な……」

「何が神聖だ! あのような土地、本来は人間どもにくれてやっても良いのだ! それを婆様に義理立てして……」

「当然のことでしょう! 何が気に入らないのですか!」


 ……気づくべきではあったんだ。

 あまりにもやせた土地、明らかに食料の補給に適さない土地。

 油が湧いて、太陽石が取れる、火気厳禁の土地。

 そんなところにエルフって住むのか? じゃなくて……


 ――どうして、そんなところにエルフが住んでいる?


「待って、あの村をくれてやってもいいって……どういう……こと?」

「なんだ、黙っていたのか?」

「あ、そ、それは……」

「だからお前は甘すぎるというのだ、言え!」

「嫌です!」

「貴様……もういい、私がお伝えする!」


 何もわかってない僕らに、エルフは言った。


「あの村は生まれつき、魔力もろくに使えない役立たずを捨てた村なのです! それをこいつは……」

「姉様! わらわの村を侮辱するのは例え姉様と言えど許さんぞ!」

「何が侮辱だ! マトモな魔法も使えぬ、できることと言えば土いじりくらいしかない連中だろう?」

「魔力が乏しいからなんだというのですか! 第一、魔力で植物は育たずとも土は動かせます!」

「ふざけるな! 土に魔力を注ぎ、木々を育み、その木々から魔力をいただくのが我々エルフの習わしだろうが! 動かせて何になる!」

「我々とて土に魔力を注ぐことくらいできます!」

「それで出来上がるのは土人形ぐらいだろう! 木々を茂らせてこその魔力だ! 土人形なぞ……汚らわしい!」


 ……共感は一切できなかったが、理解はできた。

 要するに、『魔力で何ができるか』で優劣があるんだ。

 もちろん意味が分からない。

『まとも』であれば、そんなことで……って言う所なんだろう。

 けれどこの姉エルフ……チアさんは、そしておそらくチアさんの集落は、『そういうもの』として、生きている。

『差別』を当たり前として、生きているんだ。


「姉様! 魔力に汚らわしいも何も……」

「だいたい、お前はまともなエルフだろう! お前が実は植物を育てられることくらい知らんと思ったか?」

「……っ! 知ってて……」

「お前の意思を尊重したのだ、婆様も同じ肌の色、同じ土人形と豊穣、両方の特性を持つ魔力……そして同じことを言っていたと……父上から聞いた」

「同じこと……?」

「融和などと。汚らわしい! エルフが森に穢れを持ち込んでなるものか!」


 その言葉に、ついにグリムさんが目を見開いて怒りをあらわにする。


「穢れじゃと!? 姉とはいえその言葉許さんぞ!」

「はぁ……その口調。なにやらあの村の連中に吹き込まれたか? 所詮穢れた連中だろうが!」


 僕らのことをすっかり忘れて、姉妹の言い争いはヒートアップする。

 そしてそのさなかに、じわじわと、周りの兵士が出入り口をふさぐように移動し始める。


「この……わからずや! 姉様には慈愛の心が無いのですか!」

「みくびるな! あるからこそこうしてお前を『迎えに』来たんだろう! あんな穢れた村は捨てろ! 婆様の妄言に付き合うのはもうやめるんだ!」

「わらわはあの村の長じゃ! 婆様の慈愛の心が! 妄言などと言わせるものか!」

「この……わからずやが! だがもういい、この際だから言うが……全部話はついてるんだ」

「え?」


「あの村は燃やす」


 ……は?


 訊き返して、返事はない。動いたのは、同時だった、と、思う。

 僕らより早く、グリムさんが外へ飛び出して、開きっぱなしの門をくぐる。


 そして、テントへ行くと、そこには……


「無事、だったんですね、姫様……」


 ……甲冑のエルフに剣を突き付けられて、村のエルフ全員が、縛られていた。

 いや……全員では、ないか。

 何人かは、胸や首から血を流して……倒れてて……

 ……大釜がぐつぐつと音を立てていて、どこか焦げ臭い。


 何が起こった?

 どうして……こうなった?

 わかりきったことだ。

 エルフ同士で……裏切った。

 この村が、捨てられたんだ。


「天使様、これは仕方のないことなのです」


 ついてきていたらしいチアさんが、ヘルムを被りなおしていった。

 周りのエルフはとっくに戦闘態勢をとっている。

 僕らだけが普段着で、兵隊は全て、僕らを殺すための準備を終わらせている。


「このまま戦いが長引けば、我らと、そして我らの盟友たる人間の被害は増えるばかり。 早く滅べばいいものを、なまじこの村の連中が抵抗するばかりに争いが長引いてしまいました。

 それでは今後……明日にでも、ぶつかるのは必至、多数の犠牲は避けられません。

 であればこの村を明け渡して、この戦いを終わらせることこそ、天もお望みではありませんか?」

「……」


 木崎さんは、何も言わない。そして僕もだ。


「明日にもこいつらを『回収』するために人間が来ます。まあ見栄えの良いのは売られるなりするでしょうが……『劣等種』にはお似合いでしょう。

 それにしても酷いにおいですな。劣等種は料理もまともに作れないのでしょうかね?」


 その言葉に、ついてきていた甲冑の兵士たちが嗤う。

 テントの中に、笑い声が響く。

 吐き気がする。

 そこまでだった。


「ねえ」


 あの目で、木崎さんは、言った。


「天使、来て」

「……ここに」


 空気を読んで、今度は二足歩行だ。

 初めて見るその姿は、金色の髪をなびかせて、白い服をまとったイメージ通りの天使。

 唐突に現れた天使に、甲冑のエルフ全員が驚きつつ、かといって騒ぎはしなかった。


「倒れてるエルフ、全員魔法で治して」

「全員は不可能です。今、三名の死亡を確認しました」

「……そう。そう……なのね」


 木崎さんの握りこぶしから、血が垂れる。

 みしみしと、空気が緊迫していく。

 木崎さんの怒りを、誰が言うまでもなく全員が理解していて……


「天使様? ですから、この者たちが大人しくなればこの無駄な戦いは……」


「黙れ」


 ……こっちを向いたのは、やっぱり、その眼だった。

 ひたすら虚無の、けれど、涙の止まらない、その眼。

 それに気圧されて、僕の反応は、遅れた。

 木崎さんが手をかざして、


「風」


 その一言を、呟いた瞬間だった。

 大きなものを殴るような音とともに、テントが丸ごと吹っ飛んで、がしゃん、がしゃんと何かが撥ねる音がする。


「木崎さん!」

「姉様!」


 木組みだけが残ったテントからグリムさんが飛び出して、さっき撥ね飛ばされたチアさんを追う。

 テントの材料がある程度クッションになったのか、チアさんは震えながらも、まだ動いていた。


「治癒……」


 そう言うと、倒れているエルフの周囲に光の粉みたいなのが漂い始める。

「く……」

 テントの床全部を覆うような過剰な光の粒。

 そして、それに合わせてどっと汗をかく木崎さん。


「な……何で……何故です天使様! なぜこのような連中をがばっ!」


 もう一度風が吹いて、今度は別のテントの前まで吹っ飛ばされる。


「救いようがないって……こういうこと……」


 そう告げたその顔は、涙で濡れていた。

 まるで人形のように蒼白な顔で、震える腕で、それでも何かに動かされて、木崎さんは腕を『犯人』に向けていた。

 そしてここでようやく周りの兵士も異変に気付いたのか、チアさんを守ろうと立ちふさがる。


「た、隊長! おのれよくもたぎゃばあっ!」


 だが、一瞬で吹っ飛ばされて、痙攣していた。


「ひ、ひいいっ! 構えろ! 撃て!」


 半ば狂乱状態の兵隊が、風で撃たれるまえに弓を放つ。

 確かに木崎さんは一人、同時に飛んでくる矢は30近い。


「……『乙女の盾(イージス)』」


 それは、木崎さんのチートの名前。

 きぃん、と音がして、光の翅が生えて、僕や周りのエルフを守る形で矢が『消滅』した。

 その虹色の翅はあまりにも大きく、そして神々しく、禍々しい。


「無詠唱、だと……そんな……」


 誰かがそんなようなことを言った。

 勝てない。

 それを骨の髄まで思い知って、その場にいた全員が動きを止めた。


「……っ、飛翔……」


 そんな中木崎さんはそう言って、飛ぶ。

 虹色に輝くその羽が、月光を煌めかせて今までで一番美しく輝く。そして、


「消えて」


 ――虹色の光が瞬いて、それが球体となってわずかに高度を落として、そして爆風が吹いた。


 光の粒のような爆弾。それが甲冑のエルフだけを選んで、吹っ飛ばして、

 あちこちに鎧が撥ね飛ばされる音がする。


「消えて」


 そしてそれが、もう一度。

 放たれた虹色の粒から生み出される爆風が、甲冑のエルフだけを選んで、転がす。

「消え、て……」

 転がす、跳ねる。


「消えてええええええええええええ!!!!」


 それを三回くらい繰り返して、立ってる甲冑のエルフは一体もいなくなった。


「なぜ、です、天使様……私は、この争いを止めようとして……」


 それでも、空気の読めない奴が、起き上がる。

「ふざけたこと、言わ……」

 そして、目を見開いた木崎さんが腕を向けた、その瞬間。


「……時間切れです」

「あらら、そりゃこんな無茶すればそうなりますよねえ」


 僕の耳元で、悪魔の声がした。

 絶望的なまでにあっさりと、それは来た。


「ぁ……」


 かくん、と体勢を崩して、空から落ちる木崎さんの体。

 そこから天使が分離して、虹色の羽が白い光の粒になって消える。

「き……」

 ようやくそこで、僕の体が動く。

「木崎さん!!」

「木々の根よ! 秘めたるその身をここに晒せ!」

 グリムさんが叫ぶと、木の根が地面から大量に飛び出す。

 それがクッションだと理解できた瞬間、僕はスライディングキャッチの要領で跳んで、

 根をクッションに木崎さんを落下地点で受け止めて、その顔を覗き込む。

 その体は驚くほど冷たくて、だというのに汗がすごい。


「……ごめん、失敗」

「ごめんじゃないよ! 何でこんなこと……」

「……許せなく、て」

「だからって……こんな……っ!!」


 がしゃっ、と、音が聞こえた。

 うめき声とともに、鎧を着た誰かが、立ち上がる、音。

 それがいくつも、僕の背後から聞こえてくる。

 そして僕は、その音で全てを悟って、あろうことかそれを顔に出した。


「……殺せなかった……ね」


 視界が、揺れる。

 木崎さんはこの村のエルフを助けようとして。

 この村を襲ったエルフを止めようとして。


「お願い……私は、たぶん死なないから……グリムさん連れて……逃げて……」


 何一つ、上手くいかなかった。

 少なくともあと数分で、確実にそうなる。


「はっ……はは、何が天使だ! 我々の、誇り高き『白の森』のエルフの勝利だ!」


 誰かが、叫ぶ。

 前を向くと、村のみんなを守るように、グリムさんが弓を手にして周囲を睨んでいた。

 天使はというと、目を見開いた怒りの表情でエルフ達を、睨んではいる。


「下種が……っ!!」


 今までに見たことのない、怒りの表情。しかし半透明に明滅するその体が、明らかにもうすぐ消えることを物語っていた。

 ……だから、僕がやるべきことは、とっくにわかっていた。


「人間! おおかた魔術でこの村に取り入ろうとしたんだろうが……アテが外れたな!」


『誰か』の声は無視して、僕はグリムさんのもとまで歩いて、


「……?」

「頼む、預かって」


 気を失った木崎さんを、グリムさんに預けた。


「……悪いようにはしない。お前らだけなら命だけは見逃してやるぞ?」


 僕の背後から、チアさんの声がする。

 でも答えは決まっている。

 だから僕は振り返って、


「断る」


 言った。

 この場でグリムさんを、この村を裏切るなら、死んだほうがましだ。


「正気か? お前一人でどうにかなるとでも?」

「ああ、今から全員、ぶっ殺して大逆転してやるよ」


 その言葉に一瞬の静寂と、周りから笑い声。

 吐き気がする。

 本当に本当に本当に吐き気がする。


「正気か? この数だぞ!」


 振り向けば、鎧を着た男のエルフが剣を僕に向けて、笑っていた。

 その奥では、隊列を組んだエルフが僕らに弓を向けていた。

 居並ぶその顔は、どれもこれも殺したいほど憎らしかった。


「ああいいよ、殺したいならかかって来い」


 だから僕はそう言って、


「ただし」


 息を大きく吸って、


「死ぬより辛くても文句言うなよ?」


 空に向けて指を構えて、言った。

 そして僕は弾丸を、宙に向けて『撃ったつもりになる』。


「跪け、『正義(ジャスティス)』!」


 その、たった一言で――僕は全員に『勝った』。



 ここからは、虐殺の時間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る